決算委員会、講義原稿作成、商工会新年会、~「葉隠」~
2011年01月12日
決算委員会、講義原稿作成、商工会新年会、~「葉隠」~
~「大器晩成?」、 出世 … 一にも、二にも「功を急ぐべからず」~
・初めての決算委員会
今日は、午前中は、議会の決算委員会の第1回目があった。初めてのことばかりだが、親切な先輩からのアドバイスで、言葉や仕組みが良くわかった。多くの事業が行われ、宇宇土市のことが事業費というフィルターで検証する機会を得て、とても勉強になっています。今後、6回の審議会と、最終報告への準備があるが、将来の市政のために、ここ3年間の事業を検証して行きたいと思います。
・大学講義の準備
さて、午後は、明日の大学の講義に準備をした。講義に構想は、11月末くらいから「今年は、何を話そうか」から始まり、現代の政治変化、まちづくりの要望等の情報を集めながら考える。これまでは、年末年始が、授業準備でしたが、年始の地域の行事に顔を出すようになり、なかなかできていなかった。
やっと、3日前に形が出来て、講義原稿を一昨日から準備をし出した。今夜は、地元商工会の新年名詞交換会があり、夕方までまとめたいと必死になって、ほぼ通しの文章が出来てから、商工会の新年会へ出かけた。
・商工会 新年名詞交換会
初めての参加でしたが、これまで地域づくりに少なからず、参加して来たおかげで、先輩方に声をかけてもらい、すこしづつ打ち解けて、話もできるようになりました。尊敬する先輩の所へ、選挙以来のご挨拶をした。
同じ新人議員の相談役でもあり、意見を交わす中で、「君、年はいくつになったか?」と聞かれて、「52になりました」と答えると、「もう52か」と意外な感触のようで、「もっと、若いと思っていた」を感想を頂いた。
「もう52です。これから一つひとつ勉強です。よろしくお願いします」とお願いし、その場を分かれた。
その言葉を聞いて、年末年始の読んだ「葉隠」の本を思い出した。自分の応援も含め、一節を紹介します。奈良本辰也著「葉隠」から、
(以下、転載)
「大器晩成」ということがある。二十年も三十年もかかって仕上げるようでなければ、大きな功績はなしとげられない。
奉公についても同じことだで、自分の功を急ぐ心があるときは、自分の役目以外のところまで首を出して、若いがなかなかのやり手だなと言われると、ますます調子に乗って無作法になり、いかにも得意気に敏腕家ぶっているうちに、追従・軽薄な気持ちが出てきて、人から軽蔑されるようになる。修行をするには苦労をして、立身するには他人から引き立てられるような者でなければ役に立たない。
若いうちから立身してお役に立っても、立派な仕事ができないものだ。どのように聡明な生まれつきであっても、若いうちはその才能を十分に実らず、他人も信用しないのである。五十歳ごろから、ゆっくりと才能を磨き上げたのがよい。そのようにしている間は人々の目には立身が遅いと思われるくらいの人が立派な仕事をしているのである。また、そうした人は失敗して家を傾けるようなことがあっても、自分のために不正を働いたのではないから、すぐに立ち直るものだ。
(以上、奈良本辰也著「葉隠」より)
とてもうれしくなる言葉です。私は、52歳からの市議への挑戦、紆余曲折、試行錯誤のこれまでのを思うと、市議もまた新しい世界で、一つ一つが勉強です。「葉隠」の教示を常に頭に置き、自分を高める努力を怠ってはいけないと思います。
「鈍才を自覚して、日々の努力を忘れない」
大器ではないですが、晩成を志す気持ちを持ち続けたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」
~「大器晩成?」、 出世 … 一にも、二にも「功を急ぐべからず」~
・初めての決算委員会
今日は、午前中は、議会の決算委員会の第1回目があった。初めてのことばかりだが、親切な先輩からのアドバイスで、言葉や仕組みが良くわかった。多くの事業が行われ、宇宇土市のことが事業費というフィルターで検証する機会を得て、とても勉強になっています。今後、6回の審議会と、最終報告への準備があるが、将来の市政のために、ここ3年間の事業を検証して行きたいと思います。
・大学講義の準備
さて、午後は、明日の大学の講義に準備をした。講義に構想は、11月末くらいから「今年は、何を話そうか」から始まり、現代の政治変化、まちづくりの要望等の情報を集めながら考える。これまでは、年末年始が、授業準備でしたが、年始の地域の行事に顔を出すようになり、なかなかできていなかった。
やっと、3日前に形が出来て、講義原稿を一昨日から準備をし出した。今夜は、地元商工会の新年名詞交換会があり、夕方までまとめたいと必死になって、ほぼ通しの文章が出来てから、商工会の新年会へ出かけた。
・商工会 新年名詞交換会
初めての参加でしたが、これまで地域づくりに少なからず、参加して来たおかげで、先輩方に声をかけてもらい、すこしづつ打ち解けて、話もできるようになりました。尊敬する先輩の所へ、選挙以来のご挨拶をした。
同じ新人議員の相談役でもあり、意見を交わす中で、「君、年はいくつになったか?」と聞かれて、「52になりました」と答えると、「もう52か」と意外な感触のようで、「もっと、若いと思っていた」を感想を頂いた。
「もう52です。これから一つひとつ勉強です。よろしくお願いします」とお願いし、その場を分かれた。
その言葉を聞いて、年末年始の読んだ「葉隠」の本を思い出した。自分の応援も含め、一節を紹介します。奈良本辰也著「葉隠」から、
(以下、転載)
「大器晩成」ということがある。二十年も三十年もかかって仕上げるようでなければ、大きな功績はなしとげられない。
奉公についても同じことだで、自分の功を急ぐ心があるときは、自分の役目以外のところまで首を出して、若いがなかなかのやり手だなと言われると、ますます調子に乗って無作法になり、いかにも得意気に敏腕家ぶっているうちに、追従・軽薄な気持ちが出てきて、人から軽蔑されるようになる。修行をするには苦労をして、立身するには他人から引き立てられるような者でなければ役に立たない。
若いうちから立身してお役に立っても、立派な仕事ができないものだ。どのように聡明な生まれつきであっても、若いうちはその才能を十分に実らず、他人も信用しないのである。五十歳ごろから、ゆっくりと才能を磨き上げたのがよい。そのようにしている間は人々の目には立身が遅いと思われるくらいの人が立派な仕事をしているのである。また、そうした人は失敗して家を傾けるようなことがあっても、自分のために不正を働いたのではないから、すぐに立ち直るものだ。
(以上、奈良本辰也著「葉隠」より)
とてもうれしくなる言葉です。私は、52歳からの市議への挑戦、紆余曲折、試行錯誤のこれまでのを思うと、市議もまた新しい世界で、一つ一つが勉強です。「葉隠」の教示を常に頭に置き、自分を高める努力を怠ってはいけないと思います。
「鈍才を自覚して、日々の努力を忘れない」
大器ではないですが、晩成を志す気持ちを持ち続けたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」