人脈の基本は尊敬である。〜曽野綾子〜

2021年07月15日

人脈の基本は尊敬である。〜曽野綾子〜

日本人は、初めて出会う人に頭を下げる。礼儀であり、常識(良識)である。

朝、父母、兄弟、祖父母に、「おはようございます」という家庭は、どれだけ日本に残っているのか?

毎朝、学校前に立っていると、登校班次第で、「おはようございます」の挨拶がない。

無いグループには、こちらから「おはようございます」というと返ってくるのが普通だが、それでも無言で横断歩道を渡る登校班も・・・

人間は、まず先輩、先人を敬うことから、始まると学びました。

曽野綾子の著書『中年以後』にある一節です。

(以下、本より)

 人間の基本は尊敬である。私と友人でなくなった人がいるとすれば、それは私の人格が相手を失望させ、私が相手に対する尊敬を失った時である。そして尊敬を持たない相手は人脈の中に入らない。
(以上、『中年以後』より)

人は礼から始まる。孔子先生の訓示では無いですが、近き人にも挨拶を。

なんかのコミュニケーションの本は、"日々の挨拶"なのでないかと思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:27Comments(0)モラル・マナー哲学、人生

<若い時には見えない老後とは?>人は必ず、どこかで義理を欠いて後悔と共に生きる。〜曽野綾子著『中年以後』〜

2021年07月15日

<若い時には見えない老後とは?>人は必ず、どこかで義理を欠いて後悔と共に生きる。〜曽野綾子著『中年以後』〜

時の人 大谷翔平さん

全米を沸かせたホームラン競争から明けた日、ピッチャーとバッターの両方で出場、まさに"時の人"のような扱いにスター性を感じる選手になったと思います。

しかし、いつの日か現役を引退する時が来る。体力、気力には、必ず限界がある。

冒頭の言葉は、曽野綾子さんの文を集めた本『引退しない人生』にある一節です。

(以下、本より)

 諦めることなのだ。できることとできないことがある。体力、気力の限界がある。諦めて詫びる他はない。それだけに、一瞬でも、人や家族に尽くせる瞬間があったら、それは喜んで大切にしなければならない。
(以上、本より転載)

歳を取るとできないことが増えてくる。

最近の私のテーマに、車の運転を返上した方の交通(足)の確保が、政治課題となっている。

車は、door-to-door、いつでも、どこにでも、だが、それがいつかできなくなる。

高齢者の事故が増えている。

自ら、運転免許証の返上を考える時、"できるときに、できること"を家族にしてあげたい、と思うのが自然です。

でも、それはできなくなった時に気づくもの、人はできないことを自覚して後悔をする。

曽野綾子さん文には後半がある。

(以下、本より)

 人間は必ず、どこかで義理を欠いて後悔と共に生きる。
 そんなことは、若い時には全く考えなかったものだ。
(以上、『引退しない人生』より)

その時にならないと気づかないことがたくさんある。

歳を取るということは、そういうことなかもしれない、と曽野綾子の言葉を読み、朝から考えました。

>人は後悔と共に生きる

というか、できなくなることを自覚して、"後悔と共に生きなければならない"が本当かもしません。

さて、長い老後と言われる現代社会をどう生きるか・・・  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:03Comments(0)マイライフ哲学、人生