人生は「品性」を表す。日々、7つの性格(徳目)を磨く。

2011年01月18日

人生は「品性」を表す。日々、7つの性格(徳目)を磨く。


 サミュエル・スマイルズの「自助論」を以前に紹介しましたが、今日は、その理念を基にした人格・品格のついて、書かれた著書「日本人の本能」(渡部昇一著)から、一節を紹介します。少し文章が長いですが、日々、人を観察する参考なると思います。


(以下、転載)

 ……、J・S・ミルは1859年に、エリートやインテリを対象に「自由論」を書いた。その108節で、ミルは「キャラクター」について次のように述べている。

「願望とか衝動が自分のものである人、そして自分自身の教養、その他のよって発展せしめられ、特徴づけられたような、その人自身の性質から出てくるような表現、そのいうような人にはキャラクター(品性)がある。欲求や衝動が自分のものでないような人、借り物のである人にはキャラクターはない。それは蒸気エンジンにキャラクターがないのと同じことだ」(渡部訳)

 ここでミルが述べているのは、品性・品格の根本は自由だということである。自由な人間は、欲望も衝動も自分のものである。そしてその表現が、教養などによって裏付けられ、発展せしめられ自分自身のもになっている人こそが品性・品格を持つっているといえる。自由を持たない人は、自分自身の欲望や衝動を持つこと、あるいはそれを表現することができないから、当然品性・品格を持ち得ない。つまり自由と品性・品格は切り離せないものとなっているわけである。

 一方スマイルズの方は、個人の「キャラクター」については、「それは人類最高の実現である。人間性を最高に体現したものが個人の品性・品格である」というまことに意義深い定義をしている。

 具体的にどのような徳目を挙げているいるかというと、高い品性とは次のような諸性質を実践することにより養われるとしている。たとえば、truthfulness(真実)、chasteness(品行の良いこと)、mercifulness(慈悲深いこと)、integrity(ごまかしのないこと)、courage(勇気)、virtue(美徳)、goodness(善良さ)であり、これらを実践することから品性・品格は生まれてくるとしている。
 (以上、「日本人の本能」より)


>品性・品格の根本は自由だということ

>高い品性とは、真実、品行の良いこと、慈悲深いこと、ごまかしのないこと、勇気、美徳、善良さ、を自覚し実践すること

 言われてみれば、当たり前ですが、なかな自由に動けるには、それを支える仕組み、協力者、更には、自分自身が行動で示す必要があります。なかなか実践することは、難しいのが現実です。

 また、「日本人の本能」の一節に、

(以下、転載)

 リンカーンであったか、「人間は四十歳以上になると自分の顔に責任がある」という言葉を残している、すなわち人間の顔には幸とか不幸とか経験的なことがだんだんと刻まれれ、内側の道徳性がある程度現れるという性質がある。それを刻み込まれたしわのあたりから行ったのか、characterという語が用いられている。
 (以上、「日本人の本能」より)

 人生は「品性」を表す、のテーマの文ですが、私も50代になり、それなりの人生を歩んで来たのですが、先輩方の後ろ姿を見るに、色々な物語の表す顔をされているように思います。
 またスマイルズは、「他人の力を期待し、頼っているような人に、「キャラクター」(品性・品格)が養われるはずがない」というとありました。
 私も、新たな世界に、昨秋飛び込み、色々な方々の力を頂き、地域活動の世話役の一人に加えて頂いたのですが、自分を磨くことを忘れて行けないと感じます。
 「日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」
と四書の「大学」に、伝説の聖王「湯王」は、洗面器の縁に刻み、毎朝顔を洗う時に、自分を鼓舞したそうです。先人の教えを学び、日々暮らして生きたいと思います。

*参考資料:渡部昇一著「日本人の本能」 

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:55Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

人生は「品性」を表す。日々、7つの性格(徳目)を磨く。

2011年01月18日

人生は「品性」を表す。日々、7つの性格(徳目)を磨く。


 サミュエル・スマイルズの「自助論」を以前に紹介しましたが、今日は、その理念を基にした人格・品格のついて、書かれた著書「日本人の本能」(渡部昇一著)から、一節を紹介します。少し文章が長いですが、日々、人を観察する参考なると思います。


(以下、転載)

 ……、J・S・ミルは1859年に、エリートやインテリを対象に「自由論」を書いた。その108節で、ミルは「キャラクター」について次のように述べている。

「願望とか衝動が自分のものである人、そして自分自身の教養、その他のよって発展せしめられ、特徴づけられたような、その人自身の性質から出てくるような表現、そのいうような人にはキャラクター(品性)がある。欲求や衝動が自分のものでないような人、借り物のである人にはキャラクターはない。それは蒸気エンジンにキャラクターがないのと同じことだ」(渡部訳)

 ここでミルが述べているのは、品性・品格の根本は自由だということである。自由な人間は、欲望も衝動も自分のものである。そしてその表現が、教養などによって裏付けられ、発展せしめられ自分自身のもになっている人こそが品性・品格を持つっているといえる。自由を持たない人は、自分自身の欲望や衝動を持つこと、あるいはそれを表現することができないから、当然品性・品格を持ち得ない。つまり自由と品性・品格は切り離せないものとなっているわけである。

 一方スマイルズの方は、個人の「キャラクター」については、「それは人類最高の実現である。人間性を最高に体現したものが個人の品性・品格である」というまことに意義深い定義をしている。

 具体的にどのような徳目を挙げているいるかというと、高い品性とは次のような諸性質を実践することにより養われるとしている。たとえば、truthfulness(真実)、chasteness(品行の良いこと)、mercifulness(慈悲深いこと)、integrity(ごまかしのないこと)、courage(勇気)、virtue(美徳)、goodness(善良さ)であり、これらを実践することから品性・品格は生まれてくるとしている。
 (以上、「日本人の本能」より)


>品性・品格の根本は自由だということ

>高い品性とは、真実、品行の良いこと、慈悲深いこと、ごまかしのないこと、勇気、美徳、善良さ、を自覚し実践すること

 言われてみれば、当たり前ですが、なかな自由に動けるには、それを支える仕組み、協力者、更には、自分自身が行動で示す必要があります。なかなか実践することは、難しいのが現実です。

 また、「日本人の本能」の一節に、

(以下、転載)

 リンカーンであったか、「人間は四十歳以上になると自分の顔に責任がある」という言葉を残している、すなわち人間の顔には幸とか不幸とか経験的なことがだんだんと刻まれれ、内側の道徳性がある程度現れるという性質がある。それを刻み込まれたしわのあたりから行ったのか、characterという語が用いられている。
 (以上、「日本人の本能」より)

 人生は「品性」を表す、のテーマの文ですが、私も50代になり、それなりの人生を歩んで来たのですが、先輩方の後ろ姿を見るに、色々な物語の表す顔をされているように思います。
 またスマイルズは、「他人の力を期待し、頼っているような人に、「キャラクター」(品性・品格)が養われるはずがない」というとありました。
 私も、新たな世界に、昨秋飛び込み、色々な方々の力を頂き、地域活動の世話役の一人に加えて頂いたのですが、自分を磨くことを忘れて行けないと感じます。
 「日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」
と四書の「大学」に、伝説の聖王「湯王」は、洗面器の縁に刻み、毎朝顔を洗う時に、自分を鼓舞したそうです。先人の教えを学び、日々暮らして生きたいと思います。

*参考資料:渡部昇一著「日本人の本能」 

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:54Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他

阿久根市長選、きっかけは竹原ブログ、勝因は市民の一体感

2011年01月18日

■阿久根市長選 教訓踏まえ行政改革を進めよ(読売新聞 - 01月18日 01:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1471833&media_id=20



阿久根市長選、きっかけは竹原ブログ、勝因は市民の一体感


「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」(竹原氏)
~うちの子は生きてちゃいけないのか~

阿久根市長選挙の後報が、色々出ている。熊本の地元紙に、共同通信配信の記事で、阿久根市の新市長に就任した西平良将氏の談話が載っています。

(以下、転載)
西平氏は、一昨年11月、前市長のブログで、高度医療によって「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」と記したことだった。
さっそく、市役所へ障害者団体と出向き講義をしたが、市長は面談も拒み謝罪もしなかった。「阿久根はこのままでいいのだろうか」。不安を感じた20~40代の若手メンバーと市民団体を立ち上げ、リコール運動に発展させた。
西平氏の長男(6才)に障害があり、「うちの子は生きてちゃいけないのか」、許せなかった。
 (以上、熊本日日新聞「人」より)

と、あった。入院中の末期がん患者も協力してくれた。「勝因は一体感。いろいろな人を巻き込んで勝ち取った」と。

また、熊本日日新聞の一面のコラムに次のような批評も載っていた。

(転載)
 阿久根市長選で、竹原市長が敗れた。議会制民主主義を軽視し、住民至上主義を旗印に市職員組合や市議会を批判した。あのエネルギーは何に由来するものであろうか。竹原市に三度市政を任せるのは危うい面があったが、選挙では根強い支持票を集めた。
 同市は閉塞感の苦しんでいることは再三指摘されてきた。市民が公務員や市議会議員の収入に批判的な目を向けた。その気分は分かるのだが、竹原前市長はそれをあおっただけで、地道な地域振興策を示すことができなかった。
 ある種のポピュリズムが支えた阿久根市の暴走は一応止まった。続いて注目されるのは、愛知・名古屋のトリプリ選挙、大阪府の「大坂都構想」の行方だ。橋下府知事は「思想としては竹原市長を大いに尊敬する」と明言したが、リーダーシップと独裁は違う。お分かりであろうが。(中略)
 (以上、熊本日日新聞「新生面」より)

社会の閉塞感の中で、市民はリーダーを求める傾向がある。リーダーは、支持者、状況の3つの要素から生まれると、今読んでいる「リーダー・パワー」の著書にあった。

*関連日記
リーダーシップの3つの要素、阿久根市長選挙から考える
http://noguchi-shuichi.at.webry.info/201101/article_23.html

 リーダーシップは、三つの重要な構成要素、すなわち、リーダー、フォロワー(支援者)、状況を備えたプロセスと考えることができる。状況を作り上げているのは、外部環境と、集団がある特定の事情の中で追求している変化する目標の二つである。……、効果的なリーダーシップにもっともふさわしい特性は、状況に依存する。そうした状況からフォロワーのニーズが生まれ、そのニーズに促されて、フォロワーたちは特定のリーダーを探そうとする。
(昨日のブログより、一部抜粋)

 竹原市長は、初めは市民の思い「不安」に一条の光を灯したが、市民のニーズが変化する状況を把握せず、状況の変化に合わせたミッション(目標)を、市民へ伝えることができなかった。

 3年前、国道三号線を使い、阿久根市を通る機会があった。隣接の薩摩川内市に比べ、商店街の衰退には、驚くほどだった。新幹線が開通するまでは、けっこう賑やかな駅前商店街が、串の歯が折れるように、シャッターでなくて、家ごと無くなる状況を目の当たりにした。経済の活性化が、最大の政策であることは明白な気がした。

 目先の行政・議会の特権意識を批判することで、注目を浴びたが、根っこの地域振興策がなおざりだったのが、今回の結果を生んだ要因のように思う。

「英雄型リーダーの上に成り立つ社会は、市民社会を発達させることができないし、今日のネットワーク世界(社会)の先頭を行くのに必要な社会資本を整備することもできないということだ」(「リーダー・パワー」より)

と、ある。現代の情報ツール「市長ブログ」を活用して、日本の注目を浴びた前市長は、その情報社会の攻勢を、自分のパワーに変化させることができなかった。

インターネット時代の市民社会のリーダーのあり方が、今度の統一地方選挙で問われるように思う。

*参考資料:ジョセフ・S・ナイ教授の著書「リーダー・パワー」
      熊本日日新聞(1月18日朝刊)


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:35Comments(0)政治問題(地方)

阿久根市選、きっかけは竹原ブログ、勝因は市民の一体感

2011年01月18日

■阿久根市長選 教訓踏まえ行政改革を進めよ(読売新聞 - 01月18日 01:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1471833&media_id=20



阿久根市選、きっかけは竹原ブログ、勝因は市民の一体感


「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」(竹原氏)
~うちの子は生きてちゃいけないのか~

阿久根市長選挙の後報が、色々出ている。熊本の地元紙に、共同通信配信の記事で、阿久根市の新市長に就任した西平良将氏の談話が載っています。

(以下、転載)
西平氏は、一昨年11月、前市長のブログで、高度医療によって「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」と記したことだった。
さっそく、市役所へ障害者団体と出向き講義をしたが、市長は面談も拒み謝罪もしなかった。「阿久根はこのままでいいのだろうか」。不安を感じた20~40代の若手メンバーと市民団体を立ち上げ、リコール運動に発展させた。
西平氏の長男(6才)に障害があり、「うちの子は生きてちゃいけないのか」、許せなかった。
 (以上、熊本日日新聞「人」より)

と、あった。入院中の末期がん患者も協力してくれた。「勝因は一体感。いろいろな人を巻き込んで勝ち取った」と。

また、熊本日日新聞の一面のコラムに次のような批評も載っていた。

(転載)
 阿久根市長選で、竹原市長が敗れた。議会制民主主義を軽視し、住民至上主義を旗印に市職員組合や市議会を批判した。あのエネルギーは何に由来するものであろうか。竹原市に三度市政を任せるのは危うい面があったが、選挙では根強い支持票を集めた。
 同市は閉塞感の苦しんでいることは再三指摘されてきた。市民が公務員や市議会議員の収入に批判的な目を向けた。その気分は分かるのだが、竹原前市長はそれをあおっただけで、地道な地域振興策を示すことができなかった。
 ある種のポピュリズムが支えた阿久根市の暴走は一応止まった。続いて注目されるのは、愛知・名古屋のトリプリ選挙、大阪府の「大坂都構想」の行方だ。橋下府知事は「思想としては竹原市長を大いに尊敬する」と明言したが、リーダーシップと独裁は違う。お分かりであろうが。(中略)
 (以上、熊本日日新聞「新生面」より)

社会の閉塞感の中で、市民はリーダーを求める傾向がある。リーダーは、支持者、状況の3つの要素から生まれると、今読んでいる「リーダー・パワー」の著書にあった。

*関連日記
リーダーシップの3つの要素、阿久根市長選挙から考える
http://noguchi-shuichi.at.webry.info/201101/article_23.html

 リーダーシップは、三つの重要な構成要素、すなわち、リーダー、フォロワー(支援者)、状況を備えたプロセスと考えることができる。状況を作り上げているのは、外部環境と、集団がある特定の事情の中で追求している変化する目標の二つである。……、効果的なリーダーシップにもっともふさわしい特性は、状況に依存する。そうした状況からフォロワーのニーズが生まれ、そのニーズに促されて、フォロワーたちは特定のリーダーを探そうとする。
(昨日のブログより、一部抜粋)

 竹原市長は、初めは市民の思い「不安」に一条の光を灯したが、市民のニーズが変化する状況を把握せず、状況の変化に合わせたミッション(目標)を、市民へ伝えることができなかった。

 3年前、国道三号線を使い、阿久根市を通る機会があった。隣接の薩摩川内市に比べ、商店街の衰退には、驚くほどだった。新幹線が開通するまでは、けっこう賑やかな駅前商店街が、串の歯が折れるように、シャッターでなくて、家ごと無くなる状況を目の当たりにした。経済の活性化が、最大の政策であることは明白な気がした。

 目先の行政・議会の特権意識を批判することで、注目を浴びたが、根っこの地域振興策がなおざりだったのが、今回の結果を生んだ要因のように思う。

「英雄型リーダーの上に成り立つ社会は、市民社会を発達させることができないし、今日のネットワーク世界(社会)の先頭を行くのに必要な社会資本を整備することもできないということだ」(「リーダー・パワー」より)

と、ある。現代の情報ツール「市長ブログ」を活用して、日本の注目を浴びた前市長は、その情報社会の攻勢を、自分のパワーに変化させることができなかった。

インターネット時代の市民社会のリーダーのあり方が、今度の統一地方選挙で問われるように思う。

*参考資料:ジョセフ・S・ナイ教授の著書「リーダー・パワー」
      熊本日日新聞(1月18日朝刊)


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:29Comments(0)政治問題(地方)