(指導者選択)正義とはどうやって決まるのか ~明察と公論~

2009年02月18日

(指導者選択)正義とはどうやって決まるのか ~明察と公論~

 一昨日からテレビでは、クリントン国務長官の来日、中川昭一大臣辞任問題でにぎやかになっています。

・中川昭一大臣の迷走辞任
 中川氏は、世論の状況と世界からの非難で、2日間揺れに揺れた姿を国民に見せる結果になった。麻生首相の盟友・中川氏の失脚は、麻生内閣に大きな痛手を与えたと思います。

・クリントン外交の目的
 さてクリントン氏の日本訪問が、外交の第一歩と強調し、分刻みの日程をこなす姿は、中川氏の瞑想発言で揺れる日本の政界と比較し、対照的に華やかに思えた。しかし、今回の日本、アジア訪問は、世界不況の中で、原油下落で中東、ロシアに関係の深い、ヨーロッパの経済下降傾向で、アメリカの経済対策70兆円、さらにビッグ3の支援を含めると200兆円近い経済対策になるそうですが、そのお金はどこから調達するか?

・アメリカの景気対策は、国債受け国頼み?
 昨年初めまで、飛ぶ鳥を落とす勢いだったロシア、中東の産油国は、原油暴落と失業問題で政権の足元が危ない状況を呈して来た。アメリカ国債を引き受けてくれるは、アメリカ国内だけでは足りなくて、頼りにするのは不況と言いながらも経済大国「日本」と成長著しい「中国」頼みと、ある経済研究のメールマガジンを読み、だからオバマ政権は日本外交重視に切り替え、日米同盟を強調したのかと思います。

・時代の正義とは、どこで決まるか
 安岡正篤先生の語録には、政変、不況、国難等々が起きたときに、国、地域をリードする指導的立場の人たちの評価(企画・成果)の見極めのヒントがたくさんあるように思います。


「信念と気節」

 世を上げて利を競うに忙しい。しかし、各自の利害は、いつか、どこかで、必ず衝突する。これを解決するものはやはり正義である。
 正義はどうして決まるか。利害関係の外に立つ、良心と達識とをもつ人びとの、明察と公論による。
 正義は往々自己に不利に見えるところが少なくない。しかし結局、正義が真の利益である。自ら信ずる正義の為に、不利はおろか、時には死をも辞せぬことが、人間の貴い道徳であり、権威である。
 この信念と気節とが、一切の困惑を救って、国民の新運命を開く鍵である。この信念を気節ある人々が国民の指導者に排出するほか、日本を救う道はない。
(以上、安岡正篤「一日一言」より)


・世界経済・政治を、日本がリーダーシップを掴む機会
 昨日、日本政界の中川氏の辞任と内閣の言動、東京を駆け回るクリントン国務長官の動向は、日本国民はもとより、アメリカ、世界が今後進む方向を決める、大きな決断の起点が東京で展開されていると感じます。

・利害を越えた次世代の為に何が必要か
 これまで無関心だった国民は、いつも政治の利害を忘れたころに被るのですがこれまででした。だからこそ、政治の当事者の利害に外から、

>正義はどうして決まるか。利害関係の外に立つ、良心と達識とをもつ人びとの、明察と公論による。

の境地で、テレビ報道の騒動に左右されることなく、良識を持って同行を観察して欲しいと願いします。そして来る総選挙では、何を今後すべきか、しっかり「明察と公論」を展開し、投票をして欲しいと思います。

*参考資料:~心を養う、生を養う~安岡正泰監修「安岡正篤一日一言」

<以前の日記>
・「人生の成果」有力な仕入先は読書 ~六中観~
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1084757299&owner_id=2182841


(携帯論語)心を育てることば ~携帯から検索できます~
http://keitairongo.otemo-yan.net/
<今日の名言>
反省できる人、出来ない人、天地の差あり :自分を反省する人にとっては、体験することのすべてが自分を向上させる栄養剤となる。人に責任を転嫁する人にとっては、思ったり考えたりすることがそっくり自分を傷つける凶器となる。 :前者は善に向かう道を開き、後者は悪に走るきっかけをふやす。正に天地の違い。 :謙虚、倹約、勤勉、+反省、忘れないことですね。 *出典:「菜根譚」~守屋洋編著~

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:36Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

「人生の成果」有力な仕入先は読書 ~六中観~

2009年02月18日

「人生の成果」有力な仕入先は読書 ~六中観~

 昭和の東洋思想家の安岡正篤先生の著書を日々読む中で、一番心に残る言葉が、「六中観」であります。人生の道筋を現す、六つの示唆は、昭和であれ、現代であれ、共通するものがあります。ぜひ、一読頂ければ幸いです。

「六中観」~安岡正篤~

死中に活有り
苦中に楽有り
忙中に閑有り
壷中に天有り
意中に人有り
腹中に書有り

(意訳)
ときには死んだつもりになってがんばりたい
苦労のないところに楽しみはない。苦しみと楽しみは紙一重。
忙しい人のほうがたくさんの本を読むし、人生を楽しんでいる。
現実の世俗的生活の中に自ら創っている別天地。
私淑できる人物を、あるいは、理想的人物を心の中に持っている。
断片的な知識ではなく、しっかりした哲学を腹の底に納めている。

(解説)
 人生を商売にたとえてみると、すべて仕入れと出荷から成り立ったいる。そこで問題となるのは、仕入れであり、その有力な仕入先が読書である。
 ところで、人生の仕入れは、忙しい時の方が上手くできるという傾向がある。例えば読書を例に取ってみた場合、忙しい中を無理に時間を作りこのわずかな時間に何かを掴んでやるぞと目を爛々と輝かせ、鷹の爪のような鋭い視線で本に襲いかかる方が得るところが多い。逆にただ何となく暇だから読んでいる読書というのは、ほとんど得るところがない。
「忙中に閑有り」、我々も忙しいからこそさらに仕入れに力を入れたいものである。
(以上、矢沢永一編著「名言の智恵 人生の智恵」)

 長い人間の歴史の中に、今、起っているさまざまな事件や出来事は、だいたい起って来たと知ることができます。「温故知新」の言葉が示すように、先人の教示を繰り返し読むことで、意外な人生のヒント(道筋)に気付くことがあります。
 今日は、安岡先生の語録から「六中観」を、紹介しました。

 昨日の中川大臣の言動は、日常の行動を自分でどう制御するか、「六中観」を教示を基に、今日一日検証してみたいと思います。

*参考資料:矢沢永一編著「名言の智恵 人生の智恵」  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:43Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他