リーダーシップの3つの要素、阿久根市長選挙から考える
2011年01月17日
リーダーシップの3つの要素、阿久根市長選挙から考える
■竹原氏落選 最後まで報道批判
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1470546&media_id=2
関連Webニュース
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110117k0000m040074000c.html
昨日の阿久根市長選挙では、僅差ではあるが、若いリーダーを阿久根市民は選択した。今回の選挙を前にして、「リーダー」あるいは「リーダーシップ」とは何か、考えてみた。先週から読んでいる、ジョセフ・S・ナイ教授の著書「リーダー・パワー」にいくつかのヒントがあったので、紹介します。
(以下、転載)
リーダーとは、人間の集団が共通の目標を設定し、それを達成させる手助けをする存在であると定義している。
リーダーシップは、三つの重要な構成要素、すなわち、リーダー、フォロワー(支援者)、状況を備えたプロセスと考えることができる。状況を作り上げているのは、外部環境と、集団がある特定の事情の中で追求している変化する目標の二つである。……、効果的なリーダーシップにもっともふさわしい特性は、状況に依存する。そうした状況からフォロワーのニーズが生まれ、そのニーズに促されて、フォロワーたちは特定のリーダーを探そうとする。(中略)
われわれは、リーダーという存在を、英雄のような個人という特定のタイプを考えるのではなく、リーダーシップのプロセスを構成する三つの要素すべてを考慮に入れる必要がある。リーダーとフォロワーは、状況認識が変わるにつれ、必要な役割を身につけ、役割を変える。重要な鍵は、リーダーとフォロワーがともに、異なる状況に対処する役割のレパートリーを広げ、適応できるようにする方法を理解することである。
リーダーシップとは「人々に対して、そのようにやれと命令によって強制するだけでなく、人々が本心からリーダーのためにそうしたいと望むように、一緒にしごとをさせる能力のことである……人の頭を殴って言うことを聞かせてはいけない。それは暴力による脅迫であって、リーダーシップではない」
英雄型リーダーの上に成り立つ社会は、市民社会を発達させることができないし、今日のネットワーク世界(社会)の先頭を行くのに必要な社会資本を整備することもできないということだ。もしその通りだとしたら、現代のポスト英雄型リーダーシップとは、リーダーがどういう人か、どの家系の出身かとかいったことは大した問題でなく、リーダーとなる人が何を学んできたか、また、集団の一員として何をするか、ということに尽きる、ということになる。生まれ育ちは絡み合ったいるが、現代の世界でより重要なのは育ち方であり、名誉をもたらす英雄型リーダーというパラダイムは二の次ということになる。
ハード・パワーとソフト・パワーの区別は、行動の性質においても、資源の確実性においても、程度の問題にすぎない。ハード・パワーもソフト・パワーも他人の行動に影響を及ぼすことで目的を達成する能力という、共通の部分を備えているからだ。「命令する力」 ― 他人の行動を強制的にかえる能力 ― は威圧や誘導を基本とする。一方、「他人を勧誘して仲間にする力」 ― 他人の望みをかなえる能力 ― は、その人の価値観に備わる引き寄せ力や、政治選択のため議論設定をする能力に基づく。
(以上、「リーダー・パワー」)
この「リーダー・パワー」の本の副題は、21世紀型組織の主導者のために、とあった。情報社会、ネットワーク社会の中で、これからのリーダーは、本人の資質や、それを支える支援者(フォロワー)たちの要望、取り巻く状況から、先導者が選ばれるように思います。
阿久根市、あるいは名古屋市、大阪府等々、新しい方のリーダー像が今後議論されると思いますが、選ぶ側の市民自身も、受身でなく、能動的に市民社会の形成に参画して行くことが求められると思います。今後の各市の動向に注目したいと思います。
■竹原氏落選 最後まで報道批判
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1470546&media_id=2
関連Webニュース
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110117k0000m040074000c.html
昨日の阿久根市長選挙では、僅差ではあるが、若いリーダーを阿久根市民は選択した。今回の選挙を前にして、「リーダー」あるいは「リーダーシップ」とは何か、考えてみた。先週から読んでいる、ジョセフ・S・ナイ教授の著書「リーダー・パワー」にいくつかのヒントがあったので、紹介します。
(以下、転載)
リーダーとは、人間の集団が共通の目標を設定し、それを達成させる手助けをする存在であると定義している。
リーダーシップは、三つの重要な構成要素、すなわち、リーダー、フォロワー(支援者)、状況を備えたプロセスと考えることができる。状況を作り上げているのは、外部環境と、集団がある特定の事情の中で追求している変化する目標の二つである。……、効果的なリーダーシップにもっともふさわしい特性は、状況に依存する。そうした状況からフォロワーのニーズが生まれ、そのニーズに促されて、フォロワーたちは特定のリーダーを探そうとする。(中略)
われわれは、リーダーという存在を、英雄のような個人という特定のタイプを考えるのではなく、リーダーシップのプロセスを構成する三つの要素すべてを考慮に入れる必要がある。リーダーとフォロワーは、状況認識が変わるにつれ、必要な役割を身につけ、役割を変える。重要な鍵は、リーダーとフォロワーがともに、異なる状況に対処する役割のレパートリーを広げ、適応できるようにする方法を理解することである。
リーダーシップとは「人々に対して、そのようにやれと命令によって強制するだけでなく、人々が本心からリーダーのためにそうしたいと望むように、一緒にしごとをさせる能力のことである……人の頭を殴って言うことを聞かせてはいけない。それは暴力による脅迫であって、リーダーシップではない」
英雄型リーダーの上に成り立つ社会は、市民社会を発達させることができないし、今日のネットワーク世界(社会)の先頭を行くのに必要な社会資本を整備することもできないということだ。もしその通りだとしたら、現代のポスト英雄型リーダーシップとは、リーダーがどういう人か、どの家系の出身かとかいったことは大した問題でなく、リーダーとなる人が何を学んできたか、また、集団の一員として何をするか、ということに尽きる、ということになる。生まれ育ちは絡み合ったいるが、現代の世界でより重要なのは育ち方であり、名誉をもたらす英雄型リーダーというパラダイムは二の次ということになる。
ハード・パワーとソフト・パワーの区別は、行動の性質においても、資源の確実性においても、程度の問題にすぎない。ハード・パワーもソフト・パワーも他人の行動に影響を及ぼすことで目的を達成する能力という、共通の部分を備えているからだ。「命令する力」 ― 他人の行動を強制的にかえる能力 ― は威圧や誘導を基本とする。一方、「他人を勧誘して仲間にする力」 ― 他人の望みをかなえる能力 ― は、その人の価値観に備わる引き寄せ力や、政治選択のため議論設定をする能力に基づく。
(以上、「リーダー・パワー」)
この「リーダー・パワー」の本の副題は、21世紀型組織の主導者のために、とあった。情報社会、ネットワーク社会の中で、これからのリーダーは、本人の資質や、それを支える支援者(フォロワー)たちの要望、取り巻く状況から、先導者が選ばれるように思います。
阿久根市、あるいは名古屋市、大阪府等々、新しい方のリーダー像が今後議論されると思いますが、選ぶ側の市民自身も、受身でなく、能動的に市民社会の形成に参画して行くことが求められると思います。今後の各市の動向に注目したいと思います。