<4つの・・・か?>「修身、斉家、治国、平天下」は政治(生業)の基本です。〜30年後に評価される〜

2021年07月09日

<4つの・・・か?>「修身、斉家、治国、平天下」は政治(生業)の基本です。〜30年後に評価される〜

(ちょっと長文です。でもおもしろいと思います)

1,どこかの夫婦は、何千万円を使い、平天下の世界へ行きたかった

2.どこから長老議員は、政務活動費を"水増し"して辞職した。

3.若い政治家が、綺麗な方は入れ込んだ

4.時代錯誤の発言が、世の批判を受けた

5.海外からの投資話しに足下を掬われる

6.7.8.9.・・・・・

世には、色んな話が、数えきれ無い。

久しぶりに読む守屋洋さんの訳編『中国古典百言百話 大学・中庸』には、リーダーとして失敗から学ぶ訓示が山ほどあります。

政治を志す人は、まず身近なところから着手する。

学びの場所は遠くにあるのではなく、貴方の足下、私の足下にある。

夫婦の会話

親子(父母との)の会話

親戚との会話

友人知人との会話

地域の先輩との会話

仕事仲間との会話

社会活動の仲間

冒頭の言葉は、

修身:自らの言動ば大丈夫か?

斉家:家の守りは大丈夫か?

治国:現代で言えば自治体や県くらいでしょうか。少しでも関わっていますか?

平天下:国家とか、広くいえば世界になりますが、その問題に意識は持っていますか?

・・・か?

となりますが、4つのレベルで一番大事なのは、横井小楠も語っていた、自らの言葉と行動です。

これは、男女、老年若年、国籍は関係なく、人として生きる道(指針、信念)を検証するものと、最近思っています。

自分は大丈夫か?

家族は大丈夫か?

地域のもめごとはないか?

国は安泰か?

今月下旬から、世界のスポーツの祭典「オリンピック」ですが、ここに関わるリーダーたちの4つの「・・・か?」が問われています。

その結果は、10年後、20年後、30年後に評価されます。それが政治(生業)と思います。

ちなみに、ジョン・F・ケネディは、政治は、50年後、100年後に評価される、と語っていました。  

<VWとBMWのカルテルに制裁金>ドイツのメーカーもこんな悪どいことをしていたとは?〜EU委員会〜

2021年07月09日



<VWとBMWのカルテルに制裁金>ドイツのメーカーもこんな悪どいことをしていたとは?〜EU委員会〜

•フォルクスワーゲンとBMWの技術改善を"やらないカルテル"

自動車メーカーは、電動化も含めて、過酷な開発競争に生き残るは大変なのだろうが、市民を騙す企業様は、評価が下がることだろう。地球温暖化をいかに抑えるかが、企業経営の基本になりつつあるなぁ、と確認します。

市民の出すお金は、企業を評価する"投票券"のようなもの、どこの企業、メーカーを選ぶが、1人ひとりが考える時代だと思います。

•三菱電気の空調機性能データ改ざん

SDGsの視点も含めて、環境対策の視点が厳しくなっていくのだ思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:01Comments(0)環境新技術、新潮流

<漫画が伝えるもの>写真より手書きのスケッチが、伝えたい本物感が伝わる。〜養老孟司〜

2021年07月09日



<漫画が伝えるもの>写真より手書きのスケッチが、伝えたい本物感が伝わる。〜養老孟司〜

夜半からのすごい雷で目が覚めた。だいたい4時前には目が覚めているので、もう寝れないな、と諦めて起きました。

さて、昨日は県南を回るのに、宇土市街地の南部から旧不知火町役場前から、県道158号を南下し八代港(外港)のコンテナヤード周りを視察し、球磨川沿を人吉へ向かいました。雨も強く、被災地の様子は写真に収めませんでしたが、1年前のボランティア活動地の場所を確認しました。

写真は確かに「モノを言う」面がありますが、やはり自らの目で見て記憶することは大切だと常々思っているので、また1年後に球磨川水害の被災地を回りたいと思います。そして整理して、まとめて語ることが大事と考えています。

さて、漫画と写真の違い何か?

養老孟司さんが、漫画家の手塚治虫さんの10代の頃のことを例にして書いています。

(以下、『養老先生のさかさま人間学』より)

養老孟司氏が、晩年の手塚治虫さんに会った時、10代のころに描いた昆虫のスケッチを見た時のこと。驚くほど忠実に緻密な虫の絵を描いていたからです。(中略)
(以上、本より)



手塚治虫さんは、奈良県立医大出身で博士でもあること、養老孟司氏も医者で、そこから交流が始まったのだろうと推測します。

漫画の写実性は、医学部の学びにある前に、子ども時代からの絵の素養にもあるのかと知らされます。

(以下、本より)

 本物を視覚的に伝えるには、必ずしも写真がベターとは限りません。むしろ写真には不要な背景、影やごみなど都合の悪い情報が結構あります。絵なら、余計なノイズを排除して見せられます。図鑑が絵で描かれるのは、そういう理由です。
(以上、『養老先生のさかさま人間学』より)

何の世界も、現場、現物、本人の"本物"を観る目が必要だし、それを踏まえて自ら考え、どう伝えるか。伝え方は、それぞれに違うので、上手い人の良い所は参考にしたいます。

私の日本語を指導してくれる国学の先生が、議員活動報告(ペーパー)の一部に漫画を入れると良い、のアドバイスがあった。

手書きの漫画ですか?

そうです。ウイットの効いたものがいいですね!

と言う話です。さすがに漫画は下手なので、それは実現していませんが、絵は何か伝えるときは、大事なのでは、と最近思っています。

養老先生は、

「漫画は、伝えたいことを誇張して描きますが、それはすなわち、伝えなくていいことは省いて構わない表現方法でもある」

漫画と言葉は、よく似ていると思います。伝えることは、言葉短く、要らないことは語らない。でしょうか。