(市町村)教育委員会の存在意義とはなんだろうか?
2010年04月10日
(市町村)教育委員会の存在意義とはなんだろうか?
わが家は、やっと高校を卒業し、大学生になり一人暮らしをしながら、大学生活をやってます。これまで、私は小中学校PTAや、高校の保護者会の役員をしながら、教育委員会のついて考えてきた。特に、小中の教育委員会は、市町村の教育委員会が学校を管轄している。
旧文部省、県の教育委員会、市町村の教育委員会と、学校現場の先生方は、色々な指導要綱を考えつつ、日々子どもたちと関わっている。教師は、教職か、聖職か、テレビ・新聞で問われるような事件、事故が起る事も多くなった。
大分の教育委員会の人事に、金品、賄賂が横行した事件は、国民に大きな衝撃を与え、政治家の影も見え隠れする、教育委員会の存在が問われているように思います。下記、ネット情報のあるように、市町村の教育委員会の廃止を考えている自治体が出始めています。
(以下、転載)
・教育委員会の存在意義とはなんだろうか?2008/07/09
http://tsujiyoshitaka.spaces.live.com/blog/cns!ED30C85C44D4F589!1495.entry
>教育者とあろうものが……。
>教育委員会の存在意義とはなんだろうか?
>いつも噂の絶えない教員採用と教頭・校長の人事問題。
>大分県の事例は、決して特殊とはいえないと思う。大阪市では、議員や市民の要望を記録する制度ができて、全く、人事に口出しできなくなったが、ほとんどの市町村、都道府県がそこまでの制度を整えているわけではなく、コネ社会が現実には存在する。
>しかし、教育者とあろうものが、自分の昇進に絡んで、金品を人事権のあるものに渡していたとなっては、いやはや。
>「この世には、必要な悪もあるなんて、子供には教えたくありません」とドラマCHANGEで、朝倉候補は父の不正な政治献金疑惑を認め、国民に謝罪した。そういう時代の転換期にきているのかもしれない。これは、大人の対応で、なんていっているから、いつまでたってもしがらみ政治から脱却できない。
>日教組の委員長は、朝生の田原総一朗の「教師は、労働者ですか聖職ですか?」という質問に、「労働者です」と即答した。せめて、「聖職者であり、労働者でもあります」といえば、まだしも、「労働者です」と断言した、こういう人がトップを張っている以上、日本の教育に未来はないと思ったが、上司である、教頭や校長まで、このていたらく。
>公教育には、教える側に、資格がないのではないだろうか。こんな教育委員会の支配下にある、私立の学校もたまったもんじゃないと思う。杉並区は、教育委員会の事実上の廃止を行ったが、私も、教育委員会の存在にはうんざりしている。
・教育委員会の存在意義とは 2006年06月22日
http://demezo.blog.drecom.jp/archive/256
>(中略)午後から文教福祉委員会において
>教育委員会のかたがたと意見交換。
>国の行革ベースでは現在教育委員会の必置義務を無くす方向で検討が行われており文部科学省と厳しく対立している。
>形骸化した教育委員会よりも市長部局直轄で教育行政を行うべきという声も根強い。
>このような時期だからこそ、教育委員会自らが事務方の追認機関と堕することなく、積極的に地域教育の今日的課題について論議をし方向性を見出していただく必要がある。
>政治から独立して教育委員会が存在する意義を今一度見直さない限り、その必要性はますます薄くなってしまう。
(以上、ネットから転載)
忙しい学校現場、子ども一人ひとりの合わせて教材を集めたい先生たち、教育委員会の指導に合わせ、報告書を強要する学校監理者、学校は校長の学校運営の考え方で大きく変わることをPTA役員をしながら見てきた。
上記の2つのネット情報は、全国の学校現場、教育委員会で危惧されてきたことと思います。
>今一度見直さない限り、その必要性はますます薄くなる
現在のような市町村の教育委員会は、必要悪が強く、必要ないと感じます。教育とは何か、国民一人ひとりが、未来に地域を支える人材を育てる環境をどう創るか、問われていると思います。
市民の思いをどう教育に活かせるか、地域リーダーたちの責任が大きくなって来たと感じています。
わが家は、やっと高校を卒業し、大学生になり一人暮らしをしながら、大学生活をやってます。これまで、私は小中学校PTAや、高校の保護者会の役員をしながら、教育委員会のついて考えてきた。特に、小中の教育委員会は、市町村の教育委員会が学校を管轄している。
旧文部省、県の教育委員会、市町村の教育委員会と、学校現場の先生方は、色々な指導要綱を考えつつ、日々子どもたちと関わっている。教師は、教職か、聖職か、テレビ・新聞で問われるような事件、事故が起る事も多くなった。
大分の教育委員会の人事に、金品、賄賂が横行した事件は、国民に大きな衝撃を与え、政治家の影も見え隠れする、教育委員会の存在が問われているように思います。下記、ネット情報のあるように、市町村の教育委員会の廃止を考えている自治体が出始めています。
(以下、転載)
・教育委員会の存在意義とはなんだろうか?2008/07/09
http://tsujiyoshitaka.spaces.live.com/blog/cns!ED30C85C44D4F589!1495.entry
>教育者とあろうものが……。
>教育委員会の存在意義とはなんだろうか?
>いつも噂の絶えない教員採用と教頭・校長の人事問題。
>大分県の事例は、決して特殊とはいえないと思う。大阪市では、議員や市民の要望を記録する制度ができて、全く、人事に口出しできなくなったが、ほとんどの市町村、都道府県がそこまでの制度を整えているわけではなく、コネ社会が現実には存在する。
>しかし、教育者とあろうものが、自分の昇進に絡んで、金品を人事権のあるものに渡していたとなっては、いやはや。
>「この世には、必要な悪もあるなんて、子供には教えたくありません」とドラマCHANGEで、朝倉候補は父の不正な政治献金疑惑を認め、国民に謝罪した。そういう時代の転換期にきているのかもしれない。これは、大人の対応で、なんていっているから、いつまでたってもしがらみ政治から脱却できない。
>日教組の委員長は、朝生の田原総一朗の「教師は、労働者ですか聖職ですか?」という質問に、「労働者です」と即答した。せめて、「聖職者であり、労働者でもあります」といえば、まだしも、「労働者です」と断言した、こういう人がトップを張っている以上、日本の教育に未来はないと思ったが、上司である、教頭や校長まで、このていたらく。
>公教育には、教える側に、資格がないのではないだろうか。こんな教育委員会の支配下にある、私立の学校もたまったもんじゃないと思う。杉並区は、教育委員会の事実上の廃止を行ったが、私も、教育委員会の存在にはうんざりしている。
・教育委員会の存在意義とは 2006年06月22日
http://demezo.blog.drecom.jp/archive/256
>(中略)午後から文教福祉委員会において
>教育委員会のかたがたと意見交換。
>国の行革ベースでは現在教育委員会の必置義務を無くす方向で検討が行われており文部科学省と厳しく対立している。
>形骸化した教育委員会よりも市長部局直轄で教育行政を行うべきという声も根強い。
>このような時期だからこそ、教育委員会自らが事務方の追認機関と堕することなく、積極的に地域教育の今日的課題について論議をし方向性を見出していただく必要がある。
>政治から独立して教育委員会が存在する意義を今一度見直さない限り、その必要性はますます薄くなってしまう。
(以上、ネットから転載)
忙しい学校現場、子ども一人ひとりの合わせて教材を集めたい先生たち、教育委員会の指導に合わせ、報告書を強要する学校監理者、学校は校長の学校運営の考え方で大きく変わることをPTA役員をしながら見てきた。
上記の2つのネット情報は、全国の学校現場、教育委員会で危惧されてきたことと思います。
>今一度見直さない限り、その必要性はますます薄くなる
現在のような市町村の教育委員会は、必要悪が強く、必要ないと感じます。教育とは何か、国民一人ひとりが、未来に地域を支える人材を育てる環境をどう創るか、問われていると思います。
市民の思いをどう教育に活かせるか、地域リーダーたちの責任が大きくなって来たと感じています。