(PTA廃止)杉並区立和田中。(形骸化)市町村教育委員会
2008年03月23日
(PTA廃止)杉並区立和田中。(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は?
・(PTA廃止)杉並区立和田中
■「夜スペ」中学校 PTAを廃止へ 地域全体で支える仕組みに(毎日新聞 03月23日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=439713&media_id=2
>藤原校長は「能力があり、学校支援への意欲を持っている保護者はいるが、マンネリ化『PTA』を敬遠する人は多い。地域本部に統合することで、多様な人材を受け入れたい」と話す。PTAの活動で必要なものは地域本部で行う。また、PTA活動は無償だが、地域本部は交通費など謝礼を出すことも検討しているという。
>マンネリ化『PTA』を敬遠する人は多い
現実に、役員の受け手が少ないのは、事実です。
>PTAの活動で必要なものは地域本部で行う
どんな組織か分かりませんが、地域で学校を見るという発想なのでしょうか?
>PTA活動は無償だが
段々、有償ボランティアに、変化しつつあると思います。
今回の新しい試みを注目して見て行きたいと思います。
・(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は?
さて、学校PTAは、保護者が関わり子どもと身近な存在があるのですが、市町村の教育委員会の存在が、今、問われていると思います。
教職員は、都道府県職員がほとんど思います。権限が無く、なぜか学校経営を監視し、研修などを奨励したりがありました。
私の地元には、地域を小中学校のPTAを集めて、教育委員会主催で、「タスキリレー」なる催しがあります。これは、何のためにあるか考えても、どうにもふに落ちないものがあります。そして、最後はお疲れさんの慰労会です。教育委員会が、土曜日一日中、PTAを動員して行、宣伝活動としか思えません。実際、私も2度走りました。
子ども中心に考えない教育委員会の活動は、全て止める。そしてほとんどが、国や県の指導の踏襲であれば、存在する意味もなくなるように思います。
教育現場をもっと、子どもと教師が長く接するような、方法を考える教育委員会ならまだしも、今の現状の仕組みでは、存在する意味が無いように感じます。
関東の志木市では、理念をしっかり作り、それを市長が指導すれば充分として、教育委員会を廃止した自治体もあります。
地方の教育を、もっと子ども中心に考える学校に変えることが必要と思います。
現在のように、国の教育指導要綱や県教育委員会の指導を鵜呑みにし、考えない市町村教育委員会は、既に形骸化しているので廃止の検討をすべきと思います。
PTA、教育委員会について、色々とみなさんにご意見を頂ければ幸いです。
<以前の日記>
・(教育再生)これから求められるのは人間力
(人間社会の限界)本来農業の世界観・自然観、10の提言、その2
・(PTA廃止)杉並区立和田中
■「夜スペ」中学校 PTAを廃止へ 地域全体で支える仕組みに(毎日新聞 03月23日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=439713&media_id=2
>藤原校長は「能力があり、学校支援への意欲を持っている保護者はいるが、マンネリ化『PTA』を敬遠する人は多い。地域本部に統合することで、多様な人材を受け入れたい」と話す。PTAの活動で必要なものは地域本部で行う。また、PTA活動は無償だが、地域本部は交通費など謝礼を出すことも検討しているという。
>マンネリ化『PTA』を敬遠する人は多い
現実に、役員の受け手が少ないのは、事実です。
>PTAの活動で必要なものは地域本部で行う
どんな組織か分かりませんが、地域で学校を見るという発想なのでしょうか?
>PTA活動は無償だが
段々、有償ボランティアに、変化しつつあると思います。
今回の新しい試みを注目して見て行きたいと思います。
・(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は?
さて、学校PTAは、保護者が関わり子どもと身近な存在があるのですが、市町村の教育委員会の存在が、今、問われていると思います。
教職員は、都道府県職員がほとんど思います。権限が無く、なぜか学校経営を監視し、研修などを奨励したりがありました。
私の地元には、地域を小中学校のPTAを集めて、教育委員会主催で、「タスキリレー」なる催しがあります。これは、何のためにあるか考えても、どうにもふに落ちないものがあります。そして、最後はお疲れさんの慰労会です。教育委員会が、土曜日一日中、PTAを動員して行、宣伝活動としか思えません。実際、私も2度走りました。
子ども中心に考えない教育委員会の活動は、全て止める。そしてほとんどが、国や県の指導の踏襲であれば、存在する意味もなくなるように思います。
教育現場をもっと、子どもと教師が長く接するような、方法を考える教育委員会ならまだしも、今の現状の仕組みでは、存在する意味が無いように感じます。
関東の志木市では、理念をしっかり作り、それを市長が指導すれば充分として、教育委員会を廃止した自治体もあります。
地方の教育を、もっと子ども中心に考える学校に変えることが必要と思います。
現在のように、国の教育指導要綱や県教育委員会の指導を鵜呑みにし、考えない市町村教育委員会は、既に形骸化しているので廃止の検討をすべきと思います。
PTA、教育委員会について、色々とみなさんにご意見を頂ければ幸いです。
<以前の日記>
・(教育再生)これから求められるのは人間力
(人間社会の限界)本来農業の世界観・自然観、10の提言、その2
放課後児童クラブ(学童保育)の学習会。〜発達障がいの対応は、一般化ではなく、その子らしさの尊重〜
>たとえ100年続いてきた仕組みであったとしても、変えようとする柔軟性を、校長をはじめとする教育関係者は持つべき
<生きる力、雑学という学問のすゝめ>「雑草という草はない」〜牧野富太郎〜
<仕事はバラバラ>全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。〜曽野綾子〜
<日常の回復>3月は、別れの季節であり、出発・旅立ちの季節です。早春の花が開き始めた。
学校の森、学校林、学校の景観、木について学ぶ。〜熊本市「森の都推進部」〜
>たとえ100年続いてきた仕組みであったとしても、変えようとする柔軟性を、校長をはじめとする教育関係者は持つべき
<生きる力、雑学という学問のすゝめ>「雑草という草はない」〜牧野富太郎〜
<仕事はバラバラ>全く親と同じような生き方や考え方をする子供がいたら、むしろ異常かもしれない。〜曽野綾子〜
<日常の回復>3月は、別れの季節であり、出発・旅立ちの季節です。早春の花が開き始めた。
学校の森、学校林、学校の景観、木について学ぶ。〜熊本市「森の都推進部」〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 21:28│Comments(0)
│教育問題