全国に誇る銘酒「美少年」を応援しよう。
2008年09月10日
全国に誇る銘酒「美少年」を応援しよう。
><事故米転売>熊本「美少年酒造」も三笠関連から仕入れ(毎日新聞 - 09月09日 13:41)
>米卸売加工会社「三笠フーズ」(大阪市)による事故米の転売問題で、熊本県城南町の酒造会社「美少年酒造」が三笠フーズの関連会社から米を仕入れていたことが分かった。同社は9日会見して事実関係を明らかにし、同日から商品の出荷を取りやめた。
>同県ではほかに、焼酎メーカー2社が三笠フーズから事故米を仕入れていたことが明らかになっている。
>美少年酒造は1879年創業。日本酒「美少年」や米焼酎「喜多蔵」などの銘柄で知られる老舗。
今日の新聞を読み、その真摯な態度と、ユーザーを大事する姿勢には、とても賛同を得ました。自主回収を即座に実施したと説明がありました。
これから厳しい、経営環境になると思います。関東では、私に師友も含め、熊本の銘酒「美少年」として、愛飲している人が多数います。もちろん地元熊本でもたくさんの方が長く飲んで来ました。これかから、郷土の酒として存続できるように、しっかり応援した行きたいと思います。
美少年酒造、ガンバレ!!
><事故米転売>熊本「美少年酒造」も三笠関連から仕入れ(毎日新聞 - 09月09日 13:41)
>米卸売加工会社「三笠フーズ」(大阪市)による事故米の転売問題で、熊本県城南町の酒造会社「美少年酒造」が三笠フーズの関連会社から米を仕入れていたことが分かった。同社は9日会見して事実関係を明らかにし、同日から商品の出荷を取りやめた。
>同県ではほかに、焼酎メーカー2社が三笠フーズから事故米を仕入れていたことが明らかになっている。
>美少年酒造は1879年創業。日本酒「美少年」や米焼酎「喜多蔵」などの銘柄で知られる老舗。
今日の新聞を読み、その真摯な態度と、ユーザーを大事する姿勢には、とても賛同を得ました。自主回収を即座に実施したと説明がありました。
これから厳しい、経営環境になると思います。関東では、私に師友も含め、熊本の銘酒「美少年」として、愛飲している人が多数います。もちろん地元熊本でもたくさんの方が長く飲んで来ました。これかから、郷土の酒として存続できるように、しっかり応援した行きたいと思います。
美少年酒造、ガンバレ!!
(権力と威圧)川辺川ダム問題:国土交通省官僚の交渉態度
2008年09月10日
(権力と威圧)川辺川ダム問題:国土交通省官僚の交渉態度
今熊本は、毎日川辺川ダム問題が新聞紙面の多くを占めている。明日、熊本県の蒲島質が、ダム建設の賛否の判断を議会で示す事になっています。
先週、人吉市の田中市長の「ダム白紙撤回」表明以来、関係する首長たちも議会も、住民たちも、知事への陳情が活発になっています。(以下、新聞記事から抜粋)
そんな中、元々が国営ダムのため、国土交通省にも反対派からは、中止の陳情が相次いでいる。一昨日、川辺川を守る会などの52団体の代表が、九州整備局の岡本博局長が、「ダム建設をしないことを選択すれば、水害を受任していただかざるおえない」などと述べて住民を脅したとありました。
また、8月の国土交通省九州整備局が熊本県の蒲島知事へ「ダム中止の場合、関連事業の生活再建に取り組むのは困難」と答えた真意を、賛成首長が見解を求める要望書を出した。(以上、熊本日日新聞より)
二つの記事を読み、国土交通省から見れば、人吉・球磨の住民であろうと、熊本県知事であろうと、国家権力をバックにすれば、これほど威圧する言葉を発することができるのかと思います。
ダム建設論争が40年も長き渡り、住民、市町村、県も含め、議論、闘争を続けて来たことを、国土交通省の官僚たちは雲の上から見ているような感覚なのだろうと思います。
整備局長は、数年ごとに変わって行きますから良いでしょうが、住民・自治体職員、首長は、その地域に住み続け、苦悩の歴史を背負って生きています。そこを考える事の出来るの人材が、地方に赴任する官僚に必要と思います。
九州整備局長は、国土交通省の九州のトップで、莫大な予算と権限を持つ地位にあります。強権を持つ官僚政治の代表といえる人の言葉は、重きもあり、波及効果を考えると軽はずみな発言は出来ないと思います。
昨日、国土交通省の春田謙事務次官が、「(前日のは)不適切な発言」と指摘したが、官僚たちが、国家権力を支えているのは国民である事を忘れた発言と思います。罷免を要求されても仕方ないと思います。
昨日の日記の「まちづくり」の考え方から、現代の住民意識の成熟と、地方分権の意識の広がりは、これまでのように地域づくりを国が一貫して取り仕切る仕組みの意義が薄れて来ているように感じます。
・(まちづくり)平がなの「まちづくり」と都市計画の違い
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=927414504&owner_id=2182841
・幕末の政治思想家・横井小楠の言葉
「心に逆らうことあるも、人をとがむることなかれ、とがむれば徳を損ず。
為さんと欲することあるも、心を正(あて)にすることなかれ、心を正にすれば事を破る。君子の道は身を修むるにあり。」
政治家の言動の心得を説いたものです。どれだけ高尚で壮大な計画であれ、司る人物の日々の態度、発言、行動こそが、関係する人々との交渉を、円滑にする第一歩であるように思います。
*参考資料:(現代のまちづくり用語)
「まちづくり」と「都市計画・都市開発」の意味の違い
1.〈市民主体〉
国家権力を担う中央官僚に独占されてきた従来の都市計画・都市開発を見直し、市民が地域の主体だという積極的な意識に立ち、責任ある立場で参画する。
2.〈総合性-ハードとソフト〉
建設事業だけでなく、「まち」をつくるシクミ(仕組み)を整え、ハードを使うソフトをつくり、生活を豊かにする総合的な「まち」を目指す。
3.〈画一性から個性へ〉
国家によって全国一律の画一的基準を押し付けられていたのを改めて、それぞれが地域の個性をもつことを確認し、歴史や風土と人の営みを尊重する。
4.〈量から質へ〉
量だけの充足に留まらず、美しさ、楽しさ、潤い、安らぎ、風格などの質的価値を充足させ、住民が地域に誇りと愛情をもてる持続可能なものとしていく。
5.〈生活の小単位尊重〉
巨大な開発だけではなく、小さなコミュニティ単位の「まち」にも目を向け、身近な生活空間の向上を目指す。
6.〈理念から実践へ〉
理念や構想だけに終わらせず、日常的な生活過程のなかで、たとえ小さなことであっても実践し行動する。
*参考資料:田村明著「まちづくりと景観」
今熊本は、毎日川辺川ダム問題が新聞紙面の多くを占めている。明日、熊本県の蒲島質が、ダム建設の賛否の判断を議会で示す事になっています。
先週、人吉市の田中市長の「ダム白紙撤回」表明以来、関係する首長たちも議会も、住民たちも、知事への陳情が活発になっています。(以下、新聞記事から抜粋)
そんな中、元々が国営ダムのため、国土交通省にも反対派からは、中止の陳情が相次いでいる。一昨日、川辺川を守る会などの52団体の代表が、九州整備局の岡本博局長が、「ダム建設をしないことを選択すれば、水害を受任していただかざるおえない」などと述べて住民を脅したとありました。
また、8月の国土交通省九州整備局が熊本県の蒲島知事へ「ダム中止の場合、関連事業の生活再建に取り組むのは困難」と答えた真意を、賛成首長が見解を求める要望書を出した。(以上、熊本日日新聞より)
二つの記事を読み、国土交通省から見れば、人吉・球磨の住民であろうと、熊本県知事であろうと、国家権力をバックにすれば、これほど威圧する言葉を発することができるのかと思います。
ダム建設論争が40年も長き渡り、住民、市町村、県も含め、議論、闘争を続けて来たことを、国土交通省の官僚たちは雲の上から見ているような感覚なのだろうと思います。
整備局長は、数年ごとに変わって行きますから良いでしょうが、住民・自治体職員、首長は、その地域に住み続け、苦悩の歴史を背負って生きています。そこを考える事の出来るの人材が、地方に赴任する官僚に必要と思います。
九州整備局長は、国土交通省の九州のトップで、莫大な予算と権限を持つ地位にあります。強権を持つ官僚政治の代表といえる人の言葉は、重きもあり、波及効果を考えると軽はずみな発言は出来ないと思います。
昨日、国土交通省の春田謙事務次官が、「(前日のは)不適切な発言」と指摘したが、官僚たちが、国家権力を支えているのは国民である事を忘れた発言と思います。罷免を要求されても仕方ないと思います。
昨日の日記の「まちづくり」の考え方から、現代の住民意識の成熟と、地方分権の意識の広がりは、これまでのように地域づくりを国が一貫して取り仕切る仕組みの意義が薄れて来ているように感じます。
・(まちづくり)平がなの「まちづくり」と都市計画の違い
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=927414504&owner_id=2182841
・幕末の政治思想家・横井小楠の言葉
「心に逆らうことあるも、人をとがむることなかれ、とがむれば徳を損ず。
為さんと欲することあるも、心を正(あて)にすることなかれ、心を正にすれば事を破る。君子の道は身を修むるにあり。」
政治家の言動の心得を説いたものです。どれだけ高尚で壮大な計画であれ、司る人物の日々の態度、発言、行動こそが、関係する人々との交渉を、円滑にする第一歩であるように思います。
*参考資料:(現代のまちづくり用語)
「まちづくり」と「都市計画・都市開発」の意味の違い
1.〈市民主体〉
国家権力を担う中央官僚に独占されてきた従来の都市計画・都市開発を見直し、市民が地域の主体だという積極的な意識に立ち、責任ある立場で参画する。
2.〈総合性-ハードとソフト〉
建設事業だけでなく、「まち」をつくるシクミ(仕組み)を整え、ハードを使うソフトをつくり、生活を豊かにする総合的な「まち」を目指す。
3.〈画一性から個性へ〉
国家によって全国一律の画一的基準を押し付けられていたのを改めて、それぞれが地域の個性をもつことを確認し、歴史や風土と人の営みを尊重する。
4.〈量から質へ〉
量だけの充足に留まらず、美しさ、楽しさ、潤い、安らぎ、風格などの質的価値を充足させ、住民が地域に誇りと愛情をもてる持続可能なものとしていく。
5.〈生活の小単位尊重〉
巨大な開発だけではなく、小さなコミュニティ単位の「まち」にも目を向け、身近な生活空間の向上を目指す。
6.〈理念から実践へ〉
理念や構想だけに終わらせず、日常的な生活過程のなかで、たとえ小さなことであっても実践し行動する。
*参考資料:田村明著「まちづくりと景観」
(まちづくり)平がなの「まちづくり」と都市計画の違い(長文)
2008年09月08日
(まちづくり)平がなの「まちづくり」と都市計画の違い(少々長文)
「まちづくり」とか、最近は「市民協働」とか聞くようになりました。日本も成熟社会なり、人口年齢分布図は、年齢軸のグラフは頭でっかち、地方と年を見ると都市部が若者世代が多く、地方は高齢者が多いと言う事は、みな知るところですが、実はこれからの高齢化の対策が遅れているのは都市部に成ってきます。
集団就職で若い働き手「金の卵」たちの集中が進み、その世代が一気に高齢化して行きます。田舎の農村世帯では、子どもが2人、3人はまだまだざらに居ますが、都市部の出生率は限りなく1人に近づいています。この現状がここ間々続けば、後15年もすると、とんでもない高齢者を支える仕事で、人で不足が深刻となるように思います。今後の都市政策のあり方を変えて、高齢化対策に力を入れているか危惧しています。
さて、今日はその地方の人口減少社会の進む方向は見えているので、そこに活力を戻そうと努力する人たちが、出て来ています。
その良き例をいくつか読み、私が昨年、一昨年と携わった「町並み修景観事業」の先進地の頑張りを知り、人口が減った分、空いた中心市街地の景観を整備し、外から人を呼び込もうと試みている例が、全国に見られます。
その一つ、長野県小布施町のことを、法政大学教授の田村明氏が「まちづくりと景観」で紹介されていました。そのコーディネーターをしている建築家の宮本忠長氏の言葉を印象に残りました。
(本 文)
「建築は、日の丸の旗のようなものだ。あれは白い《地》があって初めて《図》である赤い丸が生きるし、意味がある。建築そのものは赤い丸のような《図》に当るが、《地》である周辺との関係によって生きる。だが、現在の建築設計は《図》だけで終わっている。《地》と一緒に《図》を考えなければ全体として生きない。問題は《図》のほうには金を出す人はいるが、《地》の方には金を出す人がいないことだ。
だが、建築家は《図》を設計するだけでなく、《地》を考えるのも役割だ。《地》は建築の敷地内だけでない。道路と宅地の境界と《官民境界》といい、宅地と宅地の間の境界を《民民境界》というのだが、その境界にとらわれず、建築を取り囲む全体を《地》として考えなければならないのではないか」(中略)
(建築家 宮本忠長氏)
宮本氏は、そこの土地に古くから素材とデザインを引用した現代建築を多く手がけてきました。もちろん、古き町並みの再生にも力を注がれています。
先駆者の言葉には、うなずくだけに迫力を感じます。また、田村氏も次に表現で、まちづくり考え方を説明しています。
(本 文)
・内は自分のもの。外はみんなのもの
この分かりやすい言葉が、こうした(町並み修景事業の)経過の中から生まれた。(中略)建築設計という行為は、その所有者の目的に従って内側を設計するのだが、外側は「まち」全体の中に意味をもつものとすることで、建物と外回りを含め、全体がしっくりとした「まち」をつくり、それぞれの部分が、目的に合って多様に使われている。(中略)
(田村明氏)
私の関わった町並み修景事業は、外観だけを昭和初期に栄えた待ちに風情「白壁」を再生しようと、少ない予算で智恵を絞りやりました。その事業に、20軒を越える商家が参加し、通りに白壁に町並みが再現されています。
ただし、私がやるかには大正初期にそのままは、再生せずに、
・現代の使いやすさを考え、入り口のバリアフリー化
・藁葺き職人がいないので、屋根は黒い瓦、黒の板金
・板壁は、腐り難い板風サイディング
等々、地方の衰退した商圏の中でも、商工会上げて活性化の取り組みました。素敵な町並みが出来上がりました。
~熊本県上益城郡山都町馬見原地区商店街~
完成後のスナップ写真掲載
・続(白壁のまち)春の植木市祭り「初市」風景(熊本県山都町)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=756399885&owner_id=2182841
・その他の建物改修ビフォー・アフターのスナップ
http://mixi.jp/list_album.pl
>内は自分のもの。外はみんなのもの
私的な豊かさと公的な豊かさを考えることが、今後の家作り+まちづくりの考え方に広がると良いなと思います。
長野県小布施町や、熊本県山都町、他、全国には町並み修景事業をたくさんの地方で実施されています。昔の風景を見に、地方へ出かけることが、これから楽しくなると思います。催し見学もかねて、ちょっと美味しいものを食べに出かけて観て下さい。
*参考資料:田村明著「まちづくりと景観」
(現代のまちづくり用語)
「まちづくり」と「都市計画・都市開発」の意味の違い
1.〈市民主体〉
国家権力を担う中央官僚に独占されてきた従来の都市計画・都市開発を見直し、市民が地域の主体だという積極的な意識に立ち、責任ある立場で参画する。
2.〈総合性-ハードとソフト〉
建設事業だけでなく、「まち」をつくるシクミ(仕組み)を整え、ハードを使うソフトをつくり、生活を豊かにする総合的な「まち」を目指す。
3.〈画一性から個性へ〉
国家によって全国一律の画一的基準を押し付けられていたのを改めて、それぞれが地域の個性をもつことを確認し、歴史や風土と人の営みを尊重する。
4.〈量から質へ〉
量だけの充足に留まらず、美しさ、楽しさ、潤い、安らぎ、風格などの質的価値を充足させ、住民が地域に誇りと愛情をもてる持続可能なものとしていく。
5.〈生活の小単位尊重〉
巨大な開発だけではなく、小さなコミュニティ単位の「まち」にも目を向け、身近な生活空間の向上を目指す。
6.〈理念から実践へ〉
理念や構想だけに終わらせず、日常的な生活過程のなかで、たとえ小さなことであっても実践し行動する。
*参考資料:田村明著「まちづくりと景観」
「まちづくり」とか、最近は「市民協働」とか聞くようになりました。日本も成熟社会なり、人口年齢分布図は、年齢軸のグラフは頭でっかち、地方と年を見ると都市部が若者世代が多く、地方は高齢者が多いと言う事は、みな知るところですが、実はこれからの高齢化の対策が遅れているのは都市部に成ってきます。
集団就職で若い働き手「金の卵」たちの集中が進み、その世代が一気に高齢化して行きます。田舎の農村世帯では、子どもが2人、3人はまだまだざらに居ますが、都市部の出生率は限りなく1人に近づいています。この現状がここ間々続けば、後15年もすると、とんでもない高齢者を支える仕事で、人で不足が深刻となるように思います。今後の都市政策のあり方を変えて、高齢化対策に力を入れているか危惧しています。
さて、今日はその地方の人口減少社会の進む方向は見えているので、そこに活力を戻そうと努力する人たちが、出て来ています。
その良き例をいくつか読み、私が昨年、一昨年と携わった「町並み修景観事業」の先進地の頑張りを知り、人口が減った分、空いた中心市街地の景観を整備し、外から人を呼び込もうと試みている例が、全国に見られます。
その一つ、長野県小布施町のことを、法政大学教授の田村明氏が「まちづくりと景観」で紹介されていました。そのコーディネーターをしている建築家の宮本忠長氏の言葉を印象に残りました。
(本 文)
「建築は、日の丸の旗のようなものだ。あれは白い《地》があって初めて《図》である赤い丸が生きるし、意味がある。建築そのものは赤い丸のような《図》に当るが、《地》である周辺との関係によって生きる。だが、現在の建築設計は《図》だけで終わっている。《地》と一緒に《図》を考えなければ全体として生きない。問題は《図》のほうには金を出す人はいるが、《地》の方には金を出す人がいないことだ。
だが、建築家は《図》を設計するだけでなく、《地》を考えるのも役割だ。《地》は建築の敷地内だけでない。道路と宅地の境界と《官民境界》といい、宅地と宅地の間の境界を《民民境界》というのだが、その境界にとらわれず、建築を取り囲む全体を《地》として考えなければならないのではないか」(中略)
(建築家 宮本忠長氏)
宮本氏は、そこの土地に古くから素材とデザインを引用した現代建築を多く手がけてきました。もちろん、古き町並みの再生にも力を注がれています。
先駆者の言葉には、うなずくだけに迫力を感じます。また、田村氏も次に表現で、まちづくり考え方を説明しています。
(本 文)
・内は自分のもの。外はみんなのもの
この分かりやすい言葉が、こうした(町並み修景事業の)経過の中から生まれた。(中略)建築設計という行為は、その所有者の目的に従って内側を設計するのだが、外側は「まち」全体の中に意味をもつものとすることで、建物と外回りを含め、全体がしっくりとした「まち」をつくり、それぞれの部分が、目的に合って多様に使われている。(中略)
(田村明氏)
私の関わった町並み修景事業は、外観だけを昭和初期に栄えた待ちに風情「白壁」を再生しようと、少ない予算で智恵を絞りやりました。その事業に、20軒を越える商家が参加し、通りに白壁に町並みが再現されています。
ただし、私がやるかには大正初期にそのままは、再生せずに、
・現代の使いやすさを考え、入り口のバリアフリー化
・藁葺き職人がいないので、屋根は黒い瓦、黒の板金
・板壁は、腐り難い板風サイディング
等々、地方の衰退した商圏の中でも、商工会上げて活性化の取り組みました。素敵な町並みが出来上がりました。
~熊本県上益城郡山都町馬見原地区商店街~
完成後のスナップ写真掲載
・続(白壁のまち)春の植木市祭り「初市」風景(熊本県山都町)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=756399885&owner_id=2182841
・その他の建物改修ビフォー・アフターのスナップ
http://mixi.jp/list_album.pl
>内は自分のもの。外はみんなのもの
私的な豊かさと公的な豊かさを考えることが、今後の家作り+まちづくりの考え方に広がると良いなと思います。
長野県小布施町や、熊本県山都町、他、全国には町並み修景事業をたくさんの地方で実施されています。昔の風景を見に、地方へ出かけることが、これから楽しくなると思います。催し見学もかねて、ちょっと美味しいものを食べに出かけて観て下さい。
*参考資料:田村明著「まちづくりと景観」
(現代のまちづくり用語)
「まちづくり」と「都市計画・都市開発」の意味の違い
1.〈市民主体〉
国家権力を担う中央官僚に独占されてきた従来の都市計画・都市開発を見直し、市民が地域の主体だという積極的な意識に立ち、責任ある立場で参画する。
2.〈総合性-ハードとソフト〉
建設事業だけでなく、「まち」をつくるシクミ(仕組み)を整え、ハードを使うソフトをつくり、生活を豊かにする総合的な「まち」を目指す。
3.〈画一性から個性へ〉
国家によって全国一律の画一的基準を押し付けられていたのを改めて、それぞれが地域の個性をもつことを確認し、歴史や風土と人の営みを尊重する。
4.〈量から質へ〉
量だけの充足に留まらず、美しさ、楽しさ、潤い、安らぎ、風格などの質的価値を充足させ、住民が地域に誇りと愛情をもてる持続可能なものとしていく。
5.〈生活の小単位尊重〉
巨大な開発だけではなく、小さなコミュニティ単位の「まち」にも目を向け、身近な生活空間の向上を目指す。
6.〈理念から実践へ〉
理念や構想だけに終わらせず、日常的な生活過程のなかで、たとえ小さなことであっても実践し行動する。
*参考資料:田村明著「まちづくりと景観」
Posted by ノグチ(noguchi) at
22:55
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(大分教員汚職)政治家と教育委員会、責任感と言動に注目
2008年09月08日
(大分教員汚職)政治家と教育委員会、責任感と言動に注目
■<大分教員汚職>6人採用取り消し決定、14人の退職認める(毎日新聞 - 09月07日 20:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=600517&media_id=2
> 大分県の08年度教員試験にからむ不正合格者21人(1人は既に退職)の採用取り消しで、県教育委員会は7日、6人の採用取り消し処分を決め、14人の退職を認めた。8日に辞令を交付する予定。20人のうち18人はクラス担任をしており、11人が臨時講師として担任を続ける。7クラスでは担任が代わることになり、教育現場の混乱は続きそうだ。
どんな思いを持ちながら、仕事を続けるのだろうか。
口利きをした人たちの処分は、新聞紙面に出ている人たちも居ると思います。
良心という心を教える教師の職場が、混乱したまま、臨時職員で担任を続けさせる教育委員会の評価は、大分県民及び、教職員自らの倫理観に頼るしかない。
>11人が臨時講師として担任を続ける。
若い教師、たぶん研修期間にある教員1年生の心が心配になる。
大分県だけでなく他県の教員採用試験、昇進を今後どのような仕組みを作り、正当な評価を持って教育委員会が運営される願いたいものです。
昨日ニュースを見ていたら、大阪の橋下知事が、大阪府教育委員会の罵倒する文字にハッとしました。
■<橋下知事>ラジオで「くそ教育委員会」学力テスト公表巡り
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=600563&media_id=2
>「くそ教育委員会のメンバーが発表しないと言う。府教委に任せていては立ち行かない」と述べる場面もあった。
トップである事は注目と影響力を持つものです。
きつい言葉で非難すると反発も大きいものです。
リーダーたるものは、民意の思いを上手く伝え、促し、行動させる工夫が必要と思います。
各県共に教育委員会の質の低下はあると思いますが、少々強すぎることばのように感じます。識者たちの言葉に出てくるのは、「日本の教育をどうにかしないと・・・」と良く出てきます。
そういう識者たちこそ、教育改革の先導役になって、地域の教育を改善すべきではないかと思います。両親と倫理、そして未来を支える知識を、子供たちにしっかり伝える教師たちが増えるとことを願っています。
その大人の見本こそ、政治家の言動にあると思います。総理大臣、知事、市長等は、その意識を持って日々の仕事、生活をして欲しいと思います。
~~「言志四録」佐藤一斎~
・言志四録の基本から読ませて戴きます。
「少にして学べば則ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば則ち老いて衰えず。
老いて学べば則ち死して朽ちず」
これらの境地は、壺中有天の「天」の境地にあるとお考え下さい。
・六中観は、人間学講座で求めている判断基準を、ずばり表現している言葉です。
<六中観>
死中・活有り。
苦中・楽有り。
忙中・閑有り。
壺中・天有り。
意中・人有り。
腹中・書有り。
■<大分教員汚職>6人採用取り消し決定、14人の退職認める(毎日新聞 - 09月07日 20:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=600517&media_id=2
> 大分県の08年度教員試験にからむ不正合格者21人(1人は既に退職)の採用取り消しで、県教育委員会は7日、6人の採用取り消し処分を決め、14人の退職を認めた。8日に辞令を交付する予定。20人のうち18人はクラス担任をしており、11人が臨時講師として担任を続ける。7クラスでは担任が代わることになり、教育現場の混乱は続きそうだ。
どんな思いを持ちながら、仕事を続けるのだろうか。
口利きをした人たちの処分は、新聞紙面に出ている人たちも居ると思います。
良心という心を教える教師の職場が、混乱したまま、臨時職員で担任を続けさせる教育委員会の評価は、大分県民及び、教職員自らの倫理観に頼るしかない。
>11人が臨時講師として担任を続ける。
若い教師、たぶん研修期間にある教員1年生の心が心配になる。
大分県だけでなく他県の教員採用試験、昇進を今後どのような仕組みを作り、正当な評価を持って教育委員会が運営される願いたいものです。
昨日ニュースを見ていたら、大阪の橋下知事が、大阪府教育委員会の罵倒する文字にハッとしました。
■<橋下知事>ラジオで「くそ教育委員会」学力テスト公表巡り
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=600563&media_id=2
>「くそ教育委員会のメンバーが発表しないと言う。府教委に任せていては立ち行かない」と述べる場面もあった。
トップである事は注目と影響力を持つものです。
きつい言葉で非難すると反発も大きいものです。
リーダーたるものは、民意の思いを上手く伝え、促し、行動させる工夫が必要と思います。
各県共に教育委員会の質の低下はあると思いますが、少々強すぎることばのように感じます。識者たちの言葉に出てくるのは、「日本の教育をどうにかしないと・・・」と良く出てきます。
そういう識者たちこそ、教育改革の先導役になって、地域の教育を改善すべきではないかと思います。両親と倫理、そして未来を支える知識を、子供たちにしっかり伝える教師たちが増えるとことを願っています。
その大人の見本こそ、政治家の言動にあると思います。総理大臣、知事、市長等は、その意識を持って日々の仕事、生活をして欲しいと思います。
~~「言志四録」佐藤一斎~
・言志四録の基本から読ませて戴きます。
「少にして学べば則ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば則ち老いて衰えず。
老いて学べば則ち死して朽ちず」
これらの境地は、壺中有天の「天」の境地にあるとお考え下さい。
・六中観は、人間学講座で求めている判断基準を、ずばり表現している言葉です。
<六中観>
死中・活有り。
苦中・楽有り。
忙中・閑有り。
壺中・天有り。
意中・人有り。
腹中・書有り。
(信用と哲学)人間愛と恩恵、人の心を大切に~本田宗一郎~
2008年09月07日
(信用と哲学)人間愛と恩恵、人の心を大切に~本田宗一郎~
仕事も社会活動も人の協力なしには進まない。どうして協力をしてくれるのか、またどうやったら協力をしてもらえるか、考える事があります。
今朝も毎週日曜日のキッズサッカー教室をしたのですが、11年前2人のコーチをしたのですが、今は5人体制になり、すそ野がだいぶ広がってきました。更に、5年前小学校2校と中学校の連絡会で中体連を応援しようと、今年サッカー育成会が発足ました。人のつながりこそ、地域を活性化すると思います。
本田宗一郎の理念をまとめた冊子に、「信用とは」「哲学を使いながら生きる」の見出しを読み、これについて書いた見たくなりました。
「人間生活は、さざまな人間関係を土台として、無数の人の恩恵によって築きあげれられている」
「(信用はあ、)つまり自分の人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること、これに尽きると思う」
「(哲学とは、)一人に人間がよりよく生きるために志向や体験を積み重ねていく行為である」
「私にとっての哲学は、人の心を大切にする、ということに尽きるようだ」
本田宗一郎の魅力は、相手の心を大切にし、その人のために何ができかを考えるだけでなく、実行してきたからにあると思います。
信用とは、人に恩恵を与えること。
哲学とは、人の心を大切にすること。
大分教員採用汚職、違反米の流通、首相の突然の辞任、等々、そこに関わる方々に恩恵を与えることを常に考えていたら、こんな自体にはならないのではないかと思います。
本来採用されるはずの教師希望者たち、安全は米と思って食べた人たち、様々なところで矛盾を感じる国民、等々、やりきれない気持ちは晴れないと思います。
人に恩恵を与える、人の心を大切にする、何気ないことばですが、なかなか出来ないことと思います。いつも、私が、私が、と思っている現代人の忘れている生き方と思います。
>後藤新平の有名な「自治三訣」(人のおせわにならぬやう 人の御世話をするやう そしてむくいをもとめぬやう)
自治三訣の心を持つ「理想人間像」の理念を、自分の生活に少しでも加味しながら、生きることを目指したいと思います。
【正論】今日に必要な「理想人間像」 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080725/crm0807250248001-n1.htm
仕事も社会活動も人の協力なしには進まない。どうして協力をしてくれるのか、またどうやったら協力をしてもらえるか、考える事があります。
今朝も毎週日曜日のキッズサッカー教室をしたのですが、11年前2人のコーチをしたのですが、今は5人体制になり、すそ野がだいぶ広がってきました。更に、5年前小学校2校と中学校の連絡会で中体連を応援しようと、今年サッカー育成会が発足ました。人のつながりこそ、地域を活性化すると思います。
本田宗一郎の理念をまとめた冊子に、「信用とは」「哲学を使いながら生きる」の見出しを読み、これについて書いた見たくなりました。
「人間生活は、さざまな人間関係を土台として、無数の人の恩恵によって築きあげれられている」
「(信用はあ、)つまり自分の人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること、これに尽きると思う」
「(哲学とは、)一人に人間がよりよく生きるために志向や体験を積み重ねていく行為である」
「私にとっての哲学は、人の心を大切にする、ということに尽きるようだ」
本田宗一郎の魅力は、相手の心を大切にし、その人のために何ができかを考えるだけでなく、実行してきたからにあると思います。
信用とは、人に恩恵を与えること。
哲学とは、人の心を大切にすること。
大分教員採用汚職、違反米の流通、首相の突然の辞任、等々、そこに関わる方々に恩恵を与えることを常に考えていたら、こんな自体にはならないのではないかと思います。
本来採用されるはずの教師希望者たち、安全は米と思って食べた人たち、様々なところで矛盾を感じる国民、等々、やりきれない気持ちは晴れないと思います。
人に恩恵を与える、人の心を大切にする、何気ないことばですが、なかなか出来ないことと思います。いつも、私が、私が、と思っている現代人の忘れている生き方と思います。
>後藤新平の有名な「自治三訣」(人のおせわにならぬやう 人の御世話をするやう そしてむくいをもとめぬやう)
自治三訣の心を持つ「理想人間像」の理念を、自分の生活に少しでも加味しながら、生きることを目指したいと思います。
【正論】今日に必要な「理想人間像」 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080725/crm0807250248001-n1.htm
(相撲界騒動)けいこ総見 露鵬は姿を見せず~大麻疑惑~
2008年09月05日

(相撲界騒動)けいこ総見 露鵬は姿を見せず~大麻疑惑~
■(相撲界)けいこ総見 露鵬は姿を見せず
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=598655&media_id=2
>幕内は上位力士が参加したが、大麻使用疑惑の渦中にある西前頭3枚目・露鵬は姿を見せなかった。
■(相撲界)薬物汚染疑惑が宙に…露鵬、白露山、純粋な姿どこへ?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=599112&media_id=43
>露鵬は敢闘賞受賞の知らせを聞くと、こう言って肩を震わせた。
>「病院はまだ犠牲者でいっぱいで、手術の順番を待っている。賞金(200万円)は、犠牲者たちに贈るよ」
北京オリンピックでは、ドーピング疑惑。
日本相撲界は、大麻疑惑。
だいぶ質の違う、ルール違反と思います。
どちらもルール違反であるが、大麻問題は、社会通念の犯す行為、親方衆の監督不行き届きも含め、海外から力士に対する目が変わって来ると思います。
番付を見ると、海外の言葉を日本語にもじった四股名が目立っています。
海外から来る、少年たちは相撲で成功しようと夢と挑戦の心で来ると思います。見知らぬ異国のスポーツに、心身ともに全力をつぎ込む日々で、気を抜く、厳しい稽古を忘れたい気持ちは分かるが、薬物への依存は許しがたい。
親方は、親代わりと良く聞きます。
厳しさと優しさを、週間の違う子どもたちへ思いを伝え、成長を促す努力は日本人同士でも難しいのですから、海外から来る力士へ配慮は、部屋だけでなく、相撲界が総力を上げて、サポート体制を整えることが必要と思います。
日本の国技である相撲も、国際化の中で「開国」が、求められているのかもしれません。
(福田氏退陣)「なぜ、いま」…首相退陣に驚き、怒り、戸惑い
2008年09月04日
(福田氏退陣)「なぜ、いま」…首相退陣に驚き、怒り、戸惑い
■「なぜ、いま」…首相退陣に驚き、怒り、戸惑い(読売新聞 - 09月01日 21:57)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=594750&media_id=20
>「今が政治空白を作らない一番の時期と考え、ほかの人に託した方がより良いと考えた」と述べ、
>今後の政権への影響を淡々と語る首相に、質問に立った記者から「人ごとのようだ」との声も。これには「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」と間髪を入れず反論した。
成熟した国家に、国民が望むリーダーは、既成の政党、既成の団体、長く地位を占めたグループから、出現し難いと、二千年前の賢人も語っています。
まして、依存傾向の高い日本人の権力機構からは、出にくい環境が整い(安住)過ぎていて、期待できないと政治学者の姜尚中氏も、今年の念頭挨拶で語っていました。
昭和の哲学者、安岡正篤先生が書かれた「孟子」の解説書に次の一説があります。
(安岡正篤著「孟子」より)
日本人は、学問で信仰でも芸術でも、それこそ酒でも料理でも何でも自由自在に取り入れる、・・・・不思議な能力をもっているのは確かですが、しかし、国民としては「凡民」であります。指導者とか音頭取り、自分を率いてくれる者がいなければ何も決断・断行できない。いくら民主主義だの自由主義だのと言っても、国民に任せておいてたのでは何もしません。だからこそ政治家とか経営者が、国民に迎合していてのでは、日本は少しも進歩しません。やはり「猶興の士」が出てこなければ、日本はどうにもならない。
そこで、日本の国民に新しい時代を創り、新しい勃興を起こす音頭取り、旗頭とはいかなる人物であるか。いかなる条件を要するか、これが今後の日本の政治学、社会学の一番大事な問題になる。今の政治家、政治評論家、ジャーナリストなどはこういう言葉にもっと敏感になってえくれなければ困る。そしてそういう「猶興の士」を出す、あるいは出られるような雰囲気を作っていかなければならないと思うのであります。(中略)
(「孟子」より)
「孟子曰く、文王を待ちてしかる後に興(おこ)る者、凡民なり。夫(か)の豪傑の士の若(ごと)きは、文王なしと雖(いえど)も猶(なお)興る」
(解 釈)~安岡正篤訳~
孟子は言う、「(周の)文王のような聖王の指導を待って初めて感奮興起するのは、凡庸な人民である。かの人並みはずれた豪傑の士などは、文王の指導と教化がなくても、自ら独力で興起するものである」
明日から本格化する自民党総裁選挙ですが、真のリーダーが誰か、自民党員だけでなく、次期総理大臣として誰が適任か、「猶興の士」に近き人は誰か、検証し、疑問には様々な方法を使い、意見を伝えて行くべきと思います。
国民全員が真剣に考え、意見を伝える努力をして欲しいと思います。
*参考資料:安岡正篤著「孟子」~尽心章句を読む~
<関連の日記>
・(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=920838231&owner_id=2182841
・「私たちの進む方向は?」新年特集記事から考える
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=674437437&owner_id=2182841
これからのリーダーは、地方から生まれて来ると思う(姜尚中氏)
■「なぜ、いま」…首相退陣に驚き、怒り、戸惑い(読売新聞 - 09月01日 21:57)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=594750&media_id=20
>「今が政治空白を作らない一番の時期と考え、ほかの人に託した方がより良いと考えた」と述べ、
>今後の政権への影響を淡々と語る首相に、質問に立った記者から「人ごとのようだ」との声も。これには「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」と間髪を入れず反論した。
成熟した国家に、国民が望むリーダーは、既成の政党、既成の団体、長く地位を占めたグループから、出現し難いと、二千年前の賢人も語っています。
まして、依存傾向の高い日本人の権力機構からは、出にくい環境が整い(安住)過ぎていて、期待できないと政治学者の姜尚中氏も、今年の念頭挨拶で語っていました。
昭和の哲学者、安岡正篤先生が書かれた「孟子」の解説書に次の一説があります。
(安岡正篤著「孟子」より)
日本人は、学問で信仰でも芸術でも、それこそ酒でも料理でも何でも自由自在に取り入れる、・・・・不思議な能力をもっているのは確かですが、しかし、国民としては「凡民」であります。指導者とか音頭取り、自分を率いてくれる者がいなければ何も決断・断行できない。いくら民主主義だの自由主義だのと言っても、国民に任せておいてたのでは何もしません。だからこそ政治家とか経営者が、国民に迎合していてのでは、日本は少しも進歩しません。やはり「猶興の士」が出てこなければ、日本はどうにもならない。
そこで、日本の国民に新しい時代を創り、新しい勃興を起こす音頭取り、旗頭とはいかなる人物であるか。いかなる条件を要するか、これが今後の日本の政治学、社会学の一番大事な問題になる。今の政治家、政治評論家、ジャーナリストなどはこういう言葉にもっと敏感になってえくれなければ困る。そしてそういう「猶興の士」を出す、あるいは出られるような雰囲気を作っていかなければならないと思うのであります。(中略)
(「孟子」より)
「孟子曰く、文王を待ちてしかる後に興(おこ)る者、凡民なり。夫(か)の豪傑の士の若(ごと)きは、文王なしと雖(いえど)も猶(なお)興る」
(解 釈)~安岡正篤訳~
孟子は言う、「(周の)文王のような聖王の指導を待って初めて感奮興起するのは、凡庸な人民である。かの人並みはずれた豪傑の士などは、文王の指導と教化がなくても、自ら独力で興起するものである」
明日から本格化する自民党総裁選挙ですが、真のリーダーが誰か、自民党員だけでなく、次期総理大臣として誰が適任か、「猶興の士」に近き人は誰か、検証し、疑問には様々な方法を使い、意見を伝えて行くべきと思います。
国民全員が真剣に考え、意見を伝える努力をして欲しいと思います。
*参考資料:安岡正篤著「孟子」~尽心章句を読む~
<関連の日記>
・(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=920838231&owner_id=2182841
・「私たちの進む方向は?」新年特集記事から考える
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=674437437&owner_id=2182841
これからのリーダーは、地方から生まれて来ると思う(姜尚中氏)
(感激と人生)男(女)が40代にやっておくべきこと~鈴木健二
2008年09月03日
(感激と人生)男(女)が40代にやっておくべきこと~鈴木健二~
私は、今年50才になりました。
先週、娘の学校へ迎えに行く前に、運動のためにとランニングでもしようかと、早めに家を出た途端、雨が振り出し、待ち時間が余ってしい、さてどうするで考えて・・・、リサイクルの本屋を回り「男が40代にやっておくべきこと」(鈴木健二著、新潮社文庫、昭和61年初版)の本を見つけ、読み始めました。ところが、元々ランニングしようと思って出たので、財布は持って無いし、・・・「よし、車を捜そう」と、ガソリンのつり銭を入れに180円、本の値段は105円-買えました-、即購入し読み始め、いや実に面白い本です。
実は、財布を家に忘れのは良いのですが、運転免許証も家に置いて出て来ていました。頭がランニングでいっぱいで、天候のことも調べず出てきたのですが、とても素敵な掘り出しもの(本)に出会いました。(何でも、「良」と考える性格です)
その本で一番強烈だった一節を紹介します。これは、40代の精神力の項目にありました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(本 文)
・・・、ずっと以前、私(鈴木氏)は精神薄弱児の父と呼ばれた故糸賀一雄博士と行(こう)を共にする機会があった。私が、精神薄弱児達の様子を見て、
「先生、この子達に何とかして光を与えたいですね」
と、言った時、糸賀さんは静かに言われた。
「鈴木さん、それは間違いです。この子達が光りなのです」
この言葉が私のものの見方、または人の見方を変えた。私は丁度四十歳であった。
精薄児達は人をだますことも、嘘(うそ)をつくことも、あざむくことも、嘲笑すつことも知らないのである。教えられたことを忠実に守り、一つだけ残っていた才能を芽生えさせ、成長させる努力を続けているのである。見かけはうちとけにくいが、正直で本当に素直なのである。
おそらく、糸賀さんにしても、この言葉を自分のものになさるまでには、かなりの苦労と克己心などを要したに違いないと思う。人間なんて、そう簡単に悟りきれるものではないし、他人の長所を限りない愛と尊敬をもって見つめるなどということは、そう容易にできなはしないのだ。しかし、私には自己嫌悪の恥ずかしさと同じに、天啓にも似た響きがあったのを、昨日のことのように鮮やかに記憶している。
(40代の)気力があるというのは、前にも述べたように、外国へ行ってみるとか、新しい勉強を始めるといった行動だけを指すのではない。私が糸賀さんの一言に完全に息の根をとめられたような一種の感激性もその中に含まれているのである。(中略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
鈴木氏は、この経験を境にして、大きな転機を迎えるのですが、人の行動の起点には、感激性を持つ体験があるように思います。
そして、この40代にまつわることが、この「男が40代にやっておくべきこと」に出てくるのですが、例えば、
「仕事」「地位」「人間関係」「運」「判断力」「精神力」「・・」・・・・
夫婦の関係、親子関係、等々、自分の生きてきた40台を振り返り、間違っていたか、いなかった、検証する良き材料(尺度)に使えるように思います。
今日は、自分の意見よりも、みなさんに考えてもらえる材料が良いと思い、「男が40代にやっておくべきこと」の最初の「仕事」のテーマの末尾に言葉を、紹介して終わりたいと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(本 文)
・・・、四十代は最も男の匂いのする年代なのである。母親の匂いだけを慕っていたこそども達が、男の匂いをかぎつける年齢に成長してきているのである。逞(たくま)しさとか信頼感が子供達の心を満たす。父親はそのうまく応えてやらなくてはならない。(中略)・・・、教育にとって必要なのは、教えるよりも育てることなのだが、親が自分の意志を子供に伝え、少しでも自分が描く理想の人物に近づけるようと努力できるのは、四十代が最後のチャンスである。
もちろん、その反面には、女に溺れ、賭け事に埋没して、あらたな人生を棒に振る人も数多くいることに注目しなくてはならない。汚職事件が起ると、真っ先にビルから飛び降りて、取らなくてもいい責任を取ったように錯覚するのも四十代の男である。
こうしてみると、四十代には、男が人間として、逆に人間として男が、やっておかくてはならない仕事が誰にでも共通してあるようである。それは自分の人生が終わる時に、充実感をもって振り返り微笑することができるか、反対に、不満に包まれて、後悔の涙を流すかの一番基本のなる世代なのではなかろうか。少なくとも、五十歳まで、あるいはそれ以上生き得た人の生涯の実質的頂点が四十代であるような気がしてはならない、(中略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これは、四十代の男を、四十代の女と読み替えて当たる部分が多々あります。話題の一つに使えると思いますし、日々の生活の役に立つと思います。
後日、いくつかのエピーソードを紹介して行きたいと思います。
今日は、手抜き日記になりました。
でも、長文を最後まで読み頂き感謝します。
*参考資料:鈴木健二著「男が40代にやっておくべきこと」(新潮社文庫)
~実は、この本は鈴木氏が50才に成った時に書かれたものです。~
<以前の日記>
・郵便の風景印は、地域のメッセージ ~ドゥルー女史と住吉干潟~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=921880188&owner_id=2182841
・(これが元政治家)子供を産まない女性は国家に必要ない~ハマコー暴言~
~川島なお美 ハマコー暴言に絶句
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=921311349&owner_id=2182841
・(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=920838231&owner_id=2182841
私は、今年50才になりました。
先週、娘の学校へ迎えに行く前に、運動のためにとランニングでもしようかと、早めに家を出た途端、雨が振り出し、待ち時間が余ってしい、さてどうするで考えて・・・、リサイクルの本屋を回り「男が40代にやっておくべきこと」(鈴木健二著、新潮社文庫、昭和61年初版)の本を見つけ、読み始めました。ところが、元々ランニングしようと思って出たので、財布は持って無いし、・・・「よし、車を捜そう」と、ガソリンのつり銭を入れに180円、本の値段は105円-買えました-、即購入し読み始め、いや実に面白い本です。
実は、財布を家に忘れのは良いのですが、運転免許証も家に置いて出て来ていました。頭がランニングでいっぱいで、天候のことも調べず出てきたのですが、とても素敵な掘り出しもの(本)に出会いました。(何でも、「良」と考える性格です)
その本で一番強烈だった一節を紹介します。これは、40代の精神力の項目にありました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(本 文)
・・・、ずっと以前、私(鈴木氏)は精神薄弱児の父と呼ばれた故糸賀一雄博士と行(こう)を共にする機会があった。私が、精神薄弱児達の様子を見て、
「先生、この子達に何とかして光を与えたいですね」
と、言った時、糸賀さんは静かに言われた。
「鈴木さん、それは間違いです。この子達が光りなのです」
この言葉が私のものの見方、または人の見方を変えた。私は丁度四十歳であった。
精薄児達は人をだますことも、嘘(うそ)をつくことも、あざむくことも、嘲笑すつことも知らないのである。教えられたことを忠実に守り、一つだけ残っていた才能を芽生えさせ、成長させる努力を続けているのである。見かけはうちとけにくいが、正直で本当に素直なのである。
おそらく、糸賀さんにしても、この言葉を自分のものになさるまでには、かなりの苦労と克己心などを要したに違いないと思う。人間なんて、そう簡単に悟りきれるものではないし、他人の長所を限りない愛と尊敬をもって見つめるなどということは、そう容易にできなはしないのだ。しかし、私には自己嫌悪の恥ずかしさと同じに、天啓にも似た響きがあったのを、昨日のことのように鮮やかに記憶している。
(40代の)気力があるというのは、前にも述べたように、外国へ行ってみるとか、新しい勉強を始めるといった行動だけを指すのではない。私が糸賀さんの一言に完全に息の根をとめられたような一種の感激性もその中に含まれているのである。(中略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
鈴木氏は、この経験を境にして、大きな転機を迎えるのですが、人の行動の起点には、感激性を持つ体験があるように思います。
そして、この40代にまつわることが、この「男が40代にやっておくべきこと」に出てくるのですが、例えば、
「仕事」「地位」「人間関係」「運」「判断力」「精神力」「・・」・・・・
夫婦の関係、親子関係、等々、自分の生きてきた40台を振り返り、間違っていたか、いなかった、検証する良き材料(尺度)に使えるように思います。
今日は、自分の意見よりも、みなさんに考えてもらえる材料が良いと思い、「男が40代にやっておくべきこと」の最初の「仕事」のテーマの末尾に言葉を、紹介して終わりたいと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(本 文)
・・・、四十代は最も男の匂いのする年代なのである。母親の匂いだけを慕っていたこそども達が、男の匂いをかぎつける年齢に成長してきているのである。逞(たくま)しさとか信頼感が子供達の心を満たす。父親はそのうまく応えてやらなくてはならない。(中略)・・・、教育にとって必要なのは、教えるよりも育てることなのだが、親が自分の意志を子供に伝え、少しでも自分が描く理想の人物に近づけるようと努力できるのは、四十代が最後のチャンスである。
もちろん、その反面には、女に溺れ、賭け事に埋没して、あらたな人生を棒に振る人も数多くいることに注目しなくてはならない。汚職事件が起ると、真っ先にビルから飛び降りて、取らなくてもいい責任を取ったように錯覚するのも四十代の男である。
こうしてみると、四十代には、男が人間として、逆に人間として男が、やっておかくてはならない仕事が誰にでも共通してあるようである。それは自分の人生が終わる時に、充実感をもって振り返り微笑することができるか、反対に、不満に包まれて、後悔の涙を流すかの一番基本のなる世代なのではなかろうか。少なくとも、五十歳まで、あるいはそれ以上生き得た人の生涯の実質的頂点が四十代であるような気がしてはならない、(中略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これは、四十代の男を、四十代の女と読み替えて当たる部分が多々あります。話題の一つに使えると思いますし、日々の生活の役に立つと思います。
後日、いくつかのエピーソードを紹介して行きたいと思います。
今日は、手抜き日記になりました。
でも、長文を最後まで読み頂き感謝します。
*参考資料:鈴木健二著「男が40代にやっておくべきこと」(新潮社文庫)
~実は、この本は鈴木氏が50才に成った時に書かれたものです。~
<以前の日記>
・郵便の風景印は、地域のメッセージ ~ドゥルー女史と住吉干潟~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=921880188&owner_id=2182841
・(これが元政治家)子供を産まない女性は国家に必要ない~ハマコー暴言~
~川島なお美 ハマコー暴言に絶句
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=921311349&owner_id=2182841
・(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=920838231&owner_id=2182841
(ハマコー暴言)子供を産まない女性は国家に必要ない
2008年09月02日
(ハマコー暴言)子供を産まない女性は国家に必要ない~これが元政治家~
~川島なお美 ハマコー暴言に絶句~(デイリースポーツ - 09月02日)
「都内で行われた映画「幸せの1ページ」(6日公開)のトークイベント」
■川島なお美 ハマコー暴言に絶句
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=595120&media_id=30
>ハマコー(浜田氏)は、女優・川島なお美さんに、「あなたは子供を産まなさそうだね。3人以上子供を産まない女性は国家にとって必要な女性じゃない」
>「偶然の出会いが人を幸せにする。素晴らしいじゃないか」と絶賛していたが、この日初めて会った川島には幸せどころか、後味の悪い思いをさせていた。
こんな発言をいつもやる人を、何で出すのでしょうか?
企画をするプロデューサーの「話題狙い」が見え隠れします。
「ハマコー」なる人物は、元政治家ですよね、森元首相も含め、暴言、実現の絶えない現代の政治家たちに、もっと謙虚に、地道な仕事をして欲しいと思います。
二日前に書いた日記、小林秀雄の「人生の鍛錬」の言葉を再度書きます。
政治家さん、早く上るための宣伝活動ではなく、自分自身を磨き信用を得ること重視し、、実力を付け信頼できるリーダーたちと交友し、見えない力で支える底力をつけて欲しいと思います。
「君子の道は身を修めるにあり」
幕末の政治思想家、横井小楠のリーダー論について語った漢詩の末尾にある言葉です。
一人ひとりの自分を高める修養こそが必要なのかもしれません。
<以前の日記>
・(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
・自分で自分の行動をチェックする(福田首相辞任の行動)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34630840&comment_count=0&comm_id=2310909
~川島なお美 ハマコー暴言に絶句~(デイリースポーツ - 09月02日)
「都内で行われた映画「幸せの1ページ」(6日公開)のトークイベント」
■川島なお美 ハマコー暴言に絶句
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=595120&media_id=30
>ハマコー(浜田氏)は、女優・川島なお美さんに、「あなたは子供を産まなさそうだね。3人以上子供を産まない女性は国家にとって必要な女性じゃない」
>「偶然の出会いが人を幸せにする。素晴らしいじゃないか」と絶賛していたが、この日初めて会った川島には幸せどころか、後味の悪い思いをさせていた。
こんな発言をいつもやる人を、何で出すのでしょうか?
企画をするプロデューサーの「話題狙い」が見え隠れします。
「ハマコー」なる人物は、元政治家ですよね、森元首相も含め、暴言、実現の絶えない現代の政治家たちに、もっと謙虚に、地道な仕事をして欲しいと思います。
二日前に書いた日記、小林秀雄の「人生の鍛錬」の言葉を再度書きます。
政治家さん、早く上るための宣伝活動ではなく、自分自身を磨き信用を得ること重視し、、実力を付け信頼できるリーダーたちと交友し、見えない力で支える底力をつけて欲しいと思います。
「君子の道は身を修めるにあり」
幕末の政治思想家、横井小楠のリーダー論について語った漢詩の末尾にある言葉です。
一人ひとりの自分を高める修養こそが必要なのかもしれません。
<以前の日記>
・(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
・自分で自分の行動をチェックする(福田首相辞任の行動)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34630840&comment_count=0&comm_id=2310909
(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
2008年09月02日
(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
~これからのリーダーは、地方から生まれて来ると思う~(姜尚中氏)
■またしても政権投げ出し、政治の責任自覚せよ…読売政治部長
(読売新聞 - 09月02日 03:08)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=594920&media_id=20
>自民党だけでなく連立相手の公明党からも「福田首相では選挙は戦えない」との声が半ば公然と聞かれるようになった。衆院議員の任期が残り約1年となる中、与党内の「福田離れ」が急速に進んでいた。
>野党第1党の民主党は選挙に追い込むことを最優先にして政策論議を拒否すべきではない。
選挙の予定が、首相退陣で混迷が深まるばかりですね。
日本は、どうなるのだろうか。
借金漬け、年金問題、支持率低迷、等々・・・
>「4年堅持できないような人は(首相に)ならないほうがいいです。1年間を全力投球でやりますなんて言う人は駄目ですよ」(福田氏、3年前)
と福田氏自身が語っていたが、1年持たずに首相の座から居なくなってしまいました。地方からの行動が、求められる時代になって来たように思います。
<地元紙・投稿文>~2008年1月4日~
改革の主体は 市民と地方へ
1月3日熊日朝刊に、作家の立花隆氏は、「日本社会は、戦後民主主義教育を受けた世代は、幅広い考えを持ち、意見は衝突するが協力し合う力を培っている。」と書いていました。21世紀の改革の主体は、『官から民へ』移って行くと思います。
また立花氏は、「日本の経済成長に、大きく貢献したのは平和憲法の存在」とありました。それを象徴した出来事に、冷戦終結の米ソ首脳会談で、「もう冷戦はやめよう。冷戦でいがみ合っているうちに、いいところは日本にみんなもっていかれてしまった。」と語ったと紹介しています。これから、いかに平和が大事か、国際関係が大事か、そして国がどこを目指しているかが大事か教えられます。
同日の朝刊に、熊本出身の政治学者・姜尚中(かんさんじゅん)氏は、国政の情勢を検証し、「日本のリーダーたちは、これだけ世襲化が進むと結局、リアルなものがよく分からなくなっている。これからのリーダーは、地方から生まれて来ると思う。」には元気付けられました。両氏の提言から、時代に合わせた学びが大事と教えられます。
論語の冒頭に「学びて時に之を習う」の言葉があります。その意味を哲学者故安岡正篤氏は、「その時代、その時勢に合わせて勉強してこそ学問・学習」と説いています。これからは、社会に関心を持ち、発言し、行動する市民の育成が必要だと思います。
<関連ニュース>
・「日本の“二代目”政治家に強靭さ不足」、福田・安倍両首相を論評―大学教授(Record China - 09月02日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=595831&media_id=31
<首相退陣表明>
・民主、「麻生氏後任」に恐れも
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=594777&media_id=2&m=1&ref=news%3Aright%3Aaccess
民主党幹部は、
「福田さんで総選挙をやってほしかった」(幹部)の本音も漏れる。
「麻生太郎幹事長が後任首相になれば、自民党のイメージが明るくなり、現在の民主党優勢の世論にも影響する」と受け止める向きが大勢だ。
<以前の日記>
・(人間観察)自己宣伝が栄えるのは、人が己を失った時。~小林秀雄語録~
~これからのリーダーは、地方から生まれて来ると思う~(姜尚中氏)
■またしても政権投げ出し、政治の責任自覚せよ…読売政治部長
(読売新聞 - 09月02日 03:08)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=594920&media_id=20
>自民党だけでなく連立相手の公明党からも「福田首相では選挙は戦えない」との声が半ば公然と聞かれるようになった。衆院議員の任期が残り約1年となる中、与党内の「福田離れ」が急速に進んでいた。
>野党第1党の民主党は選挙に追い込むことを最優先にして政策論議を拒否すべきではない。
選挙の予定が、首相退陣で混迷が深まるばかりですね。
日本は、どうなるのだろうか。
借金漬け、年金問題、支持率低迷、等々・・・
>「4年堅持できないような人は(首相に)ならないほうがいいです。1年間を全力投球でやりますなんて言う人は駄目ですよ」(福田氏、3年前)
と福田氏自身が語っていたが、1年持たずに首相の座から居なくなってしまいました。地方からの行動が、求められる時代になって来たように思います。
<地元紙・投稿文>~2008年1月4日~
改革の主体は 市民と地方へ
1月3日熊日朝刊に、作家の立花隆氏は、「日本社会は、戦後民主主義教育を受けた世代は、幅広い考えを持ち、意見は衝突するが協力し合う力を培っている。」と書いていました。21世紀の改革の主体は、『官から民へ』移って行くと思います。
また立花氏は、「日本の経済成長に、大きく貢献したのは平和憲法の存在」とありました。それを象徴した出来事に、冷戦終結の米ソ首脳会談で、「もう冷戦はやめよう。冷戦でいがみ合っているうちに、いいところは日本にみんなもっていかれてしまった。」と語ったと紹介しています。これから、いかに平和が大事か、国際関係が大事か、そして国がどこを目指しているかが大事か教えられます。
同日の朝刊に、熊本出身の政治学者・姜尚中(かんさんじゅん)氏は、国政の情勢を検証し、「日本のリーダーたちは、これだけ世襲化が進むと結局、リアルなものがよく分からなくなっている。これからのリーダーは、地方から生まれて来ると思う。」には元気付けられました。両氏の提言から、時代に合わせた学びが大事と教えられます。
論語の冒頭に「学びて時に之を習う」の言葉があります。その意味を哲学者故安岡正篤氏は、「その時代、その時勢に合わせて勉強してこそ学問・学習」と説いています。これからは、社会に関心を持ち、発言し、行動する市民の育成が必要だと思います。
<関連ニュース>
・「日本の“二代目”政治家に強靭さ不足」、福田・安倍両首相を論評―大学教授(Record China - 09月02日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=595831&media_id=31
<首相退陣表明>
・民主、「麻生氏後任」に恐れも
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=594777&media_id=2&m=1&ref=news%3Aright%3Aaccess
民主党幹部は、
「福田さんで総選挙をやってほしかった」(幹部)の本音も漏れる。
「麻生太郎幹事長が後任首相になれば、自民党のイメージが明るくなり、現在の民主党優勢の世論にも影響する」と受け止める向きが大勢だ。
<以前の日記>
・(人間観察)自己宣伝が栄えるのは、人が己を失った時。~小林秀雄語録~
郵便の風景印は、地域のメッセージ(ドゥルー女史と住吉干潟)
2008年09月01日
郵便の風景印は、地域のメッセージ(ドゥルー女史と住吉干潟)
まちづくり活動の先輩から「風景印を地元郵便局に設置したいので協力て欲しい」と電話がありましたが、私は風景印の存在すら知りませんでした。風景印は、地域の風景や歴史、偉人などを図柄した日付印のことで、東京の芝郵便局の東京タワー、長崎の平和記念像、仙台の伊達政宗など、地域の特徴が表されています。
宇土市の住吉神社境内に、海苔の生態解明をしたイギリスのドゥルー女史の碑が在ります。その研究内容が日本に伝わり、1953年熊本の水産試験場が人工採苗に成功、以後海苔産業は飛躍的に発展しました。
宇土市住吉漁業協同組合は、毎年ドゥルー女史の顕彰会を実施しています。漁民が遠く離れたイギリスの偉人を敬慕し、後世にその功績を伝え続ける行為は素晴らしいと思います。
また宇土市住吉中学校では、海苔育苗のことを総合学習で勉強したことがきっかけで、ドゥルー女史の地元中学校との文通が始まり、昨春イギリスから30名の修学旅行生が住吉中学校を訪れ、今年はイギリスに代表が行く計画が持ち上がり、交流が活発になっています。
先輩の風景印に託す思いは、海苔養殖の母であるドゥルー女史と住吉海岸の干潟を図柄にした風景印を、網津郵便局に設置して欲しいと要望しているそうです。
手紙や葉書の表紙に印される「風景印」が、町のメッセージとして全国の人に届けられると素敵だし、実現出来ればと願います。さらに色々な郵便局に、個性的な風景印が出来ると、旅先から絵葉書でも書きたくなるのではと思います。
<以前の日記>
・アイデアが需要を作り出す(本田宗一郎語録)
http://noguchi.otemo-yan.net/e103441.html
・ペシャワール会に衝撃:伊藤さん拉致当日に殺害
http://noguchi.otemo-yan.net/e103322.html
・(中東バブル・ドバイ)世界最高地上800mのビル「Burj Dubai」来年完成予定
http://noguchi.otemo-yan.net/e103257.html
まちづくり活動の先輩から「風景印を地元郵便局に設置したいので協力て欲しい」と電話がありましたが、私は風景印の存在すら知りませんでした。風景印は、地域の風景や歴史、偉人などを図柄した日付印のことで、東京の芝郵便局の東京タワー、長崎の平和記念像、仙台の伊達政宗など、地域の特徴が表されています。
宇土市の住吉神社境内に、海苔の生態解明をしたイギリスのドゥルー女史の碑が在ります。その研究内容が日本に伝わり、1953年熊本の水産試験場が人工採苗に成功、以後海苔産業は飛躍的に発展しました。
宇土市住吉漁業協同組合は、毎年ドゥルー女史の顕彰会を実施しています。漁民が遠く離れたイギリスの偉人を敬慕し、後世にその功績を伝え続ける行為は素晴らしいと思います。
また宇土市住吉中学校では、海苔育苗のことを総合学習で勉強したことがきっかけで、ドゥルー女史の地元中学校との文通が始まり、昨春イギリスから30名の修学旅行生が住吉中学校を訪れ、今年はイギリスに代表が行く計画が持ち上がり、交流が活発になっています。
先輩の風景印に託す思いは、海苔養殖の母であるドゥルー女史と住吉海岸の干潟を図柄にした風景印を、網津郵便局に設置して欲しいと要望しているそうです。
手紙や葉書の表紙に印される「風景印」が、町のメッセージとして全国の人に届けられると素敵だし、実現出来ればと願います。さらに色々な郵便局に、個性的な風景印が出来ると、旅先から絵葉書でも書きたくなるのではと思います。
<以前の日記>
・アイデアが需要を作り出す(本田宗一郎語録)
http://noguchi.otemo-yan.net/e103441.html
・ペシャワール会に衝撃:伊藤さん拉致当日に殺害
http://noguchi.otemo-yan.net/e103322.html
・(中東バブル・ドバイ)世界最高地上800mのビル「Burj Dubai」来年完成予定
http://noguchi.otemo-yan.net/e103257.html