ささやかなものにも感動できる能力。〜曽野綾子〜

2021年06月08日

ささやかなものにも感動できる能力。〜曽野綾子〜

朝のウォーキング、同じコースを歩くのですが、季節が変わると草木の色も変化があり、アッ!、と気づくこともあります。

こんな紫陽花の色の花があるのか

今日は、川の水の色が青みが有る(空の天気の関係があるようです)

あら!、この人いつもの時間に合わないな(日の出が早くなると、人も早出する)

そんな発見もありますが、

この家の花は、この人が育てているのか

よく手入れされて庭だなぁ

色々と気づかされます。

出向いた会社で出されるお茶に、「美味しい」と感じることがあります。口には出しませんが、たぶん飲む人の口に良い温度と中身を考えて出してくれるのだと思います。

ほんとささやかなことに気づくには、自らが、周りの人へ小さな心遣いをしているか?そこにあるのでは、と思います。

曽野綾子さんの著書『誰のために愛するのか』に、以下の一文があります。

(以下、文の抜粋)

 お茶でも、お花でも、それは形式である間は死んでいるのであり、それが生きるのは、それを扱う個性の中に、独自の美学が生まれた時に限る。そしてビアなどというものは、一朝一夕に、先生の仕草をまねていて生まれる訳のものではない。美学の背後にあるのは、人生への深い洞察であり、ささやかなものにも感動する能力である。
(以上、本より)

前話しがなくなりましたが、真似から自らのものになるには、さまざま人生経験も必要なのだと思う歳になりました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:46Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他