人脈の基本は尊敬である。〜曽野綾子〜
2021年07月15日
人脈の基本は尊敬である。〜曽野綾子〜
日本人は、初めて出会う人に頭を下げる。礼儀であり、常識(良識)である。
朝、父母、兄弟、祖父母に、「おはようございます」という家庭は、どれだけ日本に残っているのか?
毎朝、学校前に立っていると、登校班次第で、「おはようございます」の挨拶がない。
無いグループには、こちらから「おはようございます」というと返ってくるのが普通だが、それでも無言で横断歩道を渡る登校班も・・・
人間は、まず先輩、先人を敬うことから、始まると学びました。
曽野綾子の著書『中年以後』にある一節です。
(以下、本より)
人間の基本は尊敬である。私と友人でなくなった人がいるとすれば、それは私の人格が相手を失望させ、私が相手に対する尊敬を失った時である。そして尊敬を持たない相手は人脈の中に入らない。
(以上、『中年以後』より)
人は礼から始まる。孔子先生の訓示では無いですが、近き人にも挨拶を。
なんかのコミュニケーションの本は、"日々の挨拶"なのでないかと思いました。
日本人は、初めて出会う人に頭を下げる。礼儀であり、常識(良識)である。
朝、父母、兄弟、祖父母に、「おはようございます」という家庭は、どれだけ日本に残っているのか?
毎朝、学校前に立っていると、登校班次第で、「おはようございます」の挨拶がない。
無いグループには、こちらから「おはようございます」というと返ってくるのが普通だが、それでも無言で横断歩道を渡る登校班も・・・
人間は、まず先輩、先人を敬うことから、始まると学びました。
曽野綾子の著書『中年以後』にある一節です。
(以下、本より)
人間の基本は尊敬である。私と友人でなくなった人がいるとすれば、それは私の人格が相手を失望させ、私が相手に対する尊敬を失った時である。そして尊敬を持たない相手は人脈の中に入らない。
(以上、『中年以後』より)
人は礼から始まる。孔子先生の訓示では無いですが、近き人にも挨拶を。
なんかのコミュニケーションの本は、"日々の挨拶"なのでないかと思いました。
<若い時には見えない老後とは?>人は必ず、どこかで義理を欠いて後悔と共に生きる。〜曽野綾子著『中年以後』〜
2021年07月15日
<若い時には見えない老後とは?>人は必ず、どこかで義理を欠いて後悔と共に生きる。〜曽野綾子著『中年以後』〜
時の人 大谷翔平さん
全米を沸かせたホームラン競争から明けた日、ピッチャーとバッターの両方で出場、まさに"時の人"のような扱いにスター性を感じる選手になったと思います。
しかし、いつの日か現役を引退する時が来る。体力、気力には、必ず限界がある。
冒頭の言葉は、曽野綾子さんの文を集めた本『引退しない人生』にある一節です。
(以下、本より)
諦めることなのだ。できることとできないことがある。体力、気力の限界がある。諦めて詫びる他はない。それだけに、一瞬でも、人や家族に尽くせる瞬間があったら、それは喜んで大切にしなければならない。
(以上、本より転載)
歳を取るとできないことが増えてくる。
最近の私のテーマに、車の運転を返上した方の交通(足)の確保が、政治課題となっている。
車は、door-to-door、いつでも、どこにでも、だが、それがいつかできなくなる。
高齢者の事故が増えている。
自ら、運転免許証の返上を考える時、"できるときに、できること"を家族にしてあげたい、と思うのが自然です。
でも、それはできなくなった時に気づくもの、人はできないことを自覚して後悔をする。
曽野綾子さん文には後半がある。
(以下、本より)
人間は必ず、どこかで義理を欠いて後悔と共に生きる。
そんなことは、若い時には全く考えなかったものだ。
(以上、『引退しない人生』より)
その時にならないと気づかないことがたくさんある。
歳を取るということは、そういうことなかもしれない、と曽野綾子の言葉を読み、朝から考えました。
>人は後悔と共に生きる
というか、できなくなることを自覚して、"後悔と共に生きなければならない"が本当かもしません。
さて、長い老後と言われる現代社会をどう生きるか・・・
時の人 大谷翔平さん
全米を沸かせたホームラン競争から明けた日、ピッチャーとバッターの両方で出場、まさに"時の人"のような扱いにスター性を感じる選手になったと思います。
しかし、いつの日か現役を引退する時が来る。体力、気力には、必ず限界がある。
冒頭の言葉は、曽野綾子さんの文を集めた本『引退しない人生』にある一節です。
(以下、本より)
諦めることなのだ。できることとできないことがある。体力、気力の限界がある。諦めて詫びる他はない。それだけに、一瞬でも、人や家族に尽くせる瞬間があったら、それは喜んで大切にしなければならない。
(以上、本より転載)
歳を取るとできないことが増えてくる。
最近の私のテーマに、車の運転を返上した方の交通(足)の確保が、政治課題となっている。
車は、door-to-door、いつでも、どこにでも、だが、それがいつかできなくなる。
高齢者の事故が増えている。
自ら、運転免許証の返上を考える時、"できるときに、できること"を家族にしてあげたい、と思うのが自然です。
でも、それはできなくなった時に気づくもの、人はできないことを自覚して後悔をする。
曽野綾子さん文には後半がある。
(以下、本より)
人間は必ず、どこかで義理を欠いて後悔と共に生きる。
そんなことは、若い時には全く考えなかったものだ。
(以上、『引退しない人生』より)
その時にならないと気づかないことがたくさんある。
歳を取るということは、そういうことなかもしれない、と曽野綾子の言葉を読み、朝から考えました。
>人は後悔と共に生きる
というか、できなくなることを自覚して、"後悔と共に生きなければならない"が本当かもしません。
さて、長い老後と言われる現代社会をどう生きるか・・・