阿久根市選、きっかけは竹原ブログ、勝因は市民の一体感
2011年01月18日
■阿久根市長選 教訓踏まえ行政改革を進めよ(読売新聞 - 01月18日 01:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1471833&media_id=20
阿久根市選、きっかけは竹原ブログ、勝因は市民の一体感
「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」(竹原氏)
~うちの子は生きてちゃいけないのか~
阿久根市長選挙の後報が、色々出ている。熊本の地元紙に、共同通信配信の記事で、阿久根市の新市長に就任した西平良将氏の談話が載っています。
(以下、転載)
西平氏は、一昨年11月、前市長のブログで、高度医療によって「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」と記したことだった。
さっそく、市役所へ障害者団体と出向き講義をしたが、市長は面談も拒み謝罪もしなかった。「阿久根はこのままでいいのだろうか」。不安を感じた20~40代の若手メンバーと市民団体を立ち上げ、リコール運動に発展させた。
西平氏の長男(6才)に障害があり、「うちの子は生きてちゃいけないのか」、許せなかった。
(以上、熊本日日新聞「人」より)
と、あった。入院中の末期がん患者も協力してくれた。「勝因は一体感。いろいろな人を巻き込んで勝ち取った」と。
また、熊本日日新聞の一面のコラムに次のような批評も載っていた。
(転載)
阿久根市長選で、竹原市長が敗れた。議会制民主主義を軽視し、住民至上主義を旗印に市職員組合や市議会を批判した。あのエネルギーは何に由来するものであろうか。竹原市に三度市政を任せるのは危うい面があったが、選挙では根強い支持票を集めた。
同市は閉塞感の苦しんでいることは再三指摘されてきた。市民が公務員や市議会議員の収入に批判的な目を向けた。その気分は分かるのだが、竹原前市長はそれをあおっただけで、地道な地域振興策を示すことができなかった。
ある種のポピュリズムが支えた阿久根市の暴走は一応止まった。続いて注目されるのは、愛知・名古屋のトリプリ選挙、大阪府の「大坂都構想」の行方だ。橋下府知事は「思想としては竹原市長を大いに尊敬する」と明言したが、リーダーシップと独裁は違う。お分かりであろうが。(中略)
(以上、熊本日日新聞「新生面」より)
社会の閉塞感の中で、市民はリーダーを求める傾向がある。リーダーは、支持者、状況の3つの要素から生まれると、今読んでいる「リーダー・パワー」の著書にあった。
*関連日記
リーダーシップの3つの要素、阿久根市長選挙から考える
http://noguchi-shuichi.at.webry.info/201101/article_23.html
リーダーシップは、三つの重要な構成要素、すなわち、リーダー、フォロワー(支援者)、状況を備えたプロセスと考えることができる。状況を作り上げているのは、外部環境と、集団がある特定の事情の中で追求している変化する目標の二つである。……、効果的なリーダーシップにもっともふさわしい特性は、状況に依存する。そうした状況からフォロワーのニーズが生まれ、そのニーズに促されて、フォロワーたちは特定のリーダーを探そうとする。
(昨日のブログより、一部抜粋)
竹原市長は、初めは市民の思い「不安」に一条の光を灯したが、市民のニーズが変化する状況を把握せず、状況の変化に合わせたミッション(目標)を、市民へ伝えることができなかった。
3年前、国道三号線を使い、阿久根市を通る機会があった。隣接の薩摩川内市に比べ、商店街の衰退には、驚くほどだった。新幹線が開通するまでは、けっこう賑やかな駅前商店街が、串の歯が折れるように、シャッターでなくて、家ごと無くなる状況を目の当たりにした。経済の活性化が、最大の政策であることは明白な気がした。
目先の行政・議会の特権意識を批判することで、注目を浴びたが、根っこの地域振興策がなおざりだったのが、今回の結果を生んだ要因のように思う。
「英雄型リーダーの上に成り立つ社会は、市民社会を発達させることができないし、今日のネットワーク世界(社会)の先頭を行くのに必要な社会資本を整備することもできないということだ」(「リーダー・パワー」より)
と、ある。現代の情報ツール「市長ブログ」を活用して、日本の注目を浴びた前市長は、その情報社会の攻勢を、自分のパワーに変化させることができなかった。
インターネット時代の市民社会のリーダーのあり方が、今度の統一地方選挙で問われるように思う。
*参考資料:ジョセフ・S・ナイ教授の著書「リーダー・パワー」
熊本日日新聞(1月18日朝刊)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1471833&media_id=20
阿久根市選、きっかけは竹原ブログ、勝因は市民の一体感
「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」(竹原氏)
~うちの子は生きてちゃいけないのか~
阿久根市長選挙の後報が、色々出ている。熊本の地元紙に、共同通信配信の記事で、阿久根市の新市長に就任した西平良将氏の談話が載っています。
(以下、転載)
西平氏は、一昨年11月、前市長のブログで、高度医療によって「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」と記したことだった。
さっそく、市役所へ障害者団体と出向き講義をしたが、市長は面談も拒み謝罪もしなかった。「阿久根はこのままでいいのだろうか」。不安を感じた20~40代の若手メンバーと市民団体を立ち上げ、リコール運動に発展させた。
西平氏の長男(6才)に障害があり、「うちの子は生きてちゃいけないのか」、許せなかった。
(以上、熊本日日新聞「人」より)
と、あった。入院中の末期がん患者も協力してくれた。「勝因は一体感。いろいろな人を巻き込んで勝ち取った」と。
また、熊本日日新聞の一面のコラムに次のような批評も載っていた。
(転載)
阿久根市長選で、竹原市長が敗れた。議会制民主主義を軽視し、住民至上主義を旗印に市職員組合や市議会を批判した。あのエネルギーは何に由来するものであろうか。竹原市に三度市政を任せるのは危うい面があったが、選挙では根強い支持票を集めた。
同市は閉塞感の苦しんでいることは再三指摘されてきた。市民が公務員や市議会議員の収入に批判的な目を向けた。その気分は分かるのだが、竹原前市長はそれをあおっただけで、地道な地域振興策を示すことができなかった。
ある種のポピュリズムが支えた阿久根市の暴走は一応止まった。続いて注目されるのは、愛知・名古屋のトリプリ選挙、大阪府の「大坂都構想」の行方だ。橋下府知事は「思想としては竹原市長を大いに尊敬する」と明言したが、リーダーシップと独裁は違う。お分かりであろうが。(中略)
(以上、熊本日日新聞「新生面」より)
社会の閉塞感の中で、市民はリーダーを求める傾向がある。リーダーは、支持者、状況の3つの要素から生まれると、今読んでいる「リーダー・パワー」の著書にあった。
*関連日記
リーダーシップの3つの要素、阿久根市長選挙から考える
http://noguchi-shuichi.at.webry.info/201101/article_23.html
リーダーシップは、三つの重要な構成要素、すなわち、リーダー、フォロワー(支援者)、状況を備えたプロセスと考えることができる。状況を作り上げているのは、外部環境と、集団がある特定の事情の中で追求している変化する目標の二つである。……、効果的なリーダーシップにもっともふさわしい特性は、状況に依存する。そうした状況からフォロワーのニーズが生まれ、そのニーズに促されて、フォロワーたちは特定のリーダーを探そうとする。
(昨日のブログより、一部抜粋)
竹原市長は、初めは市民の思い「不安」に一条の光を灯したが、市民のニーズが変化する状況を把握せず、状況の変化に合わせたミッション(目標)を、市民へ伝えることができなかった。
3年前、国道三号線を使い、阿久根市を通る機会があった。隣接の薩摩川内市に比べ、商店街の衰退には、驚くほどだった。新幹線が開通するまでは、けっこう賑やかな駅前商店街が、串の歯が折れるように、シャッターでなくて、家ごと無くなる状況を目の当たりにした。経済の活性化が、最大の政策であることは明白な気がした。
目先の行政・議会の特権意識を批判することで、注目を浴びたが、根っこの地域振興策がなおざりだったのが、今回の結果を生んだ要因のように思う。
「英雄型リーダーの上に成り立つ社会は、市民社会を発達させることができないし、今日のネットワーク世界(社会)の先頭を行くのに必要な社会資本を整備することもできないということだ」(「リーダー・パワー」より)
と、ある。現代の情報ツール「市長ブログ」を活用して、日本の注目を浴びた前市長は、その情報社会の攻勢を、自分のパワーに変化させることができなかった。
インターネット時代の市民社会のリーダーのあり方が、今度の統一地方選挙で問われるように思う。
*参考資料:ジョセフ・S・ナイ教授の著書「リーダー・パワー」
熊本日日新聞(1月18日朝刊)
<地方議会の活性化>多様な人々との交わり(意見交換)には、広い場所が必要となる。
宇土市で女性のリーダー育成が令和7年度から始まります。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。
熊日宇土市局長の古東竜之介さんの選挙についての記事に、23歳の記者として、若者としての意見。
藩主が自ら思い切った贅肉落しを行う。鍋釜(官僚)を頑強に鋳る(育成する)ことが最も肝要である。〜上杉鷹山〜
宇土市で女性のリーダー育成が令和7年度から始まります。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。
熊日宇土市局長の古東竜之介さんの選挙についての記事に、23歳の記者として、若者としての意見。
藩主が自ら思い切った贅肉落しを行う。鍋釜(官僚)を頑強に鋳る(育成する)ことが最も肝要である。〜上杉鷹山〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 09:29│Comments(0)
│政治問題(地方)
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