<孤独は、成長の時>ダーウィンは病弱で、スウィフトは自分の才能が人々にわからぬという点で、フロイドは広場恐怖症に、
2021年07月16日
<孤独は、成長の時>ダーウィンは病弱で、スウィフトは自分の才能が人々にわからぬという点で、フロイドは広場恐怖症に、チャーチルとトルストイは不器量コンプレックスに苦しんできた。・・・
人は、大勢の中にいても孤独を感じることがある。
ある夫婦が、「あなたに先に死なれたらいやだから、私はどうしても先に死ぬのよ」と夫に言う。
「でもそうなると、あなたも後に残ってかわいいそうな」
と、続くのですが・・・
独り生きるとは?
人は一人でない生きられない、とよく言います。
しかし、生まれるのも一人、死ぬ時も一人です。
朝の目覚め、夜の就寝も、やはり一人の時間でもあります。
冒頭の有名人たちの個人の苦悩は、それを克服するために人とつながったのでは、とも言えます。悩みを語れる人が、周りにいたから、歴史に名を残す仕事ができた。
人とは不思議な力を持つ生物なのだと思います。
独り悩み苦しみ、そのハンディを乗り越えたから、後の人まで記憶に残る仕事をできた。
孤独こそ、パワーを生み出す"成長の時"のように思います。
人は、大勢の中にいても孤独を感じることがある。
ある夫婦が、「あなたに先に死なれたらいやだから、私はどうしても先に死ぬのよ」と夫に言う。
「でもそうなると、あなたも後に残ってかわいいそうな」
と、続くのですが・・・
独り生きるとは?
人は一人でない生きられない、とよく言います。
しかし、生まれるのも一人、死ぬ時も一人です。
朝の目覚め、夜の就寝も、やはり一人の時間でもあります。
冒頭の有名人たちの個人の苦悩は、それを克服するために人とつながったのでは、とも言えます。悩みを語れる人が、周りにいたから、歴史に名を残す仕事ができた。
人とは不思議な力を持つ生物なのだと思います。
独り悩み苦しみ、そのハンディを乗り越えたから、後の人まで記憶に残る仕事をできた。
孤独こそ、パワーを生み出す"成長の時"のように思います。
老化(認知症)の兆しは、ニュースに反応しなくなった時から。〜私の祖母は新聞を全部読んだ。父は違った〜
2021年07月16日
老化(認知症)の兆しは、ニュースに反応しなくなった時から。〜私の祖母は新聞を全部読んだ。父は違った〜
私の祖母は、明治の生まれで尋常小学校しか出ていませんでした。90代になっても目が良かったので、施設にお世話になる前まで、新聞を最初から最後まで読んでいた。時折り語る時「難しい漢字は分からん、飛ばして読んでいる」と話していた。11人の子供を産み、100歳まで生きた強い女性でした。
祖母を施設に見舞いに行くと、しばらくすると「仕事があるから帰りない」と言っていた。世の中のことには興味は最後まであったように思います。
曽野綾子さん著『都会の幸福』に、
(以下、本より)
ニュースには不思議と人間に若さを与える力がある。その証拠に、人間は老化すると、真先にニュースに興味を示さなくなる。私は三人の老世代と一緒に住んでそのことを発見したのである。
(以上、『都会の幸福』より)
私は、自宅再建した時、完全に家中が二世帯に分かれた家を建てたことで、若い我々夫婦と父母は、それぞれのペースで生活ができた。子どもたちは、自由に行き来をしていた。
子どもたちも、中学になると部活も忙しくなり、父母たちの生活は、高齢者世帯の典型のようなもので、時折り様子を見ると、テレビは歌番組と相撲よく見ていたようでした。ニュースについてあまり語らなくなり、それこそ私の祖母が老いてからも新聞を読んでいたが、私の父母たちは、ニュースに興味を示さなくなっていきました。
11年前に母が脳梗塞で倒れ入院したら、父は一人になり、寂しさから鬱になっていきました。テレビも見ず、もちろんニュースに興味は無かった。母が倒れて5ヶ月後に精神科の診断を受けたら、アルツハイマー性の認知症と分かった。
『都会の幸福』にあるように、ニュースに反応しなくなった時は、すでに認知度が進んでいると思ったほうが良いと、私の経験から感じます。
私の祖母は、明治の生まれで尋常小学校しか出ていませんでした。90代になっても目が良かったので、施設にお世話になる前まで、新聞を最初から最後まで読んでいた。時折り語る時「難しい漢字は分からん、飛ばして読んでいる」と話していた。11人の子供を産み、100歳まで生きた強い女性でした。
祖母を施設に見舞いに行くと、しばらくすると「仕事があるから帰りない」と言っていた。世の中のことには興味は最後まであったように思います。
曽野綾子さん著『都会の幸福』に、
(以下、本より)
ニュースには不思議と人間に若さを与える力がある。その証拠に、人間は老化すると、真先にニュースに興味を示さなくなる。私は三人の老世代と一緒に住んでそのことを発見したのである。
(以上、『都会の幸福』より)
私は、自宅再建した時、完全に家中が二世帯に分かれた家を建てたことで、若い我々夫婦と父母は、それぞれのペースで生活ができた。子どもたちは、自由に行き来をしていた。
子どもたちも、中学になると部活も忙しくなり、父母たちの生活は、高齢者世帯の典型のようなもので、時折り様子を見ると、テレビは歌番組と相撲よく見ていたようでした。ニュースについてあまり語らなくなり、それこそ私の祖母が老いてからも新聞を読んでいたが、私の父母たちは、ニュースに興味を示さなくなっていきました。
11年前に母が脳梗塞で倒れ入院したら、父は一人になり、寂しさから鬱になっていきました。テレビも見ず、もちろんニュースに興味は無かった。母が倒れて5ヶ月後に精神科の診断を受けたら、アルツハイマー性の認知症と分かった。
『都会の幸福』にあるように、ニュースに反応しなくなった時は、すでに認知度が進んでいると思ったほうが良いと、私の経験から感じます。