(感激と人生)男(女)が40代にやっておくべきこと~鈴木健二
2008年09月03日
(感激と人生)男(女)が40代にやっておくべきこと~鈴木健二~
私は、今年50才になりました。
先週、娘の学校へ迎えに行く前に、運動のためにとランニングでもしようかと、早めに家を出た途端、雨が振り出し、待ち時間が余ってしい、さてどうするで考えて・・・、リサイクルの本屋を回り「男が40代にやっておくべきこと」(鈴木健二著、新潮社文庫、昭和61年初版)の本を見つけ、読み始めました。ところが、元々ランニングしようと思って出たので、財布は持って無いし、・・・「よし、車を捜そう」と、ガソリンのつり銭を入れに180円、本の値段は105円-買えました-、即購入し読み始め、いや実に面白い本です。
実は、財布を家に忘れのは良いのですが、運転免許証も家に置いて出て来ていました。頭がランニングでいっぱいで、天候のことも調べず出てきたのですが、とても素敵な掘り出しもの(本)に出会いました。(何でも、「良」と考える性格です)
その本で一番強烈だった一節を紹介します。これは、40代の精神力の項目にありました。
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(本 文)
・・・、ずっと以前、私(鈴木氏)は精神薄弱児の父と呼ばれた故糸賀一雄博士と行(こう)を共にする機会があった。私が、精神薄弱児達の様子を見て、
「先生、この子達に何とかして光を与えたいですね」
と、言った時、糸賀さんは静かに言われた。
「鈴木さん、それは間違いです。この子達が光りなのです」
この言葉が私のものの見方、または人の見方を変えた。私は丁度四十歳であった。
精薄児達は人をだますことも、嘘(うそ)をつくことも、あざむくことも、嘲笑すつことも知らないのである。教えられたことを忠実に守り、一つだけ残っていた才能を芽生えさせ、成長させる努力を続けているのである。見かけはうちとけにくいが、正直で本当に素直なのである。
おそらく、糸賀さんにしても、この言葉を自分のものになさるまでには、かなりの苦労と克己心などを要したに違いないと思う。人間なんて、そう簡単に悟りきれるものではないし、他人の長所を限りない愛と尊敬をもって見つめるなどということは、そう容易にできなはしないのだ。しかし、私には自己嫌悪の恥ずかしさと同じに、天啓にも似た響きがあったのを、昨日のことのように鮮やかに記憶している。
(40代の)気力があるというのは、前にも述べたように、外国へ行ってみるとか、新しい勉強を始めるといった行動だけを指すのではない。私が糸賀さんの一言に完全に息の根をとめられたような一種の感激性もその中に含まれているのである。(中略)
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鈴木氏は、この経験を境にして、大きな転機を迎えるのですが、人の行動の起点には、感激性を持つ体験があるように思います。
そして、この40代にまつわることが、この「男が40代にやっておくべきこと」に出てくるのですが、例えば、
「仕事」「地位」「人間関係」「運」「判断力」「精神力」「・・」・・・・
夫婦の関係、親子関係、等々、自分の生きてきた40台を振り返り、間違っていたか、いなかった、検証する良き材料(尺度)に使えるように思います。
今日は、自分の意見よりも、みなさんに考えてもらえる材料が良いと思い、「男が40代にやっておくべきこと」の最初の「仕事」のテーマの末尾に言葉を、紹介して終わりたいと思います。
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(本 文)
・・・、四十代は最も男の匂いのする年代なのである。母親の匂いだけを慕っていたこそども達が、男の匂いをかぎつける年齢に成長してきているのである。逞(たくま)しさとか信頼感が子供達の心を満たす。父親はそのうまく応えてやらなくてはならない。(中略)・・・、教育にとって必要なのは、教えるよりも育てることなのだが、親が自分の意志を子供に伝え、少しでも自分が描く理想の人物に近づけるようと努力できるのは、四十代が最後のチャンスである。
もちろん、その反面には、女に溺れ、賭け事に埋没して、あらたな人生を棒に振る人も数多くいることに注目しなくてはならない。汚職事件が起ると、真っ先にビルから飛び降りて、取らなくてもいい責任を取ったように錯覚するのも四十代の男である。
こうしてみると、四十代には、男が人間として、逆に人間として男が、やっておかくてはならない仕事が誰にでも共通してあるようである。それは自分の人生が終わる時に、充実感をもって振り返り微笑することができるか、反対に、不満に包まれて、後悔の涙を流すかの一番基本のなる世代なのではなかろうか。少なくとも、五十歳まで、あるいはそれ以上生き得た人の生涯の実質的頂点が四十代であるような気がしてはならない、(中略)
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これは、四十代の男を、四十代の女と読み替えて当たる部分が多々あります。話題の一つに使えると思いますし、日々の生活の役に立つと思います。
後日、いくつかのエピーソードを紹介して行きたいと思います。
今日は、手抜き日記になりました。
でも、長文を最後まで読み頂き感謝します。
*参考資料:鈴木健二著「男が40代にやっておくべきこと」(新潮社文庫)
~実は、この本は鈴木氏が50才に成った時に書かれたものです。~
<以前の日記>
・郵便の風景印は、地域のメッセージ ~ドゥルー女史と住吉干潟~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=921880188&owner_id=2182841
・(これが元政治家)子供を産まない女性は国家に必要ない~ハマコー暴言~
~川島なお美 ハマコー暴言に絶句
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=921311349&owner_id=2182841
・(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=920838231&owner_id=2182841
私は、今年50才になりました。
先週、娘の学校へ迎えに行く前に、運動のためにとランニングでもしようかと、早めに家を出た途端、雨が振り出し、待ち時間が余ってしい、さてどうするで考えて・・・、リサイクルの本屋を回り「男が40代にやっておくべきこと」(鈴木健二著、新潮社文庫、昭和61年初版)の本を見つけ、読み始めました。ところが、元々ランニングしようと思って出たので、財布は持って無いし、・・・「よし、車を捜そう」と、ガソリンのつり銭を入れに180円、本の値段は105円-買えました-、即購入し読み始め、いや実に面白い本です。
実は、財布を家に忘れのは良いのですが、運転免許証も家に置いて出て来ていました。頭がランニングでいっぱいで、天候のことも調べず出てきたのですが、とても素敵な掘り出しもの(本)に出会いました。(何でも、「良」と考える性格です)
その本で一番強烈だった一節を紹介します。これは、40代の精神力の項目にありました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(本 文)
・・・、ずっと以前、私(鈴木氏)は精神薄弱児の父と呼ばれた故糸賀一雄博士と行(こう)を共にする機会があった。私が、精神薄弱児達の様子を見て、
「先生、この子達に何とかして光を与えたいですね」
と、言った時、糸賀さんは静かに言われた。
「鈴木さん、それは間違いです。この子達が光りなのです」
この言葉が私のものの見方、または人の見方を変えた。私は丁度四十歳であった。
精薄児達は人をだますことも、嘘(うそ)をつくことも、あざむくことも、嘲笑すつことも知らないのである。教えられたことを忠実に守り、一つだけ残っていた才能を芽生えさせ、成長させる努力を続けているのである。見かけはうちとけにくいが、正直で本当に素直なのである。
おそらく、糸賀さんにしても、この言葉を自分のものになさるまでには、かなりの苦労と克己心などを要したに違いないと思う。人間なんて、そう簡単に悟りきれるものではないし、他人の長所を限りない愛と尊敬をもって見つめるなどということは、そう容易にできなはしないのだ。しかし、私には自己嫌悪の恥ずかしさと同じに、天啓にも似た響きがあったのを、昨日のことのように鮮やかに記憶している。
(40代の)気力があるというのは、前にも述べたように、外国へ行ってみるとか、新しい勉強を始めるといった行動だけを指すのではない。私が糸賀さんの一言に完全に息の根をとめられたような一種の感激性もその中に含まれているのである。(中略)
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鈴木氏は、この経験を境にして、大きな転機を迎えるのですが、人の行動の起点には、感激性を持つ体験があるように思います。
そして、この40代にまつわることが、この「男が40代にやっておくべきこと」に出てくるのですが、例えば、
「仕事」「地位」「人間関係」「運」「判断力」「精神力」「・・」・・・・
夫婦の関係、親子関係、等々、自分の生きてきた40台を振り返り、間違っていたか、いなかった、検証する良き材料(尺度)に使えるように思います。
今日は、自分の意見よりも、みなさんに考えてもらえる材料が良いと思い、「男が40代にやっておくべきこと」の最初の「仕事」のテーマの末尾に言葉を、紹介して終わりたいと思います。
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(本 文)
・・・、四十代は最も男の匂いのする年代なのである。母親の匂いだけを慕っていたこそども達が、男の匂いをかぎつける年齢に成長してきているのである。逞(たくま)しさとか信頼感が子供達の心を満たす。父親はそのうまく応えてやらなくてはならない。(中略)・・・、教育にとって必要なのは、教えるよりも育てることなのだが、親が自分の意志を子供に伝え、少しでも自分が描く理想の人物に近づけるようと努力できるのは、四十代が最後のチャンスである。
もちろん、その反面には、女に溺れ、賭け事に埋没して、あらたな人生を棒に振る人も数多くいることに注目しなくてはならない。汚職事件が起ると、真っ先にビルから飛び降りて、取らなくてもいい責任を取ったように錯覚するのも四十代の男である。
こうしてみると、四十代には、男が人間として、逆に人間として男が、やっておかくてはならない仕事が誰にでも共通してあるようである。それは自分の人生が終わる時に、充実感をもって振り返り微笑することができるか、反対に、不満に包まれて、後悔の涙を流すかの一番基本のなる世代なのではなかろうか。少なくとも、五十歳まで、あるいはそれ以上生き得た人の生涯の実質的頂点が四十代であるような気がしてはならない、(中略)
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これは、四十代の男を、四十代の女と読み替えて当たる部分が多々あります。話題の一つに使えると思いますし、日々の生活の役に立つと思います。
後日、いくつかのエピーソードを紹介して行きたいと思います。
今日は、手抜き日記になりました。
でも、長文を最後まで読み頂き感謝します。
*参考資料:鈴木健二著「男が40代にやっておくべきこと」(新潮社文庫)
~実は、この本は鈴木氏が50才に成った時に書かれたものです。~
<以前の日記>
・郵便の風景印は、地域のメッセージ ~ドゥルー女史と住吉干潟~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=921880188&owner_id=2182841
・(これが元政治家)子供を産まない女性は国家に必要ない~ハマコー暴言~
~川島なお美 ハマコー暴言に絶句
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・(福田氏退陣)「ねじれ国会」、日本政治の「失われた1年」
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