健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(憲法第25条)
2010年04月28日
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(憲法第25条)
第25条 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
>健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
現代の日本社会は、貧困率が先進国の中で上位を占める国になりました。
社会の幸福感は、6.5点(10点満点で)の国民意識があります。北欧のデンマークは、8.5点です。
経済、経済と、金を稼ぐばかりに駆られていて、大切な心を忘れているように感じます。
>国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない
高度成長の国家づくりは、バブル崩壊で崩れ、すべてが行き詰っています。
高齢福祉、医療、育児、男女参画社会等々、また既得権益、既成概念、慣習など、価値転換も含め、大改革の時代に在ると思います。
憲法で保障されなければならない、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の実現に向け、国民は権利を主張する「声」をあげるべきと思います。国の仕組みを変えるには、国民一人ひとりの価値観、幸福感も、考えなおす時期と思います。
憲法25条の義務を、国は果たさなければならないと思います。
<ミクシィ・コミュニティ>
・「日本国憲法」全文を読もう
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4166620
第25条 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
>健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
現代の日本社会は、貧困率が先進国の中で上位を占める国になりました。
社会の幸福感は、6.5点(10点満点で)の国民意識があります。北欧のデンマークは、8.5点です。
経済、経済と、金を稼ぐばかりに駆られていて、大切な心を忘れているように感じます。
>国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない
高度成長の国家づくりは、バブル崩壊で崩れ、すべてが行き詰っています。
高齢福祉、医療、育児、男女参画社会等々、また既得権益、既成概念、慣習など、価値転換も含め、大改革の時代に在ると思います。
憲法で保障されなければならない、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の実現に向け、国民は権利を主張する「声」をあげるべきと思います。国の仕組みを変えるには、国民一人ひとりの価値観、幸福感も、考えなおす時期と思います。
憲法25条の義務を、国は果たさなければならないと思います。
<ミクシィ・コミュニティ>
・「日本国憲法」全文を読もう
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4166620
日本人の幸福度、6.5=欧州主要各国下回る
2010年04月28日
日本人の幸福度、6.5=欧州主要各国下回る
■日本人の幸福度、6.5=欧州主要各国下回る-内閣府調査
(時事通信社 - 04月27日 18:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1191356&media_id=4
>日本人が自分を幸福だと思う度合いは、10段階評価で平均6.5。内閣府が27日発表した国民生活選好度調査でこんな結果が出た。欧州連合(EU)が2008年に行った同様の調査との比較では、最高だったデンマーク(8.4)には遠く及ばず、英国(7.4)、ドイツ(7.2)、フランス(7.1)の主要各国にも劣る結果となった。
>政府は昨年末の新成長戦略の基本方針で「幸福度を表す新たな指標」を開発すると明記。内閣府は今回の結果を指標づくりに生かすが、6月にまとめる具体策には「間に合わない」(幹部)としている。
>「今どの程度幸福か」との質問に対し、5点、7点、8点がいずれも20%程度。男女別にみると、7点以上を付けた人は女性の方が多く、男性では全体の48%だったのに対し、女性は59%に上った。年齢別では30歳代の61%が7点以上のピークで、70歳代は44%と低かった。
>幸福に影響する要素としては、健康(69.7%)、家族(66.4%)、所得(65.4%)の三つの回答が多く、幸福感を高めるため政府に求める政策としては、「公平で安心できる年金制度」(69.2%)や「安心して子育てできる社会」(64.9%)を上げる人の割合が高かった。
幸福は、それぞれの心の在り様と言います。
最近、「足るを知る」、「もったいない」等の言葉をよく聞きます。
右肩上がりの経済から遠くなって20数年が過ぎ、まだ止まぬ(病んでいる)国民意識は、変化の受け入れまでは、相当時間を要するのかもしれません。
先月の地元市選挙を見る中で、意識の高い人は、現状(結果)を検証し、どうこの状況なかで、活気を起こすかにかけた人が意外に多かったことが、新しい候補を押し上げたように思います。
現状に悲観することより、自分で前向きに考え、行動を起こすことが必要なように思います。
幸福度は、それぞれの心の尺度を変える事で、大きな満足が得られるように感じます。
■日本人の幸福度、6.5=欧州主要各国下回る-内閣府調査
(時事通信社 - 04月27日 18:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1191356&media_id=4
>日本人が自分を幸福だと思う度合いは、10段階評価で平均6.5。内閣府が27日発表した国民生活選好度調査でこんな結果が出た。欧州連合(EU)が2008年に行った同様の調査との比較では、最高だったデンマーク(8.4)には遠く及ばず、英国(7.4)、ドイツ(7.2)、フランス(7.1)の主要各国にも劣る結果となった。
>政府は昨年末の新成長戦略の基本方針で「幸福度を表す新たな指標」を開発すると明記。内閣府は今回の結果を指標づくりに生かすが、6月にまとめる具体策には「間に合わない」(幹部)としている。
>「今どの程度幸福か」との質問に対し、5点、7点、8点がいずれも20%程度。男女別にみると、7点以上を付けた人は女性の方が多く、男性では全体の48%だったのに対し、女性は59%に上った。年齢別では30歳代の61%が7点以上のピークで、70歳代は44%と低かった。
>幸福に影響する要素としては、健康(69.7%)、家族(66.4%)、所得(65.4%)の三つの回答が多く、幸福感を高めるため政府に求める政策としては、「公平で安心できる年金制度」(69.2%)や「安心して子育てできる社会」(64.9%)を上げる人の割合が高かった。
幸福は、それぞれの心の在り様と言います。
最近、「足るを知る」、「もったいない」等の言葉をよく聞きます。
右肩上がりの経済から遠くなって20数年が過ぎ、まだ止まぬ(病んでいる)国民意識は、変化の受け入れまでは、相当時間を要するのかもしれません。
先月の地元市選挙を見る中で、意識の高い人は、現状(結果)を検証し、どうこの状況なかで、活気を起こすかにかけた人が意外に多かったことが、新しい候補を押し上げたように思います。
現状に悲観することより、自分で前向きに考え、行動を起こすことが必要なように思います。
幸福度は、それぞれの心の尺度を変える事で、大きな満足が得られるように感じます。
四〇才、五〇才にして噂もないは畏るることない
2010年04月28日
四〇才、五〇才にして噂もないは畏るることない
世間的には、地位や役職なくとも、頼りになる人、知識人、活動家、等々、世間敵は有名でなくても、仲間内では知られた人物がいるものです。
住んではいるが、おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、というのではつまらない。
名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。場合によっては親戚・縁者だけの間でも良い。いい叔父さんだよ、やさしい叔母さんだよと言われだけで良いと思います。
大小を問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、四〇才、五〇才になった値打ちはない。いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、家に帰っても女房・子ども、家族からいやがられる、そんなことでは人間はダメと思います。
孔子の教えにも、「四十、五十にして聞こゆるなきは 畏るるに足らざるのみ」とある。
日々の生活態度、発言、あるいは仲間と協働の行動の中で、それぞれに人は、周りの人を評価しながら、自分の行動と照らし合せている。好意を持つ人、期待を持つ人、頼りになる人、関わり縁の有る一人ひとりを、それぞれが考えていると思います。
この好感を持つ人こそ、人を惹きつけるソフト・パワーを持つ「人格」が、外へ現れ、魅力としてかもし出されるだと思います。そこから、噂として世間の回り、知られる事になると思います。
「人の話題にも上らないような中年ではダメだ!」
と孔子も教えるように、ただただ、謙虚に控え目ばかりではいけないと思います。やらなければならないときはやる。発言しかねればいけないときは、反論覚悟で発言することも必要と思います。
兎にも角にも、日常の言動が自分を高める一番大事な学問のように思います。
>聞こえなければ、四〇才、五〇才になった値打ちはない
心しておきたい言葉と思います。連休まで数日ですが、休み前の仕事を、どう終らせるか朝からの行動に尽きると思います。さっそく、今から始めたいと思います。
*参考資料:「安岡正篤一日一言」より
世間的には、地位や役職なくとも、頼りになる人、知識人、活動家、等々、世間敵は有名でなくても、仲間内では知られた人物がいるものです。
住んではいるが、おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、というのではつまらない。
名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。場合によっては親戚・縁者だけの間でも良い。いい叔父さんだよ、やさしい叔母さんだよと言われだけで良いと思います。
大小を問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、四〇才、五〇才になった値打ちはない。いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、家に帰っても女房・子ども、家族からいやがられる、そんなことでは人間はダメと思います。
孔子の教えにも、「四十、五十にして聞こゆるなきは 畏るるに足らざるのみ」とある。
日々の生活態度、発言、あるいは仲間と協働の行動の中で、それぞれに人は、周りの人を評価しながら、自分の行動と照らし合せている。好意を持つ人、期待を持つ人、頼りになる人、関わり縁の有る一人ひとりを、それぞれが考えていると思います。
この好感を持つ人こそ、人を惹きつけるソフト・パワーを持つ「人格」が、外へ現れ、魅力としてかもし出されるだと思います。そこから、噂として世間の回り、知られる事になると思います。
「人の話題にも上らないような中年ではダメだ!」
と孔子も教えるように、ただただ、謙虚に控え目ばかりではいけないと思います。やらなければならないときはやる。発言しかねればいけないときは、反論覚悟で発言することも必要と思います。
兎にも角にも、日常の言動が自分を高める一番大事な学問のように思います。
>聞こえなければ、四〇才、五〇才になった値打ちはない
心しておきたい言葉と思います。連休まで数日ですが、休み前の仕事を、どう終らせるか朝からの行動に尽きると思います。さっそく、今から始めたいと思います。
*参考資料:「安岡正篤一日一言」より