<人生はオリジナル>なに甘えてるんや。自分で考えなはれ。〜西岡常一(法隆寺の最後と棟梁)〜

2021年06月22日

<人生はオリジナル>なに甘えてるんや。自分で考えなはれ。〜西岡常一(法隆寺の最後と棟梁)〜

昔の技術職は教えなかった。日々の経験をさせることでの"気づき"から知恵を習得させたいた。今はまず答え(マニュアル)が先にあるから考えない。

法隆寺を維持管理した宮大工の最後と棟梁が西岡常一氏ですが、職人は場を与えるが、やり方は教えない。試行錯誤の中から、気付く(習得)ことを待っ家です。それは、自社仏閣は、すべて異なるため、地域の資材を活用することが多く、その場で考えることが必要なのが、寺や神社です。

寺社仏閣は、地域住民の寄付です建設されるので、同じものは決してできない。宮大工の役割は、地域ニーズをどう形にしていけるか?

寺や神社は、標準形式はない。

最後は、棟梁(設計者)が考え続け?ことになる。その決定に大きく影響するのは予算(寄付の見込み)です。

西岡常一氏の弟子たちが。宮大工集団「いかるが公社」を立ち上げ、全国各地の寺社仏閣を建設し続けている。

西岡常一氏の弟子たちが、今なにを考え、仕事をしているか、一度は見たいと思っています。伝統建築の継承、伝承こそが、西岡常一氏が、指導した「自分で考えなはれ」
と思いました。生きる工夫こそが「考えなはれ」に値します。

>自分で考えなはれ

とても大事な、先行き不透明な現代社会に必要と思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:23Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他私の意見

<どう生きるか>(五木寛之氏は)「最後の最後まで旺盛な活動を続けた、多田富雄さん(免疫学者)」の生き方をを紹介した。

2021年06月22日

<どう生きるか>五木寛之さんが「自分も死ぬときにこうありたいな」と思った方は?との質問に、

(五木寛之氏は)「最後の最後まで旺盛な活動を続けた、多田富雄さん(免疫学者)」の生き方をを紹介した。

(以下、本より)

 免疫学者の多田富雄さんは、大学で抗議する傍ら一般にもわかるようにと執筆活動もやられる学者ですが、2001年に脳梗塞で倒れ、右半身不随、それに伴って、声を出すこと、自分で食べ飲み込む機能を失い、介助なしには生きていけない状態になられました。2007年に出版された『寡黙なる巨人』どいう本の冒頭で、多田さんはこうつづっておられます。
「あの日を境にしてすべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった」
一時は自殺を考えたこともあったそうです。
しかし、多田さんは生きることを投げ出さなかった。倒れてからも、つらいリハビリを行いながら、本や詩集を何冊も出されて、能の新作も書かれた。石牟礼道子さんとの往復書簡も刊行された。(中略)

 多田さんご自身が、著書のなかで「半身が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の中で日々行われている生命活動は創造的である」と書かれているように、脳梗塞で倒れた後の活動ぶりはその以前と変わらないくらい、精力的でした。
(以上、『死の教科書』より)

多田さんは、教え子たちの新しい論文を、身動きもできないのに、言葉も出ないのに、キーボードを使って感想を述べ、直接指導を続けられたのです。

これが、『死の教科書』のNo.02「うらやましい死に方」のページに紹介されています。

>一時は自殺を考えたこともあったそうです

人間、日々の生活の中でも、何が起こるか分からない。厳しい境遇になったときに、"あなたはどうしますか?"と神様が投げかけているのだと思います。

免疫学者が脳梗塞なった。しかし、残った機能を駆使して旺盛な"やる気"を奮い起こし、死ぬまでやりたいことを全うした生き方に、感銘を受けました。

ほんと「どう生きるか」は、とても大事な生きる方でもあり、死に方でもあるな、と多田富雄さんのことを知り、考えました。

*参考資料:五木寛之著『死の教科書〜心が晴れる48のヒント〜』  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:02Comments(0)

「逃げるな、嘘をつくな、数字に強くなれ」という三戒を、生涯の身上としていた。〜キャノン販売名誉会長・滝川精一氏〜

2021年06月22日

<良い誘いには乗る>「逃げるな、嘘をつくな、数字に強くなれ」という三戒を、生涯の身上としていた。〜キャノン販売名誉会長・滝川精一氏〜

私の仕事は建築設計ですが、三十年も設計の仕事を続けていると、
「もうこの仕事でやめよう」
「この施主の仕事はしたくない」
「この恩知らずが・・・」
等々、仕事は全て違うので、事あることに、いろんな思いが、ふつふつと出てくる。

しかし、仕事は終えないと、仕事とはならない。要は、最後は施主の理解がなければ、報酬はいただけない。

冒頭に紹介したキヤノン販売の滝川精一氏は、1970年にキヤノンUSAの社長に就任し、6年間でキヤノン製のカメラをトップブランドに押し上げ、売り上げを1500万ドルから2億ドルまで伸ばす実績を残して、帰国してキヤノン販売の社長に就任した。

実は、滝川氏は、三十歳前後は、労働組合の委員長も経験している。先鋭化する組合の「なんでも反対」体質と対峙する中で、いつでも「逃げるな」を口にしていたという。

逃げ出したくなる自分を「逃げるな」と叱咤しながら、委員長としての職務を続けた。
(以上、『いい言葉は、いい仕事を作る』から抜粋)

この滝川氏のエピソードと並べて紹介されているのが、長野オリンピックのジャンプ代表の原田雅彦選手の大逆転の大ジャンプへの思い。

1本目のジャンプは十分な距離が出なかったが、2本目は「両足複雑骨折してもいい」というほどの覚悟で137メートルの大ジャンプを決め、団体金メダルの立役者となった。(中略)
(以上、本より)

みんな、やりたくない役がある。

最近は、小学校のPTA役員をしない保護者が増えている。さらにPTA会長などしないのだろう、と推測します。

私は、小学校と中学校のPTA会長、さらに子どもが高校3年の時、保護者会の会長をやりました。

PTA役員になるまでは、会への参加勧誘が色々ありました。初めは拒んだこともありましたが、受けたからには保護者の意見を反映させる改革もやっていました。今は、やって学んだことの多さに感謝することがたくさんあります。

仕事も地域活動も、滝川氏の「逃げるな」の意識は、自らを鍛える良い機会となることを知って、敬遠せずに"誘われたら"チャレンジすることは大事と思います。

私の市議挑戦も、先輩政治家の誘いから始まりました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:40Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他