小沢代表辞意を撤回、「現代もまた過度期である」
2007年11月07日
小沢代表辞意を撤回、「現代もまた過度期である」
■小沢代表は続投、辞意を撤回
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=333613&media_id=2
>鳩山氏らが続投を求める意見が党内の大勢を占めていることを伝え、翻意を改めて促したところ、小沢氏は「恥をさらすようだが、皆さんの意向を受けて、ぜひもう一度頑張りたい」と慰留を受け入れる考えを表明した。4日から続いた小沢氏の辞意をめぐる混乱はひとまず決着がついた。
一人ひとりの心の集合体が、政治集団(党)と思いますが、世の中と同じで、混乱しています。
いつの時代もこのような出来事はあるのと思います。政治評論家ではないですが、文芸評論家の小林秀雄氏の言葉に次の言葉がありました。
「 諸君は、又こういう事を考えてみないか。混乱していない現代というものが、嘗てあったであろうか、また将来もあるであろうか、と。」(「現代女性」11-94、1939年37歳)
1939年と言えば、戦前なのですが、やはり混乱していたのでしょうか?
また、歴史の検証について、次の言葉も書いています。
「 未だ来ない日が美しい様に、過ぎ去った日も美しく見える。こうあって欲しいという未来を理解することも易しいし、歴史家が整理してくれた過去を理解することも易しいが、現在というものを理解する事は、誰にもいつの時代にも大変難しいのである。
歴史が、どんなに秩序整然たる時代であったか語ってくれようとも、そのまま信じて、これを現代と比べるのは良くない事だ。
その時代の人々は又その時代の難しい現在を持っていたのである。少なくとも歴史に残っている様な明敏な人々は、それぞれ、その時代の理解し難い現代性を見ていたのである。
あらゆる現代は過度期であると言っても過言ではない。」
(「現代女性」11-94、1939年37歳)
歴史は、歴史家が長い年月をかけて、整理してくれるから理解できるのだと思います。
現代に生きる人々は、日々、人との関わりや、周りからの影響により翻弄され、悩み、考え、行動しているのだと思います。
今回の小沢氏の去就の結果は、歴史が解説し、判断を下してくれると思います。小林秀雄氏の言葉ではないですが、「現代もまた、過度期である。」のだと思います。
民主党の今後の動きに注目して行きたいと思います。
*参考資料:小林秀雄語録集「人生の鍛錬」
■小沢代表は続投、辞意を撤回
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=333613&media_id=2
>鳩山氏らが続投を求める意見が党内の大勢を占めていることを伝え、翻意を改めて促したところ、小沢氏は「恥をさらすようだが、皆さんの意向を受けて、ぜひもう一度頑張りたい」と慰留を受け入れる考えを表明した。4日から続いた小沢氏の辞意をめぐる混乱はひとまず決着がついた。
一人ひとりの心の集合体が、政治集団(党)と思いますが、世の中と同じで、混乱しています。
いつの時代もこのような出来事はあるのと思います。政治評論家ではないですが、文芸評論家の小林秀雄氏の言葉に次の言葉がありました。
「 諸君は、又こういう事を考えてみないか。混乱していない現代というものが、嘗てあったであろうか、また将来もあるであろうか、と。」(「現代女性」11-94、1939年37歳)
1939年と言えば、戦前なのですが、やはり混乱していたのでしょうか?
また、歴史の検証について、次の言葉も書いています。
「 未だ来ない日が美しい様に、過ぎ去った日も美しく見える。こうあって欲しいという未来を理解することも易しいし、歴史家が整理してくれた過去を理解することも易しいが、現在というものを理解する事は、誰にもいつの時代にも大変難しいのである。
歴史が、どんなに秩序整然たる時代であったか語ってくれようとも、そのまま信じて、これを現代と比べるのは良くない事だ。
その時代の人々は又その時代の難しい現在を持っていたのである。少なくとも歴史に残っている様な明敏な人々は、それぞれ、その時代の理解し難い現代性を見ていたのである。
あらゆる現代は過度期であると言っても過言ではない。」
(「現代女性」11-94、1939年37歳)
歴史は、歴史家が長い年月をかけて、整理してくれるから理解できるのだと思います。
現代に生きる人々は、日々、人との関わりや、周りからの影響により翻弄され、悩み、考え、行動しているのだと思います。
今回の小沢氏の去就の結果は、歴史が解説し、判断を下してくれると思います。小林秀雄氏の言葉ではないですが、「現代もまた、過度期である。」のだと思います。
民主党の今後の動きに注目して行きたいと思います。
*参考資料:小林秀雄語録集「人生の鍛錬」
まちづくり~まちづくりに必要な交渉術~
2007年11月07日
まちづくり~まちづくりに必要な交渉術~
「競合的交渉」と「協調的交渉」のちがい
今回は、まちづくり事例の報告を休んで、まちづくり、地域おこし、再開発や会社間、地域と会社、個人と団体等様々な場面で、話し合いや交渉をする場が起こることと思います。この交渉とまちづくりに関して、最近読んで参考になった本から考えてみました。
本は、野沢聡子著「問題解決の交渉学」(PHP新書)ですが、私も色々な地域活動、社会活動に関わり話し合いの場面に参加したり、主催者側の立場だったり、また本業の仕事で交渉ごとは一の現場で、2~3度あるものです。建築家は、建築現場の様々な事業の交渉の調整役にもなります。
さて、野沢氏の本の「競合的交渉」と「協調的な交渉」の意味から少し説明をして、交渉事例を読みながら考えます。
・競合的交渉:双方の主張を曲げずに、歩み寄りがなくどちらかが決着の方向
(勝利)を導くまでやる交渉。
・協調的交渉:それぞれの立場を理解し、争点と共通点を整理しお互いに譲歩
しながら、共通問題の認識を持ち、問題を解決へ導く交渉。
本に出てきたのは、マンション開発の事業者と地域住民の交渉でした。当初は、お互いの不信感から抜け出せず、会議は難航し、平行線たどりますが、何度も話をするうちに、お互いの欲求が何処にあり、地域要望と事業者の争点が整理していく中で、地域づくり方向が見えて来て、論争が下火になって行った事例がありました。お互い何を目的にしているのかが、初めは交渉に参加しているそれぞれの立場が見えず、対話を交わす中でそれぞれの要求が整理され、感情の高揚が静まって行くと自ずと方向が見えてくるもです。ただ、不信感が有ったり、互いの利害の収束点がむずかしい交渉は決裂することが多々あります。
前回のコモンズメールで話題にした「ソフト・パワー」と言う考え方の延長線上に、未来を視野に入れ協調的な人間関係つくりと人を理解させて、協働で問題を可決する能力(エンパワーメント)がこれから求められると考えます。様々な場面で交渉力は、個人の能力に依存する部分があります。本の文中に、
a.「パワー」を行使するのに有効な資源(人材、情報、知識、お金など)。
b.人に影響を与える動機。
c.「資源」を自分の「パワー」に変える技術。
d.「パワー」行使に当たってのタイミングの的確な判断。
上記の4つを確実なものにするのが不可欠であると書かれています。技術と言うより人間力(ソフト・パワー)を高める努力を常に心がけ行くことが重要です。関わる問題には「協調的戦略」を考えの中心に据えて、連帯を呼びかけ他者と一緒につくり出す「パワー」を使えば、問題解決が「われわれの問題」となる気がします。また、野沢氏の本の参考資料から、今の自分や社会で出会う人々の姿勢を考えてみます。
e.意思決定の発達段階
(交渉の場に見られる要素)
意思決定 発達段階 大局観 基本理念 目的
幼児期 世界は私のもの 自己中心 本能的自己防衛
小児期 世界は危険な 力の支配 意図的な自己防
もの 衛と集団防衛
青年期 世界はジャング 生存競争 「勝つ」こと
ルである
成人期 世界は一つで 真実と正義 多様性を認めた
ある 結束・共存
f.コンフリクト(紛争)の対処法と発達段階
コンフリクト コンフリクト
意思決定 発達段階 解決の特質 解決の傾向
幼児期 生存本能 自己中心的
小児期 力の行使 権威主義的
青年期 「パワー」の行使 闘争的
成人期 結束・共存 協調的
(野沢聡子著「問題解決の交渉学」より、抜粋)
「上記の心の成長を見てみて、周りの多様な事件や問題を検証してみると、関わる人々が「成熟した大人(成人期)」は、どれくらい居るのだろうか。多くの人が青年期あたりで低迷しているか、あるいは、いつまでも幼児期にあって、体だけ成長してしまったという人が多いと、自分も含めて、思い当たることが愕然としました。と同時に、権力を楯に威張って、弱者を抑圧する手段として「他者を支配するパワー」を行使する人々の精神構造がなんとなくわかったように思われる。」と書かれています。
このような思考を持って生きると、自分とも、家族とも、また周りに居る多様な分野で関わりや生活で出会った人と起こる「不都合(わだかまり)」も心を静め考えるゆとりと対話と言う時間を設けることで、自ずと解決の糸口が見つかるのかもしれません。最近聞いた著名なリーダーの言葉に、
・トヨタの張社長がよく使われる言葉に「私心のない人」、
・あるメガバンクの社長は「これからは、人に貸します」
とも発言されています。私心が入らず、将来的なことまで視野に入れて発言をすることが大切なようです。
安永蕗子先生の「人は、何になるのではなく、どう生きるか」、「学問は、生きるためにある」の言葉の意味が少し見えて来るように思います。ただ、日々の生活でついつい忘れる成人の心でない、(小人の)自分と付き合うのに時間と対話が必要なのかもしれません。
「競合的交渉」と「協調的交渉」のちがい
今回は、まちづくり事例の報告を休んで、まちづくり、地域おこし、再開発や会社間、地域と会社、個人と団体等様々な場面で、話し合いや交渉をする場が起こることと思います。この交渉とまちづくりに関して、最近読んで参考になった本から考えてみました。
本は、野沢聡子著「問題解決の交渉学」(PHP新書)ですが、私も色々な地域活動、社会活動に関わり話し合いの場面に参加したり、主催者側の立場だったり、また本業の仕事で交渉ごとは一の現場で、2~3度あるものです。建築家は、建築現場の様々な事業の交渉の調整役にもなります。
さて、野沢氏の本の「競合的交渉」と「協調的な交渉」の意味から少し説明をして、交渉事例を読みながら考えます。
・競合的交渉:双方の主張を曲げずに、歩み寄りがなくどちらかが決着の方向
(勝利)を導くまでやる交渉。
・協調的交渉:それぞれの立場を理解し、争点と共通点を整理しお互いに譲歩
しながら、共通問題の認識を持ち、問題を解決へ導く交渉。
本に出てきたのは、マンション開発の事業者と地域住民の交渉でした。当初は、お互いの不信感から抜け出せず、会議は難航し、平行線たどりますが、何度も話をするうちに、お互いの欲求が何処にあり、地域要望と事業者の争点が整理していく中で、地域づくり方向が見えて来て、論争が下火になって行った事例がありました。お互い何を目的にしているのかが、初めは交渉に参加しているそれぞれの立場が見えず、対話を交わす中でそれぞれの要求が整理され、感情の高揚が静まって行くと自ずと方向が見えてくるもです。ただ、不信感が有ったり、互いの利害の収束点がむずかしい交渉は決裂することが多々あります。
前回のコモンズメールで話題にした「ソフト・パワー」と言う考え方の延長線上に、未来を視野に入れ協調的な人間関係つくりと人を理解させて、協働で問題を可決する能力(エンパワーメント)がこれから求められると考えます。様々な場面で交渉力は、個人の能力に依存する部分があります。本の文中に、
a.「パワー」を行使するのに有効な資源(人材、情報、知識、お金など)。
b.人に影響を与える動機。
c.「資源」を自分の「パワー」に変える技術。
d.「パワー」行使に当たってのタイミングの的確な判断。
上記の4つを確実なものにするのが不可欠であると書かれています。技術と言うより人間力(ソフト・パワー)を高める努力を常に心がけ行くことが重要です。関わる問題には「協調的戦略」を考えの中心に据えて、連帯を呼びかけ他者と一緒につくり出す「パワー」を使えば、問題解決が「われわれの問題」となる気がします。また、野沢氏の本の参考資料から、今の自分や社会で出会う人々の姿勢を考えてみます。
e.意思決定の発達段階
(交渉の場に見られる要素)
意思決定 発達段階 大局観 基本理念 目的
幼児期 世界は私のもの 自己中心 本能的自己防衛
小児期 世界は危険な 力の支配 意図的な自己防
もの 衛と集団防衛
青年期 世界はジャング 生存競争 「勝つ」こと
ルである
成人期 世界は一つで 真実と正義 多様性を認めた
ある 結束・共存
f.コンフリクト(紛争)の対処法と発達段階
コンフリクト コンフリクト
意思決定 発達段階 解決の特質 解決の傾向
幼児期 生存本能 自己中心的
小児期 力の行使 権威主義的
青年期 「パワー」の行使 闘争的
成人期 結束・共存 協調的
(野沢聡子著「問題解決の交渉学」より、抜粋)
「上記の心の成長を見てみて、周りの多様な事件や問題を検証してみると、関わる人々が「成熟した大人(成人期)」は、どれくらい居るのだろうか。多くの人が青年期あたりで低迷しているか、あるいは、いつまでも幼児期にあって、体だけ成長してしまったという人が多いと、自分も含めて、思い当たることが愕然としました。と同時に、権力を楯に威張って、弱者を抑圧する手段として「他者を支配するパワー」を行使する人々の精神構造がなんとなくわかったように思われる。」と書かれています。
このような思考を持って生きると、自分とも、家族とも、また周りに居る多様な分野で関わりや生活で出会った人と起こる「不都合(わだかまり)」も心を静め考えるゆとりと対話と言う時間を設けることで、自ずと解決の糸口が見つかるのかもしれません。最近聞いた著名なリーダーの言葉に、
・トヨタの張社長がよく使われる言葉に「私心のない人」、
・あるメガバンクの社長は「これからは、人に貸します」
とも発言されています。私心が入らず、将来的なことまで視野に入れて発言をすることが大切なようです。
安永蕗子先生の「人は、何になるのではなく、どう生きるか」、「学問は、生きるためにある」の言葉の意味が少し見えて来るように思います。ただ、日々の生活でついつい忘れる成人の心でない、(小人の)自分と付き合うのに時間と対話が必要なのかもしれません。
対人地雷廃絶条約を今も批准しない国への訴え
2007年11月07日
対人地雷廃絶条約を今も批准しない国への訴え
~地雷廃絶と被害者支援の会・熊本~
数日前の新聞を読み、思い出したメールマガジンを紹介します。
1997年対人地雷廃絶条例が締結され、1999年に発効したことは、新聞等々でご存知か
と思いますが、世界の軍事大国や紛争当事国はこの条約を批准していません。また、こ
こ1年くらい急に盛り上がっている憲法改革論議に、市民から多様な意見がでていますが、
熊本地元紙に熊本を中心に地雷廃絶と被害者を支援している団体の代表の最相博子さん
の意見が出ていました。
最相さんは、長野オリンピックで聖火ランナーとして走られた地雷の被害者でもある
クリスムーン氏とその著書「地雷と聖火」と出会い、「今でも地雷に苦しむ人がいる。
これが、現代の話なのか」。クリスムーン氏は、義足で過酷なマラソンに挑戦し、世界
の現実を知らせるために続けていること知りました。
最相さんは、ぜひクリスムーン氏を熊本へ呼ぼうの思いで、仲間と作る同時通訳協会
(最相代表)の研究会で「世界の地雷問題とクリスムーン」と題した英語スピーチを行
った。これを契機に、仲間や賛同者で会を発足させ、クリスムーン氏を招聘し、阿蘇カ
ルデラ100kmマラソン参加や高校での講演等で地雷廃絶を訴えている。
最相さんは、カンボジアの実際の地雷原に行き、地雷探索の状況と地雷を爆破させて
撤去する一連の作業を体験し、強烈な爆音と威力が目に焼きついたそうです。クリスム
ーン氏とは、私も3回お目にかかりましたが、モザンビークでの地雷撤去が終わったは
ずの場所を歩いていて、たまたま探せなかった地雷を踏んで、片手・片足が爆風で吹っ
飛ぶ大けがのために、入院生活とリハビリを余儀なくされたそうです。
その苦しさは、創造を絶するものと思いますが、それを乗り越え紛争地域の現実を知
らせるために、走り続けていると言われました。この強さは何処から来るのか、世界の
人々へ伝えるメッセージが伝わって来ます。
最相さんは、その後カンボジアに5度を旅をして、地雷被害地の被害者の生活の現実と
向き合い、被害者が働けず困窮した生活を見た。手や足、視力を失った子供たちが自分
の二人の息子と重なって感じたそうです。
「兵器がもたらした不幸を目の当たりにしてきたからこそ、平和という言葉の重みを感
じている。小学生のとき学校で、「日本は、戦争を放棄した国です」と先生におそわり、
「えー、よかったね」と喜んだのを覚えています。9条は、世界のお手本だと思った」と
最相さんは話されています。
******peace & future******
世界の平和と次世代の夢を創りましょう
*******************
~地雷廃絶と被害者支援の会・熊本~
数日前の新聞を読み、思い出したメールマガジンを紹介します。
1997年対人地雷廃絶条例が締結され、1999年に発効したことは、新聞等々でご存知か
と思いますが、世界の軍事大国や紛争当事国はこの条約を批准していません。また、こ
こ1年くらい急に盛り上がっている憲法改革論議に、市民から多様な意見がでていますが、
熊本地元紙に熊本を中心に地雷廃絶と被害者を支援している団体の代表の最相博子さん
の意見が出ていました。
最相さんは、長野オリンピックで聖火ランナーとして走られた地雷の被害者でもある
クリスムーン氏とその著書「地雷と聖火」と出会い、「今でも地雷に苦しむ人がいる。
これが、現代の話なのか」。クリスムーン氏は、義足で過酷なマラソンに挑戦し、世界
の現実を知らせるために続けていること知りました。
最相さんは、ぜひクリスムーン氏を熊本へ呼ぼうの思いで、仲間と作る同時通訳協会
(最相代表)の研究会で「世界の地雷問題とクリスムーン」と題した英語スピーチを行
った。これを契機に、仲間や賛同者で会を発足させ、クリスムーン氏を招聘し、阿蘇カ
ルデラ100kmマラソン参加や高校での講演等で地雷廃絶を訴えている。
最相さんは、カンボジアの実際の地雷原に行き、地雷探索の状況と地雷を爆破させて
撤去する一連の作業を体験し、強烈な爆音と威力が目に焼きついたそうです。クリスム
ーン氏とは、私も3回お目にかかりましたが、モザンビークでの地雷撤去が終わったは
ずの場所を歩いていて、たまたま探せなかった地雷を踏んで、片手・片足が爆風で吹っ
飛ぶ大けがのために、入院生活とリハビリを余儀なくされたそうです。
その苦しさは、創造を絶するものと思いますが、それを乗り越え紛争地域の現実を知
らせるために、走り続けていると言われました。この強さは何処から来るのか、世界の
人々へ伝えるメッセージが伝わって来ます。
最相さんは、その後カンボジアに5度を旅をして、地雷被害地の被害者の生活の現実と
向き合い、被害者が働けず困窮した生活を見た。手や足、視力を失った子供たちが自分
の二人の息子と重なって感じたそうです。
「兵器がもたらした不幸を目の当たりにしてきたからこそ、平和という言葉の重みを感
じている。小学生のとき学校で、「日本は、戦争を放棄した国です」と先生におそわり、
「えー、よかったね」と喜んだのを覚えています。9条は、世界のお手本だと思った」と
最相さんは話されています。
******peace & future******
世界の平和と次世代の夢を創りましょう
*******************
自然の権利 ~1972年、米国での渓谷開発をめぐる訴訟~
2007年11月07日
自然の権利 ~1972年、米国での渓谷開発をめぐる訴訟~
熊本日日新聞(2005.5.2)の朝刊の「私と憲法」のコラムの中にあった「自然の権利」と言う言葉に目が留まりました。
動植物や自然そのものに、法的な権利を認める考え方のことで、自然物が権利回復や損害賠償などを求めて訴訟を起こすことができるとし、法廷では人間が主張を代弁する。1972年に実際にアメリカであった訴訟の報告でから考え方が理解できます。訴訟は、渓谷開発をめぐるもので、渓谷自体に訴えの資格を与える支持者がきっかけになった。
日本でも、アマミノクロウサギを原告にして奄美大島のゴルフ開発許可の取り消し訴訟や諫早干拓事業で住民がムツゴロウや諫早湾を原告加えて事業差し止め訴訟などがあるとが、権利が認められた判決はないとのことでした。
未来世代からの願いに対して、現代社会の活動の結果にどう責任を取るか、考えるきっかけになればと思って書いてみました。現実の判決は、未来の人たちの代弁者でしかないので、答えを出せずにいるようです。
熊本日日新聞(2005.5.2)の朝刊の「私と憲法」のコラムの中にあった「自然の権利」と言う言葉に目が留まりました。
動植物や自然そのものに、法的な権利を認める考え方のことで、自然物が権利回復や損害賠償などを求めて訴訟を起こすことができるとし、法廷では人間が主張を代弁する。1972年に実際にアメリカであった訴訟の報告でから考え方が理解できます。訴訟は、渓谷開発をめぐるもので、渓谷自体に訴えの資格を与える支持者がきっかけになった。
日本でも、アマミノクロウサギを原告にして奄美大島のゴルフ開発許可の取り消し訴訟や諫早干拓事業で住民がムツゴロウや諫早湾を原告加えて事業差し止め訴訟などがあるとが、権利が認められた判決はないとのことでした。
未来世代からの願いに対して、現代社会の活動の結果にどう責任を取るか、考えるきっかけになればと思って書いてみました。現実の判決は、未来の人たちの代弁者でしかないので、答えを出せずにいるようです。
サッカーのまちづくり
2007年11月07日
サッカーのまちづくり
キッズサッカーのまちづくりの発想は、12年近く5才~9才のサッカークラブ
をやって来たのですが、地元での活動も8年目になり、保護者会も発足し、中学
で一緒になる二つの小学校の子どもたちが参加するようになり、来年キッズか
ら参加した子どもが中学に進学します。保護者も小学校区を越えて交流が有り、
中学での学校内での選手強化の中で、子どもたちに成長へのアドバイス等に保
護者が関わると良いと考えています。
先で役立つように、キッズ-小学校-中学校-社会人クラブの連携を取り、
地域で育てるサッカー少年の連絡会なるものができつつあります。
教育の中では、確かに現在は、進学を中心とする教育が主流ですが、最終学歴
卒業後に地域に残り生活をして、地域社会を支えてくれる人材の育成も大切と考
がえています。地域の人材は、人口が減少する時代でも有り、地域の大人が自ら
育てる意識が必要不可欠です。
サッカーに関わって、子どもも大人も顔をあわせ仲良くなり、保護者全体で学
校のクラブを支えて行けば、子どもたちも大人に成り、同じように地域社会に関
って行くと思います。小さな地域のサッカー教室ですが、後のまちづくりにつな
れば、大きな意味を持つと考えています。この活動を、近隣の小学校にも広めた
いと考えています。勝つサッカーでなく、好きになるサッカーと仲間作りを目標
に、保護者の連絡会が地域の作りにつながれば願っています。
キッズサッカーのまちづくりの発想は、12年近く5才~9才のサッカークラブ
をやって来たのですが、地元での活動も8年目になり、保護者会も発足し、中学
で一緒になる二つの小学校の子どもたちが参加するようになり、来年キッズか
ら参加した子どもが中学に進学します。保護者も小学校区を越えて交流が有り、
中学での学校内での選手強化の中で、子どもたちに成長へのアドバイス等に保
護者が関わると良いと考えています。
先で役立つように、キッズ-小学校-中学校-社会人クラブの連携を取り、
地域で育てるサッカー少年の連絡会なるものができつつあります。
教育の中では、確かに現在は、進学を中心とする教育が主流ですが、最終学歴
卒業後に地域に残り生活をして、地域社会を支えてくれる人材の育成も大切と考
がえています。地域の人材は、人口が減少する時代でも有り、地域の大人が自ら
育てる意識が必要不可欠です。
サッカーに関わって、子どもも大人も顔をあわせ仲良くなり、保護者全体で学
校のクラブを支えて行けば、子どもたちも大人に成り、同じように地域社会に関
って行くと思います。小さな地域のサッカー教室ですが、後のまちづくりにつな
れば、大きな意味を持つと考えています。この活動を、近隣の小学校にも広めた
いと考えています。勝つサッカーでなく、好きになるサッカーと仲間作りを目標
に、保護者の連絡会が地域の作りにつながれば願っています。