<どう生きるか>(五木寛之氏は)「最後の最後まで旺盛な活動を続けた、多田富雄さん(免疫学者)」の生き方をを紹介した。
2021年06月22日
<どう生きるか>五木寛之さんが「自分も死ぬときにこうありたいな」と思った方は?との質問に、
(五木寛之氏は)「最後の最後まで旺盛な活動を続けた、多田富雄さん(免疫学者)」の生き方をを紹介した。
(以下、本より)
免疫学者の多田富雄さんは、大学で抗議する傍ら一般にもわかるようにと執筆活動もやられる学者ですが、2001年に脳梗塞で倒れ、右半身不随、それに伴って、声を出すこと、自分で食べ飲み込む機能を失い、介助なしには生きていけない状態になられました。2007年に出版された『寡黙なる巨人』どいう本の冒頭で、多田さんはこうつづっておられます。
「あの日を境にしてすべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった」
一時は自殺を考えたこともあったそうです。
しかし、多田さんは生きることを投げ出さなかった。倒れてからも、つらいリハビリを行いながら、本や詩集を何冊も出されて、能の新作も書かれた。石牟礼道子さんとの往復書簡も刊行された。(中略)
多田さんご自身が、著書のなかで「半身が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の中で日々行われている生命活動は創造的である」と書かれているように、脳梗塞で倒れた後の活動ぶりはその以前と変わらないくらい、精力的でした。
(以上、『死の教科書』より)
多田さんは、教え子たちの新しい論文を、身動きもできないのに、言葉も出ないのに、キーボードを使って感想を述べ、直接指導を続けられたのです。
これが、『死の教科書』のNo.02「うらやましい死に方」のページに紹介されています。
>一時は自殺を考えたこともあったそうです
人間、日々の生活の中でも、何が起こるか分からない。厳しい境遇になったときに、"あなたはどうしますか?"と神様が投げかけているのだと思います。
免疫学者が脳梗塞なった。しかし、残った機能を駆使して旺盛な"やる気"を奮い起こし、死ぬまでやりたいことを全うした生き方に、感銘を受けました。
ほんと「どう生きるか」は、とても大事な生きる方でもあり、死に方でもあるな、と多田富雄さんのことを知り、考えました。
*参考資料:五木寛之著『死の教科書〜心が晴れる48のヒント〜』
(五木寛之氏は)「最後の最後まで旺盛な活動を続けた、多田富雄さん(免疫学者)」の生き方をを紹介した。
(以下、本より)
免疫学者の多田富雄さんは、大学で抗議する傍ら一般にもわかるようにと執筆活動もやられる学者ですが、2001年に脳梗塞で倒れ、右半身不随、それに伴って、声を出すこと、自分で食べ飲み込む機能を失い、介助なしには生きていけない状態になられました。2007年に出版された『寡黙なる巨人』どいう本の冒頭で、多田さんはこうつづっておられます。
「あの日を境にしてすべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった」
一時は自殺を考えたこともあったそうです。
しかし、多田さんは生きることを投げ出さなかった。倒れてからも、つらいリハビリを行いながら、本や詩集を何冊も出されて、能の新作も書かれた。石牟礼道子さんとの往復書簡も刊行された。(中略)
多田さんご自身が、著書のなかで「半身が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の中で日々行われている生命活動は創造的である」と書かれているように、脳梗塞で倒れた後の活動ぶりはその以前と変わらないくらい、精力的でした。
(以上、『死の教科書』より)
多田さんは、教え子たちの新しい論文を、身動きもできないのに、言葉も出ないのに、キーボードを使って感想を述べ、直接指導を続けられたのです。
これが、『死の教科書』のNo.02「うらやましい死に方」のページに紹介されています。
>一時は自殺を考えたこともあったそうです
人間、日々の生活の中でも、何が起こるか分からない。厳しい境遇になったときに、"あなたはどうしますか?"と神様が投げかけているのだと思います。
免疫学者が脳梗塞なった。しかし、残った機能を駆使して旺盛な"やる気"を奮い起こし、死ぬまでやりたいことを全うした生き方に、感銘を受けました。
ほんと「どう生きるか」は、とても大事な生きる方でもあり、死に方でもあるな、と多田富雄さんのことを知り、考えました。
*参考資料:五木寛之著『死の教科書〜心が晴れる48のヒント〜』
Posted by ノグチ(noguchi) at 09:02│Comments(0)
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