<嫌な人は鏡>横暴な態度というものは、やんわりと受け流すしかありません。〜『なぜ、この人の周りに人が集まるのか』
2021年07月13日
<嫌な人は鏡>腹を立てても得るものはありません。横暴な態度というものは、やんわりと受け流すしかありません。〜『なぜ、この人の周りに人が集まるのか』〜
愛されようとするのではなく、こちらから愛しましょう。
尊重してもらおうとするのではなく、こちらから尊重しましょう。
愛されるには、愛する。
尊重されるには、尊重する。
逆に、恨み骨髄になった敵には、どんなに釈明しても意味をなさないので、ただ実践するのみです。
学ぶ中で、真面目にすればするほど敵ができる。
何か不思議ですが、私は何度も経験して、さらには先輩たちをいじめた熊本の古参実力者を見てきました。
この類(たぐい)は、発展性がゼロより、マイナスのイメージです。
何か事(初物)を起こそうと奮闘すると、必ず横槍が入る。要は、これまでの活動家が理解できないような行動を起こすと、ストップが入る。
・・・この活動の影響はどうか?
そんなことを計算してやるバカはいないのですが、古参はきになるのです。
地元の古事はは、大事にすることはもちろんですが、チャレンジする若者をどう支えれるか?
そこに宇土市の発展もあるし、未来に希望が持てます。
愛されようとするのではなく、こちらから愛しましょう。
尊重してもらおうとするのではなく、こちらから尊重しましょう。
愛されるには、愛する。
尊重されるには、尊重する。
逆に、恨み骨髄になった敵には、どんなに釈明しても意味をなさないので、ただ実践するのみです。
学ぶ中で、真面目にすればするほど敵ができる。
何か不思議ですが、私は何度も経験して、さらには先輩たちをいじめた熊本の古参実力者を見てきました。
この類(たぐい)は、発展性がゼロより、マイナスのイメージです。
何か事(初物)を起こそうと奮闘すると、必ず横槍が入る。要は、これまでの活動家が理解できないような行動を起こすと、ストップが入る。
・・・この活動の影響はどうか?
そんなことを計算してやるバカはいないのですが、古参はきになるのです。
地元の古事はは、大事にすることはもちろんですが、チャレンジする若者をどう支えれるか?
そこに宇土市の発展もあるし、未来に希望が持てます。
Posted by ノグチ(noguchi) at
20:49
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狂気(噂+怒り)というものは、感染する。誰もが抵抗力なく、簡単に罹ってしまう。〜曽野綾子語録〜
2021年07月13日
狂気(噂+怒り)というものは、感染する。誰もが抵抗力なく、簡単に罹ってしまう。〜曽野綾子語録〜
どうしたら人間を失わないでいられるのか?
朝から禅問答のような話ですが、
曽野綾子さんの文を集めた本『救心録 善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』に冒頭の言葉は、曽野綾子さんの著書『哀歌』(上)にある文です。
少し長い引用ですが、以下です。
(以下、本より転載)
「狂気というものは、感染するものだ。病気と同じか、それよりもっと激しくね。誰もが抵抗力なく、簡単に罹ってしまう。マラリアも怖いけれど、そんなものの比じゃない。そのこと自体は、私たちには止めようがないものかもしれない。病気よりも怖いものがあることを、私たちはほとんど自覚しないんだ。
しかしその中でも、人間を失わないですがいられる少数の人は必ずいるはずだ。免疫力の極めて強い人がいるようにね」
「どうしたら人間を失わないではいられますか?」
春菜は思わず尋ねた。
「神に依(よ)り頼むことと、勇気を持つことだ」
(以上、本より)
例えば、政治で前政権を倒すときのような批判勢力の熱気を見るとき、一つの目標に突き進む人間社会のパワーを感じます。
しかし、その熱が冷めたとき、ふと後ろを振り向くと、前政権の同じことをやって来てはいないか?
人は、ブームに流されやすい。
小さな団体のトップ交代劇でも、狂気(噂と怒り)により変わることもある。
その中身は、後々の人が検証するのですが、政治も企業も市民団体も、ブームにより浮き沈みながら成長していくのだろう、と思います。
その時、個としての立ち位置をしっかり持つには、曽野綾子さん言われる"勇気を持つこと"なのだと思います。
人は流されやすい、時の騒動の中で考えたことを人に語る必要はないですが、自らの人生を振り返る時、"俺は勇気があったか?"を確認することは必要かもしれない、と今朝の読書で思いました。
>神に依(よ)り頼むことと、勇気を持つことだ
私に勇気はあったか?
どうしたら人間を失わないでいられるのか?
朝から禅問答のような話ですが、
曽野綾子さんの文を集めた本『救心録 善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』に冒頭の言葉は、曽野綾子さんの著書『哀歌』(上)にある文です。
少し長い引用ですが、以下です。
(以下、本より転載)
「狂気というものは、感染するものだ。病気と同じか、それよりもっと激しくね。誰もが抵抗力なく、簡単に罹ってしまう。マラリアも怖いけれど、そんなものの比じゃない。そのこと自体は、私たちには止めようがないものかもしれない。病気よりも怖いものがあることを、私たちはほとんど自覚しないんだ。
しかしその中でも、人間を失わないですがいられる少数の人は必ずいるはずだ。免疫力の極めて強い人がいるようにね」
「どうしたら人間を失わないではいられますか?」
春菜は思わず尋ねた。
「神に依(よ)り頼むことと、勇気を持つことだ」
(以上、本より)
例えば、政治で前政権を倒すときのような批判勢力の熱気を見るとき、一つの目標に突き進む人間社会のパワーを感じます。
しかし、その熱が冷めたとき、ふと後ろを振り向くと、前政権の同じことをやって来てはいないか?
人は、ブームに流されやすい。
小さな団体のトップ交代劇でも、狂気(噂と怒り)により変わることもある。
その中身は、後々の人が検証するのですが、政治も企業も市民団体も、ブームにより浮き沈みながら成長していくのだろう、と思います。
その時、個としての立ち位置をしっかり持つには、曽野綾子さん言われる"勇気を持つこと"なのだと思います。
人は流されやすい、時の騒動の中で考えたことを人に語る必要はないですが、自らの人生を振り返る時、"俺は勇気があったか?"を確認することは必要かもしれない、と今朝の読書で思いました。
>神に依(よ)り頼むことと、勇気を持つことだ
私に勇気はあったか?