志とは、君、自らの中にある(中岡慎太郎)

2009年01月03日

志とは、君、自らの中にある(中岡慎太郎)

 新年を迎えて新聞、特番等々を見る中で、これからの日本に必要な(期待する)ものはと考えると、指折り数えて行けば、両手では足りないぐらいに、考える事ばかりです。
 ミクシィのニュース、コラムに、「これからの日本に期待するもの」というテーマで、アンケートが取られたとありました。

>これからの日本に期待することを聞いたところ、《税金が正しく使われる国》が1位という結果になりました。続く2位は、《老後は年金で暮らしていける国》、3位は《治安のよい国》がランク・インしており、トップ3は去年と同じ項目が並ぶ結果となりました。
>《食料自給率の高い国》(9位)や、新たに《食の安全が守られる国》(8位)など

 日々考えている事は、日本人であればみな同じなのだなと思います。
 人は、自分だけの生活を充実させることはもちろんですが、その日々考える中でも、地域のこと、日本のこと、世界のこと、次世代のことを考えているのだと感じます。

 今日は、中学校の同級生が、卒業後35年ぶりに集まる同窓会(同級会)をします。50才を越える世代が集まれば、子や孫の話題が出てくるものです。気持ちの中に、これからの地域、これからの日本の話題がちらほら出てきます。それぞれが、それぞれの人生の中で、社会のことを考えていることを知らされます。

 今年の日本、世界はどうなるか、広いことを考えると、アメリカでは大統領が変り、世界的な不況はもっと深刻になり、でかくなるだけのグローバル経済の限界を知り、共に生きる「共生経済」の理念が語られる時代になればと、願っています。

 行け行けドンドンの経済が、ここまま続けば地球があと2つ必要と言われます。地球は、やはり1つしかありません。その限界を知ること、資源の枯渇、エネルギーの有限、食料の共有等を、全ての人々が考える大事と思います。

 幕末、維新を目指し多くの志士を出した土佐藩(高知)、脱藩し、薩長連合のために奔走し、坂本龍馬と共に、維新前に刺客の凶刃に命を落とした中岡慎太郎が、土佐の後輩たちに語っていた言葉があります。

「志とは、目先の貴賤(きせん)で動かされるようなものではない。望むべきは、その先の大いなる道のみである。今、貴いと思えるものが、明日は賤(いや)しいかもしれない。今、賤しいと思えるものが、明日は貴いかもしれない。君子となるか、小人となるかは、家柄の中にはない。君、自らの中にあるのだ。」

 時代は変れど、自らの「志」が、何を目的にしているのかをしっかり持っていれば、周りからとやかく言われようと、ゆるぎない自信と、行動をしたい思いが湧き出でてくるものと思います。

 明治初期の日本の権力機構は、薩長土肥の代表する人材が寡占状況をつくり、片寄ったことを憂い、坂本龍馬、中岡慎太郎の志を受け継いだ、板垣退助、中江兆民らが、政治の理想を唱え「自由民権運動」を起こします。

 その掛け声は、゛自由は土佐の山間から゛と、世に問う活動で、憲法発布、国会開設、等々を迫りました。人の命は有限ですが、志は時代を越えて受け継がれ、「人々の豊かさ」を問い、行動が起きつづけ、社会の不満を改善して行くのだと思います。中岡慎太郎の「志とは、君、自らの中にあるのだ。」を、今年の最初の言葉をして、日記に書き留めたいと思います。

 今年も、駄文、誤字多き日記になると思いますが、ご笑覧いただき、ご意見等々を頂ければ幸いです。


<新年のご挨拶 2009.01.01>
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Posted by ノグチ(noguchi) at 08:51Comments(0)私の意見