顔が広いは、自慢にならぬ。その人とどのような出会いをし、互いに何を与え、何を得たか。〜坂崎重盛〜
2021年07月22日
顔が広いは、自慢にならぬ。その人とどのような出会いをし、互いに何を与え、何を得たか。〜坂崎重盛〜
今日から4連休、朝のウォーキングもお休みです。
まだ横になって枕元の本をいくつか開いていたら、
「顔が広いは、自慢にならぬ」
の文字、私の40代の生き方を否定されることばか?
私は、これまで異業種交流会を21年間に67回(最後は2年前)開催してきました。それを開催するために、さまざまなセミナーや集まりに参加していました。当初は参加者が増えることに意味があった。後半からは、どんな人が集まるかに重きを置いて開催していた。
私は、建築士事務所をやっているので、建築関係者の友人知人がいるのは当たり前ですが、他分野の人との交流は何があるか?
当初は人脈作りから始まったが、後では、"おもしろい人に会いたい"に変わっていきました。
以下の文を朝から読み、『なぜ、この人の周りに人が集まるのか』から、なるほどだね!
(以下、本より)
人間、社会で動いていれば知人は際限なく増えてゆく。ほうっておいても顔は広くなる。だから名刺の数や顔の広さは、それ自体では何の自慢にもならない。大切なことは、その人その人とどのような出会いをし、お互いが何を与え、何を得たかである。一度しか会わず、その後まったく会う機会のない人もいるだろうし、またなにかの縁で思わぬ親交を深める場合もあるだろう。しかし基本は、古来よりよく言われるように「一期一会」。
(以上、『なぜ、この人の周りに人が集まるのか』より)
著者の坂崎重盛氏が、年賀状を例えにして、自らの相手に対する意識はどれくらい並べるか?を確認する文だったのですが、印刷の文面の下に、相手に合わせてコメントを書くと思います。それを再会したときに「語られた時」に思いだせるか?
みなさんは、いかがでしょう。
私も年賀状は、異業種交流会を開催していたことから、相当な枚数を出しますが、坂崎氏は、その記憶は、300枚が限度と言っています。確かにそんなものだろうと思います。
だからたくさん出す人は、印刷文だけなのかと確認します。
たくさんの出会いも大事ですが、誰とどういう出会いをし、どうつながっているか、そこが重要なのだと思います。
さて、この4連休は、ステイホームの要請ですが、どうするのか?、思案中です。
今日から4連休、朝のウォーキングもお休みです。
まだ横になって枕元の本をいくつか開いていたら、
「顔が広いは、自慢にならぬ」
の文字、私の40代の生き方を否定されることばか?
私は、これまで異業種交流会を21年間に67回(最後は2年前)開催してきました。それを開催するために、さまざまなセミナーや集まりに参加していました。当初は参加者が増えることに意味があった。後半からは、どんな人が集まるかに重きを置いて開催していた。
私は、建築士事務所をやっているので、建築関係者の友人知人がいるのは当たり前ですが、他分野の人との交流は何があるか?
当初は人脈作りから始まったが、後では、"おもしろい人に会いたい"に変わっていきました。
以下の文を朝から読み、『なぜ、この人の周りに人が集まるのか』から、なるほどだね!
(以下、本より)
人間、社会で動いていれば知人は際限なく増えてゆく。ほうっておいても顔は広くなる。だから名刺の数や顔の広さは、それ自体では何の自慢にもならない。大切なことは、その人その人とどのような出会いをし、お互いが何を与え、何を得たかである。一度しか会わず、その後まったく会う機会のない人もいるだろうし、またなにかの縁で思わぬ親交を深める場合もあるだろう。しかし基本は、古来よりよく言われるように「一期一会」。
(以上、『なぜ、この人の周りに人が集まるのか』より)
著者の坂崎重盛氏が、年賀状を例えにして、自らの相手に対する意識はどれくらい並べるか?を確認する文だったのですが、印刷の文面の下に、相手に合わせてコメントを書くと思います。それを再会したときに「語られた時」に思いだせるか?
みなさんは、いかがでしょう。
私も年賀状は、異業種交流会を開催していたことから、相当な枚数を出しますが、坂崎氏は、その記憶は、300枚が限度と言っています。確かにそんなものだろうと思います。
だからたくさん出す人は、印刷文だけなのかと確認します。
たくさんの出会いも大事ですが、誰とどういう出会いをし、どうつながっているか、そこが重要なのだと思います。
さて、この4連休は、ステイホームの要請ですが、どうするのか?、思案中です。