島原火砕流から30年、検証「消防団員の犠牲者が多かったのは何故か?」〜報道の取材姿勢に疑問あり〜

2021年06月04日



島原火砕流から30年、検証「消防団員の犠牲者が多かったのは何故か?」〜報道の取材姿勢に疑問あり〜

もう30年が過ぎたか。当時、毎日熊本市まで火山灰が風に乗り飛んできていました。特に、犠牲者が出た最初の火砕流の灰の量はすごかった、ことを思い出します。

"ここまで飛んできた。これは大ごとになっているのでは!"

翌日の新聞を読み、背筋が寒くなった。

昨日の追悼式の記事に、当時の報道の取材姿勢について厳しい意見が掲載されていた。

犠牲になられた消防団員の奥さんの意見を読み、テレビ報道はこんな泥棒まがいのことまでして、それも地域の消防団員を危険に晒すようなことまでしていたのか、私の知る記者とは大きく違うと怒りを覚える。

実は、もうだいぶ前に、甥が中学生の時、学校内で刃物でケガをさせる事件があり、それを取材するテレビクルーに、"こんな相手の気持ちを踏みにじるような、ただスクープだけの視点で、手当たり次第に取材するやり方"に驚くことがありました。

特にひどいのが、学校への電話取材攻勢です。一番ひどいテレビ局は、電話応対する教頭に許可なく、勝手に電話の通話をそのままテレビ電波に乗せたやり方には、人権侵害にもつながるやり方に、怒りを超えて、人間としてレベルの低さに、呆れてしまうほどでした。

地域では、子どもたちにマイクを向けれないように万全を期して通学させると、今度は、近くの家へ手当たり次第に、飛び込み取材する。どこのテレビ局とは言わないが、まーモラルも何も無かったなぁ、と振り返ります。

ただ他局より早く、スクープを取るのだけしか無いのは、今も昔も変わらない、とテレビ報道を見て、今でも感じることがあります。

追悼式で、遺族を代表して犠牲者となったなっ消防団員の妻が、

(以下、熊本日日新聞より)

「私は消防団員の妻。なぜ犠牲者がたくさん出たのか、真実を後世に伝えてほしい」。背景には一部の報道関係者が非難した住民宅の電源を無断使用し、消防団が見回りのため勧告地域へ戻った経緯がある。「それだけは悔やまれる。こと時期になると本当に苦しいんですよ。つぶれそうな時もある」(中略)

「皆さんは一生懸命に仕事を全うして命を失ったと思う。でも、命あっての仕事や家庭」若い世代に何よりも知ってほしいことだ。
(以上、本日の熊日朝25面)

他にも、当時の報道取材のあり方が、今でも問われている検証記事がありました。
(以下、同紙24面下段より抜粋)

・報道関係者の迷惑行為を警戒していた消防団員が
火砕流に巻き込まれた

・取材のためチャーターされたタクシー運転手も犠牲になった

避難勧告地域へ、どんどん入り取材する報道のあり方が、今問われているのです。

最近思うに、学校が絡む事件には、特に国民が注目することもあり、あの手この手のモラルを問われるような報道取材も行われている。

近々、熊本市で週刊文春編集長の講演があるらしいのだが、スクープとは何かを考える機会なると、聴講に行こうかと考えています。

長くなりました。30年の追悼式の記事から、遺族はこれまで大変な思いで火砕流被害と向き合って来られたと思います。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の安らかなる生活を願います。(合掌)

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:45Comments(0)モラル・マナー私の意見防災

<老いを支える>少しずつできない部分を、子世代が補助すること。〜「もらう」から「与える」側へ〜

2021年06月04日

<老いを支える>少しずつできない部分を、子世代が補助すること。〜高齢者の気持ちを考え、いきなりではなく、相手の変化に合わせて支援していく〜
(少々長文です。お時間ある時にお読みください。)

『論語』にある「六十にして耳従い、七十にして矩を超えず」は、2500年前の孔子先生の言葉です。私の周りを見ると80代になっても、若い人からの手助けを借りず、ひょうひょうと生きている後期高齢者がいます。話をすると、子どもの意見に耳をかさず、勝手にやっていることは心配します。

曽野綾子さんの文を集めた『引退しない人生』に、以下の言葉を見つけました。

(以下、本より転載)

「もらう」から「与える」側へ

 人は与えるからこそ、大人になり、おいぼれではなく青年であり続けるのである。
 赤ん坊から大人になるまでの人間はもらうばかりである。おっぱいを呑ませてもらい、おむつを換えてもらう。学校に送り迎えをしてもらい、お小遣いをもらい、教えてもらう。しかしやがてその関係が逆転する。
 父の後ろ姿に老いを感じると、息子と父に代わって荷物を運ぶ。今では病院に連れて行ってもらっていた娘が、母が病気になれば自分の車で母を病院に運ぶ。
(以上、『晩年の美学を求めて』より)

コロナ禍になりかれこれ15ヶ月でしょうか?

ワクチン接種の実施が進むようになり、少し明るい兆しが出てきたか、と感じますが、変異ウィルスは感染力を強めているのが心配です。

ワクチンの申し込みが始まった時、近くに住む一人暮らしの叔父が、「何回かけてもつながらない。もう俺は死ななんばい」と嘆いていた。

見かねて妹が、2度目の申し込み期間にネット申し込みを協力して、かかりつけのクリニックでの接種予約が取れた。予約が取れたら、ほっとしたのか電話もかからなくなった。

その叔父は、既に83歳なのですが、脚力が弱り、擦り歩きで、見た目はよちよち歩き程度のスピードでかなり遅いが、車の運転を止めない。田舎は、公共交通機関が無いから、やはりいつでも、どこにも行ける自家用車となる。この車使用に関して、若い頃運送会社に勤めたことから、「まだ世話にはならない」とガンとして免許返納はしない。

曽野綾子の、

>「もらう」から「与える」側へ

の気持ちの転換点はどこか?

60歳代、70歳代の区切りではなくて、日々の暮らし、社会の変化、進化し続ける情報ツールに付いていけなくなる時が転換点か?

もらう側から、与える側へ変わるのは、全部いきなり変わるのではなく、少しずつできない部分を、子世代が補助していくことになる。高齢者の気持ちを考え、いきなりではなく、相手の変化に合わせて、支援していくことなのだなぁ、と私の両親の介護経験から思いました。

今朝は、雨でコメントが長くなりました。外の雨音が強くなってきました。大雨にならないことを願うばかりです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:17Comments(0)私の意見健康生きがい

"苦しみから救い出してほしい"〜水俣病症状や差別3人の原告が陳述(熊本地裁)〜

2021年06月03日

"苦しみから救い出してほしい"〜水俣病症状や差別3人の原告が陳述(熊本地裁)〜

天草市倉岳町の女性

鹿児島県阿久根市の女性

熊本県水俣市の男性(原告団長)

私が直接聞いた話ですが、水俣病の公式発見に関わられた故武内忠男博士(熊本大学医学部)が晩年講師をされた公演で「天草や鹿児島北部の漁師も不知火海に魚を捕りにきている。患者は、もっと居る」と語られていたのを思い出します。

この裁判での横断幕ではないですが、

「チッソ・国・熊本県は すべての被害者を救済せよ」
(以上、熊本日日新聞朝刊の言葉より)

とせつに思います。ほんと"苦しみから救い出してほしい"の被害者の声に、国・熊本県は耳を傾けて欲しいですね。



  

宇土市・住吉自然公園の「紫陽花園」は、トイレ横の狭い駐車場より、新しくできた北側の広い駐車場がオススメです。

2021年06月02日




宇土市・住吉自然公園の「紫陽花園」は、トイレ横の狭い駐車場より、新しくできた北側の広い駐車場がオススメです。

紫陽花も綺麗な色が出ています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:20Comments(0)宇土市

今、"公設の「夜間中学」が必要なのではないか?"、人口減少→技能実習生の増加→格差社会での学び直し→共生社会〜

2021年06月02日

今、"公設の「夜間中学」が必要なのではないか?"、人口減少→技能実習生の増加→格差社会での学び直し→共生社会〜

(以下、西日本新聞webより)

九州7県、なお「ゼロ」

外国から日本にやって来た人の就学機会の確保に役割を果たしてきた夜間中学。国内で今後、外国人労働者の受け入れ拡大が見込まれる中、文部科学省は都道府県に少なくとも1カ所は公立夜間中学を設置する目標を掲げる。ただ、九州には退職教師らがボランティアで指導する自主夜間中学はあるが、公立夜間中学はまだない。これからの夜間中学の姿とは―。(中略)
(以上、西日本新聞webより抜粋)

NHKのプロフェッショナルで、東京の夜間中学のことが取り上げられた。

ほんと!これから、夜間中学は必要だと思いました。

NHKの番組アーカイブスで、「心よ、壁を抜けてゆけ〜夜間中学教師・入江陽子〜」を見学してみてください。

これから必要な、日本社会の共生の取り組みで、最も重要な教育政策の一つになると考えます。

西日本新聞webより
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.nishinippon.co.jp/item/n/491763.amp%3Fusqp%3Dmq331AQFKAGwASA%253D  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:14Comments(0)社会問題教育問題