<市民の良識は>一騎打ちの出直し阿久根市長選、投票始まる
2011年01月16日
<市民の良識は>一騎打ちの出直し阿久根市長選、投票始まる
■一騎打ちの出直し阿久根市長選、投票始まる
(読売新聞 - 01月16日 10:34)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1470231&media_id=20
>阿久根市選管によると、当日有権者数は1万9715人。期日前投票の投票者数は5964人で、2009年5月の前回出直し市長選の期日前投票者数(3490人)の約1・7倍になっている。
前回の選挙は、マスコミが煽ったようにも思うが、今度は全国の関心が集まっている。市長の「専決」という言葉を知ったよき機会ではあったが、議会・行政がここまで混乱するのはどうかと思う。
投票状況を見ると、期日前投票が増えている。
前回の1.7倍。関心は、高いようだ。
今夜のニュースに出ると思うが、阿久根の人たち、阿久根に関わる人達の、市政への関心力が試される選挙と思う。
市長選挙後、阿久根議会選挙も絡み、地方政治に一石を投じた今回の阿久根議会論争と行政職員の報酬問題、さざまな反響も含め、それぞれの地域に重なる問題でもあり、今日の結果も含め注目する必要があると思います。
投票率も含め、地方政治が問われる選挙と思います。
ニュース:読売Web
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110116-OYT1T00204.htm
■一騎打ちの出直し阿久根市長選、投票始まる
(読売新聞 - 01月16日 10:34)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1470231&media_id=20
>阿久根市選管によると、当日有権者数は1万9715人。期日前投票の投票者数は5964人で、2009年5月の前回出直し市長選の期日前投票者数(3490人)の約1・7倍になっている。
前回の選挙は、マスコミが煽ったようにも思うが、今度は全国の関心が集まっている。市長の「専決」という言葉を知ったよき機会ではあったが、議会・行政がここまで混乱するのはどうかと思う。
投票状況を見ると、期日前投票が増えている。
前回の1.7倍。関心は、高いようだ。
今夜のニュースに出ると思うが、阿久根の人たち、阿久根に関わる人達の、市政への関心力が試される選挙と思う。
市長選挙後、阿久根議会選挙も絡み、地方政治に一石を投じた今回の阿久根議会論争と行政職員の報酬問題、さざまな反響も含め、それぞれの地域に重なる問題でもあり、今日の結果も含め注目する必要があると思います。
投票率も含め、地方政治が問われる選挙と思います。
ニュース:読売Web
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110116-OYT1T00204.htm
「龍馬と政治」第7講、いろは丸の沈没事件に学ぶ海難裁判
2011年01月15日
「龍馬と政治」第7講、いろは丸の沈没事件に学ぶ海難裁判
早朝から、ドタバタと準備そして、福岡県大牟田市の吉野公民館で、「龍馬と政治」の第7回目の講話をしてきました。テーマは、
・「いろは丸の沈没事件」に学ぶ海難裁判
自分の仕事の世界を違う「海」がテーマです。今回は、色々調べました。いろは丸(大洲藩)と明光丸(紀州藩)との海難事故は、日本で初めて解決交渉(海難審判)を行った衝突・珍ぼく事件でした。
【いろは丸沈没事件】
いろは丸は、そもそも瀬戸内の大洲藩のもので、それを海援隊に貸して仕事をさせたものでした。ぶつかった相手は、徳川御三家の紀州藩、船も紀州の明光丸がはるかに大きい舟で、2度の衝突でいとは丸は沈没した。運良く乗組員は、明光丸に乗り移り無事でした。港の着き、交渉を始めますが、紀州側が相手にせず、長崎へ向かった。龍馬たちも後を追い、本格交渉を申し入れた。一度目は、決別した。
2度目の交渉に引き出すために、龍馬は「万国法」と「立会人(イギリスの提督)」を準備した。更に、「龍馬伝」でもあった、長崎市中にはやり歌「土佐は金を取らずに国を取る」を広め、紀州藩に圧力をかけた。
・真相は?
『回避船だったいろは丸』~類似:イージス艦あたごと漁船清徳丸~
ところが事故時の航路図を見れば、これは海上自衛隊イージス艦あたごと漁船清徳丸との衝突沈没事件とそっくり同じような航路なのですが、海難審判所の裁定では明確に海上自衛隊イージス艦あたご(海援隊のいろは丸)側の重大な過失であると認定している。
・右側通行
海の上は原則右側通行で、スターボード優先原則、具体的には船の左舷に赤灯、右舷に青灯をつけて航行している。相手の赤灯が見える位置の船舶に回避義務が生じる。
いろは丸側が回避船で、紀州和歌山藩船明光丸側に優先航行権があるのですから、英国海軍の軍人であるヘンリー・ケッペル提督がいろは丸側の明確な過失を見逃すはずがない。
ところが交渉役の紀州藩勘定奉行茂田一次郎は薩摩藩五代友厚に仲介を依頼し、紀州藩が賠償金として7万両を支払うことで和解し4万両は直ぐ払ったが残りは戊辰戦争のなかで有耶無耶となった。
・背景
第二次長幕戦争は幕府軍の敗北で決着、風向きは完全に「薩長土」側に変わっていた。いろは丸の衝突沈没とは、鳥羽伏見の戦いの半年前なのです。
当時の緊迫した政治や社会情勢が沈没事件の示談交渉(裁定?)に対して『まったく影響が無かった』と考える方がどうかしているでしょう。
土佐藩(坂本龍馬?)が、道理も国際海洋法も無視して幕府御三家の紀州藩に対して無理難題を吹っかけて莫大な賠償金を巻き上げることが出来た背景。口先三寸の坂本龍馬の弁舌ではなくて、龍馬の背後にある薩長土の軍事力であることは公然の秘密では。
事実、坂本龍馬は海援隊のメンバーに『一戦交える覚悟でやるんだ!』と激をとばしているし、当時の交渉場所であった長崎の街中では『土佐は金を取らずに国を取る』との流行り歌を宣伝したと言うが、紀州藩は鳥羽伏見の戦いでは早々と旧幕府側を見限り薩長側に寝返っているのですから、支払った4万両とは賠償金ではなくて薩長連合に対する紀州藩の持参金かみかじめ料であった可能性が濃厚という説もある。
(以上、今朝の講話資料から抜粋)
<来週が最後の講話>
テーマは、「船中八策」に学ぶ議会の開催と選挙制度、で明治期の国会準備の話をするのですが、現代の国政の状況を見るに、いつの時代も論争があるのだなと思います。
講話の時間は、2時間ですので、いろは丸と海難事故だけでは話が持ちませんの、です現代の海難審判も紹介しました。
<事例1>
なだしお事件
1988年7月23日に海上自衛隊潜水艦と遊漁船が衝突し、遊漁船が沈没した海難事故。海難審判での事件名は潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件。
横須賀港北防波堤灯台東約3km沖で、海上自衛隊第2潜水艦群第2潜水隊所属・潜水艦「なだしお」(SS577、排水量2250トン)と遊漁船「第一富士丸」(154総トン、全長28.5m)が衝突し、第一富士丸は沈没した。
乗客39、乗員9(定員超過[1])のうち30名が死亡、17名が重軽傷を負った。死者のうち、28名は沈没した船体の中から、1名は現場付近の海中から遺体で発見された。残りの1名は救助後病院で死亡。
<事例2>
イージス艦衝突事故
2008年2月19日に海上自衛隊所属のイージス艦と漁船とが衝突して発生した海難事故。海難審判での事件名は護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件。
海上自衛隊の最新鋭イージス護衛艦「あたご」と千葉県勝浦市漁協所属の漁船「清徳丸(せいとくまる)」が衝突。清徳丸は船体が2つに裂け大破・沈没。乗員であった船主(58歳男性)と船主の長男(23歳男性)の2名が行方不明となった。数十日間におよぶ漁協関係者・海上保安庁・海上自衛隊3者が懸命の捜索をおこなったが発見できず、2人は5月20日に認定死亡とされた。
<事例3>
えひめ丸事件
2001年2月10日8時45分(日本時間)、アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没した事件。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人、生徒4人が死亡して、救出されたうち9人がPTSDと診断された。
調査で判明したえひめ丸のダメージこの事件は、愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船えひめ丸(499トン)が浮上した米海軍所属のロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦グリーンビルに衝突され、エンジン周辺を損傷、5分程度の間に沈没した[5]。えひめ丸側35名の乗務員の内9名が死亡、衝突の際に海上に投げ出された26名は救出されたが、その内の1名が鎖骨骨折、11名が軽傷を負った。
(以上、講話資料より)
いろいろなところで、講話をするのですが、今回ほど時代を越えた話をするのは初めてで、本当に試行錯誤の準備をしています。来週は、龍馬の船中八策ですが、議会制の考ええ方は、熊本の横井小楠が一番進んでいたことは、「龍馬伝」の紹介でもありましたので、小楠の議会への考え、選挙制度、大統領制も含めて話をしたいと思います。
今日は、前置きとして、一昨年10月~昨年の2月までかかり作り上げた、宇土市民マニフェストを紹介し、市民参加の選挙がらみのまちづくり談義・マニフェストづくりを提案しました。
・地雷廃絶と被害者支援の会・熊本(KLCC)
帰りに、大牟田名物の草木饅頭をお土産に買ってきました。今夜は、地雷廃絶活動を続け入る熊本団体の勉強かに顔を出そうと思っています。「地雷廃絶と被害者支援の会・熊本(KLCC)」は、熊本の同時通訳協会の会長がリーダーです。他にも、個人で地雷廃絶の活動支援をしている女性もいます。
早朝から、ドタバタと準備そして、福岡県大牟田市の吉野公民館で、「龍馬と政治」の第7回目の講話をしてきました。テーマは、
・「いろは丸の沈没事件」に学ぶ海難裁判
自分の仕事の世界を違う「海」がテーマです。今回は、色々調べました。いろは丸(大洲藩)と明光丸(紀州藩)との海難事故は、日本で初めて解決交渉(海難審判)を行った衝突・珍ぼく事件でした。
【いろは丸沈没事件】
いろは丸は、そもそも瀬戸内の大洲藩のもので、それを海援隊に貸して仕事をさせたものでした。ぶつかった相手は、徳川御三家の紀州藩、船も紀州の明光丸がはるかに大きい舟で、2度の衝突でいとは丸は沈没した。運良く乗組員は、明光丸に乗り移り無事でした。港の着き、交渉を始めますが、紀州側が相手にせず、長崎へ向かった。龍馬たちも後を追い、本格交渉を申し入れた。一度目は、決別した。
2度目の交渉に引き出すために、龍馬は「万国法」と「立会人(イギリスの提督)」を準備した。更に、「龍馬伝」でもあった、長崎市中にはやり歌「土佐は金を取らずに国を取る」を広め、紀州藩に圧力をかけた。
・真相は?
『回避船だったいろは丸』~類似:イージス艦あたごと漁船清徳丸~
ところが事故時の航路図を見れば、これは海上自衛隊イージス艦あたごと漁船清徳丸との衝突沈没事件とそっくり同じような航路なのですが、海難審判所の裁定では明確に海上自衛隊イージス艦あたご(海援隊のいろは丸)側の重大な過失であると認定している。
・右側通行
海の上は原則右側通行で、スターボード優先原則、具体的には船の左舷に赤灯、右舷に青灯をつけて航行している。相手の赤灯が見える位置の船舶に回避義務が生じる。
いろは丸側が回避船で、紀州和歌山藩船明光丸側に優先航行権があるのですから、英国海軍の軍人であるヘンリー・ケッペル提督がいろは丸側の明確な過失を見逃すはずがない。
ところが交渉役の紀州藩勘定奉行茂田一次郎は薩摩藩五代友厚に仲介を依頼し、紀州藩が賠償金として7万両を支払うことで和解し4万両は直ぐ払ったが残りは戊辰戦争のなかで有耶無耶となった。
・背景
第二次長幕戦争は幕府軍の敗北で決着、風向きは完全に「薩長土」側に変わっていた。いろは丸の衝突沈没とは、鳥羽伏見の戦いの半年前なのです。
当時の緊迫した政治や社会情勢が沈没事件の示談交渉(裁定?)に対して『まったく影響が無かった』と考える方がどうかしているでしょう。
土佐藩(坂本龍馬?)が、道理も国際海洋法も無視して幕府御三家の紀州藩に対して無理難題を吹っかけて莫大な賠償金を巻き上げることが出来た背景。口先三寸の坂本龍馬の弁舌ではなくて、龍馬の背後にある薩長土の軍事力であることは公然の秘密では。
事実、坂本龍馬は海援隊のメンバーに『一戦交える覚悟でやるんだ!』と激をとばしているし、当時の交渉場所であった長崎の街中では『土佐は金を取らずに国を取る』との流行り歌を宣伝したと言うが、紀州藩は鳥羽伏見の戦いでは早々と旧幕府側を見限り薩長側に寝返っているのですから、支払った4万両とは賠償金ではなくて薩長連合に対する紀州藩の持参金かみかじめ料であった可能性が濃厚という説もある。
(以上、今朝の講話資料から抜粋)
<来週が最後の講話>
テーマは、「船中八策」に学ぶ議会の開催と選挙制度、で明治期の国会準備の話をするのですが、現代の国政の状況を見るに、いつの時代も論争があるのだなと思います。
講話の時間は、2時間ですので、いろは丸と海難事故だけでは話が持ちませんの、です現代の海難審判も紹介しました。
<事例1>
なだしお事件
1988年7月23日に海上自衛隊潜水艦と遊漁船が衝突し、遊漁船が沈没した海難事故。海難審判での事件名は潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件。
横須賀港北防波堤灯台東約3km沖で、海上自衛隊第2潜水艦群第2潜水隊所属・潜水艦「なだしお」(SS577、排水量2250トン)と遊漁船「第一富士丸」(154総トン、全長28.5m)が衝突し、第一富士丸は沈没した。
乗客39、乗員9(定員超過[1])のうち30名が死亡、17名が重軽傷を負った。死者のうち、28名は沈没した船体の中から、1名は現場付近の海中から遺体で発見された。残りの1名は救助後病院で死亡。
<事例2>
イージス艦衝突事故
2008年2月19日に海上自衛隊所属のイージス艦と漁船とが衝突して発生した海難事故。海難審判での事件名は護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件。
海上自衛隊の最新鋭イージス護衛艦「あたご」と千葉県勝浦市漁協所属の漁船「清徳丸(せいとくまる)」が衝突。清徳丸は船体が2つに裂け大破・沈没。乗員であった船主(58歳男性)と船主の長男(23歳男性)の2名が行方不明となった。数十日間におよぶ漁協関係者・海上保安庁・海上自衛隊3者が懸命の捜索をおこなったが発見できず、2人は5月20日に認定死亡とされた。
<事例3>
えひめ丸事件
2001年2月10日8時45分(日本時間)、アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没した事件。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人、生徒4人が死亡して、救出されたうち9人がPTSDと診断された。
調査で判明したえひめ丸のダメージこの事件は、愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船えひめ丸(499トン)が浮上した米海軍所属のロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦グリーンビルに衝突され、エンジン周辺を損傷、5分程度の間に沈没した[5]。えひめ丸側35名の乗務員の内9名が死亡、衝突の際に海上に投げ出された26名は救出されたが、その内の1名が鎖骨骨折、11名が軽傷を負った。
(以上、講話資料より)
いろいろなところで、講話をするのですが、今回ほど時代を越えた話をするのは初めてで、本当に試行錯誤の準備をしています。来週は、龍馬の船中八策ですが、議会制の考ええ方は、熊本の横井小楠が一番進んでいたことは、「龍馬伝」の紹介でもありましたので、小楠の議会への考え、選挙制度、大統領制も含めて話をしたいと思います。
今日は、前置きとして、一昨年10月~昨年の2月までかかり作り上げた、宇土市民マニフェストを紹介し、市民参加の選挙がらみのまちづくり談義・マニフェストづくりを提案しました。
・地雷廃絶と被害者支援の会・熊本(KLCC)
帰りに、大牟田名物の草木饅頭をお土産に買ってきました。今夜は、地雷廃絶活動を続け入る熊本団体の勉強かに顔を出そうと思っています。「地雷廃絶と被害者支援の会・熊本(KLCC)」は、熊本の同時通訳協会の会長がリーダーです。他にも、個人で地雷廃絶の活動支援をしている女性もいます。
地域の歴史を、文学的視点で検証する試み
2011年01月14日
地域の歴史を、文学的視点で検証する試み
今日午後は、熊本県の近代文学館の井上智重館長に宇土市及び宇城地域を文学的視点からお話を聞き入った。一緒に同行してもらったのは、宇土市の広報担当の方にも同行してもらった。
井上氏は、元熊本日日新聞者で、各支部の支局長を歴任し、文化・歴史分野では、熊本の第一人者の記者で、お話を聞くのがとても楽しみだった。
近代文学館に約束をして訪問するのは初めてです。きっかけは、先週、近代文学館と併設の熊本県立図書館に言ったおりに、新年のご挨拶をしようと、20分ほど立ち話でしたとき、「今、宇土の作家で堀勇蔵氏の展示をしている。君知っているか?」とたずねられ、「知りません」と答えた。「知らないのか、まだまだ宣伝が足りないな」とも答えられた。
アッ、これはいけない。もっと勉強せねば思いました。
その時にもう一つ教えてもらったのが、遠藤周作が小西行長を取り上げていること。遠藤周作と一緒に熊本の取材をした人が健在で、昨年、熊本市の「古今伝授の間」で、お話をしてもらったことも紹介されました。
そのことは、一昨日に宇土市の教育長に、昨日に宇土市教育委員会の高木教育部長に伝え、今日、宇土市の広報担当と、色々教示を頂こうと井上氏をたずねて来ました。知識豊富な方で、約1時半、色々なことを教えてもらいました。
今後は、今日の話を基に、いくつかの催しをするために、訪ねなければいけない方々を手順良く行き、準備を進めてたいと思います。
今夜も、文化活動の団体の新年会にこれから出かけます。井上氏曰く、「地域特有の文化は、中心になる人間が作って来た。その一人ひとりの物語を調べて行くのが面白い。子どもたちに、興味を持たせるような催しにしてください」と助言も頂きました。
横井小楠がご縁で、7年近いお付き合いなのですが、歴史から文化を見る、文学から歴史を見る、人の興味を刺激するような視点を磨きたいと思っています。
今日午後は、熊本県の近代文学館の井上智重館長に宇土市及び宇城地域を文学的視点からお話を聞き入った。一緒に同行してもらったのは、宇土市の広報担当の方にも同行してもらった。
井上氏は、元熊本日日新聞者で、各支部の支局長を歴任し、文化・歴史分野では、熊本の第一人者の記者で、お話を聞くのがとても楽しみだった。
近代文学館に約束をして訪問するのは初めてです。きっかけは、先週、近代文学館と併設の熊本県立図書館に言ったおりに、新年のご挨拶をしようと、20分ほど立ち話でしたとき、「今、宇土の作家で堀勇蔵氏の展示をしている。君知っているか?」とたずねられ、「知りません」と答えた。「知らないのか、まだまだ宣伝が足りないな」とも答えられた。
アッ、これはいけない。もっと勉強せねば思いました。
その時にもう一つ教えてもらったのが、遠藤周作が小西行長を取り上げていること。遠藤周作と一緒に熊本の取材をした人が健在で、昨年、熊本市の「古今伝授の間」で、お話をしてもらったことも紹介されました。
そのことは、一昨日に宇土市の教育長に、昨日に宇土市教育委員会の高木教育部長に伝え、今日、宇土市の広報担当と、色々教示を頂こうと井上氏をたずねて来ました。知識豊富な方で、約1時半、色々なことを教えてもらいました。
今後は、今日の話を基に、いくつかの催しをするために、訪ねなければいけない方々を手順良く行き、準備を進めてたいと思います。
今夜も、文化活動の団体の新年会にこれから出かけます。井上氏曰く、「地域特有の文化は、中心になる人間が作って来た。その一人ひとりの物語を調べて行くのが面白い。子どもたちに、興味を持たせるような催しにしてください」と助言も頂きました。
横井小楠がご縁で、7年近いお付き合いなのですが、歴史から文化を見る、文学から歴史を見る、人の興味を刺激するような視点を磨きたいと思っています。
「実践のまちづくり講座」7年目、「龍馬と政治」の講話7回目
2011年01月14日
「実践のまちづくり講座」7年目、「龍馬と政治」の講話7回目
・「実践のまちづくり講座」
昨日は、年に1度の熊本大学の講義だった。「実践のまちづくり講座」は、7年目になる。6人の社会人講師と担当教授の7人で、2コマ(90分)を持ち、防災、医療、歴史、情報、行政、と、私の実践のまちづくり、が私の担当です。学生には、「毎年同じ話をしない」と公言しているので、12月初めころから、色々な情報を集め、私自身が経験したことを中心に話をしています。
昨日は、宇土市でやって来た、サッカーのまちづくり、車椅子街角探検隊、子育て支援のシンポジム、等々、20年近く地域づくりに関わった経験を話しています。ただ、毎年違った風景を、学生たちに見せたいと思います。今年は、ハーバード大学の政治哲学の講義をビデオを少し見てもらいました。
言葉が、哲学的なこと、世界の最先端の研究を学ぶハーバードの生徒の高レベルの意見交換に、少々付いて行けない雰囲気もあったが、同じ世代に人がこんなことを学んでいるということを知っておくだけでも意味があると思い、あえて公共哲学の中で、正義とはないかを考えてもらった。
来週は、その話題を持って堀下げて、身近なことからぶつかり合う要望をどう考え、判断して行くことが正しいか、議論しながら考える講義にしたいと思っています。
昨年までは、一市民としての活動だったのですが、昨秋から市議会議員をしていることで、生徒の感想に変化が起こった気がします。今回の話題は、地域に対する愛着と反発、
地域づくりは何か、
どうして人は地域愛着を持つのか、
どうして人は住む地域を元気したいと思うのか、
どうして地域づくりに人が関わらなければいけないか
まちづくりは誰が考えるのか
昨日の講義に狙いは、「市民参加のまちづくりとは何か」
私の実際に関わったまちづくりを基にして考えてもらった。
・「龍馬と政治」の講話
明日は、福岡県大牟田市の吉野公民館で、「龍馬と政治」の講話に行きます。明日のテーマは、海援隊のいろは丸と紀州の藩船の海難事故と取り上げ、現代の艱難事故・海難審判とも重ね合わせて、講話と意見交換を行います。
海と言う、日常とは少し違った状況をどう説明するか、今夜から色々工夫し明日の講話に備えたいと思います。
場所:大牟田市吉野地区公民館
時間:朝の10~12時
興味ある方は、聴講下さい。
・「実践のまちづくり講座」
昨日は、年に1度の熊本大学の講義だった。「実践のまちづくり講座」は、7年目になる。6人の社会人講師と担当教授の7人で、2コマ(90分)を持ち、防災、医療、歴史、情報、行政、と、私の実践のまちづくり、が私の担当です。学生には、「毎年同じ話をしない」と公言しているので、12月初めころから、色々な情報を集め、私自身が経験したことを中心に話をしています。
昨日は、宇土市でやって来た、サッカーのまちづくり、車椅子街角探検隊、子育て支援のシンポジム、等々、20年近く地域づくりに関わった経験を話しています。ただ、毎年違った風景を、学生たちに見せたいと思います。今年は、ハーバード大学の政治哲学の講義をビデオを少し見てもらいました。
言葉が、哲学的なこと、世界の最先端の研究を学ぶハーバードの生徒の高レベルの意見交換に、少々付いて行けない雰囲気もあったが、同じ世代に人がこんなことを学んでいるということを知っておくだけでも意味があると思い、あえて公共哲学の中で、正義とはないかを考えてもらった。
来週は、その話題を持って堀下げて、身近なことからぶつかり合う要望をどう考え、判断して行くことが正しいか、議論しながら考える講義にしたいと思っています。
昨年までは、一市民としての活動だったのですが、昨秋から市議会議員をしていることで、生徒の感想に変化が起こった気がします。今回の話題は、地域に対する愛着と反発、
地域づくりは何か、
どうして人は地域愛着を持つのか、
どうして人は住む地域を元気したいと思うのか、
どうして地域づくりに人が関わらなければいけないか
まちづくりは誰が考えるのか
昨日の講義に狙いは、「市民参加のまちづくりとは何か」
私の実際に関わったまちづくりを基にして考えてもらった。
・「龍馬と政治」の講話
明日は、福岡県大牟田市の吉野公民館で、「龍馬と政治」の講話に行きます。明日のテーマは、海援隊のいろは丸と紀州の藩船の海難事故と取り上げ、現代の艱難事故・海難審判とも重ね合わせて、講話と意見交換を行います。
海と言う、日常とは少し違った状況をどう説明するか、今夜から色々工夫し明日の講話に備えたいと思います。
場所:大牟田市吉野地区公民館
時間:朝の10~12時
興味ある方は、聴講下さい。
決算委員会、講義原稿作成、商工会新年会、~「葉隠」~
2011年01月12日
決算委員会、講義原稿作成、商工会新年会、~「葉隠」~
~「大器晩成?」、 出世 … 一にも、二にも「功を急ぐべからず」~
・初めての決算委員会
今日は、午前中は、議会の決算委員会の第1回目があった。初めてのことばかりだが、親切な先輩からのアドバイスで、言葉や仕組みが良くわかった。多くの事業が行われ、宇宇土市のことが事業費というフィルターで検証する機会を得て、とても勉強になっています。今後、6回の審議会と、最終報告への準備があるが、将来の市政のために、ここ3年間の事業を検証して行きたいと思います。
・大学講義の準備
さて、午後は、明日の大学の講義に準備をした。講義に構想は、11月末くらいから「今年は、何を話そうか」から始まり、現代の政治変化、まちづくりの要望等の情報を集めながら考える。これまでは、年末年始が、授業準備でしたが、年始の地域の行事に顔を出すようになり、なかなかできていなかった。
やっと、3日前に形が出来て、講義原稿を一昨日から準備をし出した。今夜は、地元商工会の新年名詞交換会があり、夕方までまとめたいと必死になって、ほぼ通しの文章が出来てから、商工会の新年会へ出かけた。
・商工会 新年名詞交換会
初めての参加でしたが、これまで地域づくりに少なからず、参加して来たおかげで、先輩方に声をかけてもらい、すこしづつ打ち解けて、話もできるようになりました。尊敬する先輩の所へ、選挙以来のご挨拶をした。
同じ新人議員の相談役でもあり、意見を交わす中で、「君、年はいくつになったか?」と聞かれて、「52になりました」と答えると、「もう52か」と意外な感触のようで、「もっと、若いと思っていた」を感想を頂いた。
「もう52です。これから一つひとつ勉強です。よろしくお願いします」とお願いし、その場を分かれた。
その言葉を聞いて、年末年始の読んだ「葉隠」の本を思い出した。自分の応援も含め、一節を紹介します。奈良本辰也著「葉隠」から、
(以下、転載)
「大器晩成」ということがある。二十年も三十年もかかって仕上げるようでなければ、大きな功績はなしとげられない。
奉公についても同じことだで、自分の功を急ぐ心があるときは、自分の役目以外のところまで首を出して、若いがなかなかのやり手だなと言われると、ますます調子に乗って無作法になり、いかにも得意気に敏腕家ぶっているうちに、追従・軽薄な気持ちが出てきて、人から軽蔑されるようになる。修行をするには苦労をして、立身するには他人から引き立てられるような者でなければ役に立たない。
若いうちから立身してお役に立っても、立派な仕事ができないものだ。どのように聡明な生まれつきであっても、若いうちはその才能を十分に実らず、他人も信用しないのである。五十歳ごろから、ゆっくりと才能を磨き上げたのがよい。そのようにしている間は人々の目には立身が遅いと思われるくらいの人が立派な仕事をしているのである。また、そうした人は失敗して家を傾けるようなことがあっても、自分のために不正を働いたのではないから、すぐに立ち直るものだ。
(以上、奈良本辰也著「葉隠」より)
とてもうれしくなる言葉です。私は、52歳からの市議への挑戦、紆余曲折、試行錯誤のこれまでのを思うと、市議もまた新しい世界で、一つ一つが勉強です。「葉隠」の教示を常に頭に置き、自分を高める努力を怠ってはいけないと思います。
「鈍才を自覚して、日々の努力を忘れない」
大器ではないですが、晩成を志す気持ちを持ち続けたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」
~「大器晩成?」、 出世 … 一にも、二にも「功を急ぐべからず」~
・初めての決算委員会
今日は、午前中は、議会の決算委員会の第1回目があった。初めてのことばかりだが、親切な先輩からのアドバイスで、言葉や仕組みが良くわかった。多くの事業が行われ、宇宇土市のことが事業費というフィルターで検証する機会を得て、とても勉強になっています。今後、6回の審議会と、最終報告への準備があるが、将来の市政のために、ここ3年間の事業を検証して行きたいと思います。
・大学講義の準備
さて、午後は、明日の大学の講義に準備をした。講義に構想は、11月末くらいから「今年は、何を話そうか」から始まり、現代の政治変化、まちづくりの要望等の情報を集めながら考える。これまでは、年末年始が、授業準備でしたが、年始の地域の行事に顔を出すようになり、なかなかできていなかった。
やっと、3日前に形が出来て、講義原稿を一昨日から準備をし出した。今夜は、地元商工会の新年名詞交換会があり、夕方までまとめたいと必死になって、ほぼ通しの文章が出来てから、商工会の新年会へ出かけた。
・商工会 新年名詞交換会
初めての参加でしたが、これまで地域づくりに少なからず、参加して来たおかげで、先輩方に声をかけてもらい、すこしづつ打ち解けて、話もできるようになりました。尊敬する先輩の所へ、選挙以来のご挨拶をした。
同じ新人議員の相談役でもあり、意見を交わす中で、「君、年はいくつになったか?」と聞かれて、「52になりました」と答えると、「もう52か」と意外な感触のようで、「もっと、若いと思っていた」を感想を頂いた。
「もう52です。これから一つひとつ勉強です。よろしくお願いします」とお願いし、その場を分かれた。
その言葉を聞いて、年末年始の読んだ「葉隠」の本を思い出した。自分の応援も含め、一節を紹介します。奈良本辰也著「葉隠」から、
(以下、転載)
「大器晩成」ということがある。二十年も三十年もかかって仕上げるようでなければ、大きな功績はなしとげられない。
奉公についても同じことだで、自分の功を急ぐ心があるときは、自分の役目以外のところまで首を出して、若いがなかなかのやり手だなと言われると、ますます調子に乗って無作法になり、いかにも得意気に敏腕家ぶっているうちに、追従・軽薄な気持ちが出てきて、人から軽蔑されるようになる。修行をするには苦労をして、立身するには他人から引き立てられるような者でなければ役に立たない。
若いうちから立身してお役に立っても、立派な仕事ができないものだ。どのように聡明な生まれつきであっても、若いうちはその才能を十分に実らず、他人も信用しないのである。五十歳ごろから、ゆっくりと才能を磨き上げたのがよい。そのようにしている間は人々の目には立身が遅いと思われるくらいの人が立派な仕事をしているのである。また、そうした人は失敗して家を傾けるようなことがあっても、自分のために不正を働いたのではないから、すぐに立ち直るものだ。
(以上、奈良本辰也著「葉隠」より)
とてもうれしくなる言葉です。私は、52歳からの市議への挑戦、紆余曲折、試行錯誤のこれまでのを思うと、市議もまた新しい世界で、一つ一つが勉強です。「葉隠」の教示を常に頭に置き、自分を高める努力を怠ってはいけないと思います。
「鈍才を自覚して、日々の努力を忘れない」
大器ではないですが、晩成を志す気持ちを持ち続けたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠」
早朝講話、国有林ダイオキシン埋設、講義、講話の1週間
2011年01月11日
早朝講話、国有林ダイオキシン埋設、講義、講話の1週間
・早朝講話
今朝は4時半に起きて、早朝講話に出かけた。開始は朝の6時から、20分前に着くと既に、8名ほど来られて会議をされていました。昼は忙しいので、朝のミーティーングとセミナーのようだ。朝の挨拶、スローガン、スピーチが終わり、私の40分の講話が始まった。参加者に何名か友人がいたのですが、私の講話は初めての人ばかりで、静かに聞いて頂いた。
法人会は、一種の異業種の集まりですが、私の主宰する異業種交流会は、私は一人で集める活動家や企業家の集う『場』です。年に4回、30~80名の交流会。講師の講演を聞き、参加者の紹介をし、懇親会をやる3時間。12年も経つと、出会った方は1300名に越える人数になりました。
会の中で語った「会(集まり)は、同じメンバーだとだんだん集まりが悪くなる。私は常に15%以上の新しいメンバーを入れ続けた」と紹介したのですが、中の一人が「15%」と呟いていたのが印象に残った。朝食の握り飯をほおばりながら、ミニ茶話会が30分ほどあり、私は帰宅させてもらった。
・国有林内のダイオキシン埋設
午後は、年末に現地を調査した「国有林内のダイオキシン埋設」の撤去問題を、熊本県庁の環境課へ行く、市民オンブズマンの一行に同行させてもらった。本来は、知人の市議会議員が行くはずだったが、所用ができ、代理で私が同席することになった。
渡りを付けたオンブズマンの一人が、挨拶を終わるの前に、意見を言い始めた。延々25分近く、意見というより、要望や法的矛盾を突く、文句が続いた。オンブズマンの一人が、「今日は、報告を聞くのですよ」と促し、一時はおさまったが、再度、機関銃トークが始まり、やっとおさまったころに、「とにかく市民の不安をとる機会(努力)をしてほしい」と、私が申し出た。
県庁担当の丁寧な説明は、理に叶っていたが、地域住民の一人であるオンブズマンの方は、納得がいかないのか、更に輪をかけた意見が出て来た。所用の市議も到着し、結論へ向けた意見交換ができ、「兎に角、国、県、市と市民が一緒に、埋設地の検査をできるように、県に仲介をお願いしたい」という方向付けは約束ができた
。
2011年度からだが、営林署(林野庁)の態度がどうか、今後の動きに注目し、内容は日記等で報告をして行きたい。
*関連日記
ダイオキシン放棄? 営林署、熊本県宇土市の山中に埋設
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1642307602&owner_id=2182841
http://noguchi.otemo-yan.net/e411534.html
・議会報告文の修正
帰り早々、12月議会報告文の修正が残っていたので、急ぎ書きなおし、議会へメールで送った。
・講義、講話の1週間
明後日は、熊本大学での年に1度(2週)の講義日。年末から何を話そうか、思案をし続けて来ましたが、アメリカの進んだ議会内容(直接民主主義)とハーバード大学の人気講座「政治哲学」の講義ビデオを合間に使い、市民参加のまちづくりをテーマに講義をします。
明日は、地元商工会の新年交流会があるので、今夜中に講義の原稿をまとめなければなりません。講義を聞きたい方は、聴講できますので、参加頂ければ幸いです。今週は、大学講義、早朝講話、公民館講話と続き、緊張の1週間になりそうです。
<今日の一言>
・偶然少酌(ぐうぜんしょうしゃく)
~思いがけない来訪の楽しみ~
約束して飲むというのはあまり面白くない。思いがけない時にふいと親友がやって来た。何はともあれというので、ほんの有り合わせでちょっと飲むというのはなかなか良いものだ。
(以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)
*野口修一の公式ブログ
http://noguchi-shuichi.at.webry.info/
ツイッタ―と連動しています。
・早朝講話
今朝は4時半に起きて、早朝講話に出かけた。開始は朝の6時から、20分前に着くと既に、8名ほど来られて会議をされていました。昼は忙しいので、朝のミーティーングとセミナーのようだ。朝の挨拶、スローガン、スピーチが終わり、私の40分の講話が始まった。参加者に何名か友人がいたのですが、私の講話は初めての人ばかりで、静かに聞いて頂いた。
法人会は、一種の異業種の集まりですが、私の主宰する異業種交流会は、私は一人で集める活動家や企業家の集う『場』です。年に4回、30~80名の交流会。講師の講演を聞き、参加者の紹介をし、懇親会をやる3時間。12年も経つと、出会った方は1300名に越える人数になりました。
会の中で語った「会(集まり)は、同じメンバーだとだんだん集まりが悪くなる。私は常に15%以上の新しいメンバーを入れ続けた」と紹介したのですが、中の一人が「15%」と呟いていたのが印象に残った。朝食の握り飯をほおばりながら、ミニ茶話会が30分ほどあり、私は帰宅させてもらった。
・国有林内のダイオキシン埋設
午後は、年末に現地を調査した「国有林内のダイオキシン埋設」の撤去問題を、熊本県庁の環境課へ行く、市民オンブズマンの一行に同行させてもらった。本来は、知人の市議会議員が行くはずだったが、所用ができ、代理で私が同席することになった。
渡りを付けたオンブズマンの一人が、挨拶を終わるの前に、意見を言い始めた。延々25分近く、意見というより、要望や法的矛盾を突く、文句が続いた。オンブズマンの一人が、「今日は、報告を聞くのですよ」と促し、一時はおさまったが、再度、機関銃トークが始まり、やっとおさまったころに、「とにかく市民の不安をとる機会(努力)をしてほしい」と、私が申し出た。
県庁担当の丁寧な説明は、理に叶っていたが、地域住民の一人であるオンブズマンの方は、納得がいかないのか、更に輪をかけた意見が出て来た。所用の市議も到着し、結論へ向けた意見交換ができ、「兎に角、国、県、市と市民が一緒に、埋設地の検査をできるように、県に仲介をお願いしたい」という方向付けは約束ができた
。
2011年度からだが、営林署(林野庁)の態度がどうか、今後の動きに注目し、内容は日記等で報告をして行きたい。
*関連日記
ダイオキシン放棄? 営林署、熊本県宇土市の山中に埋設
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1642307602&owner_id=2182841
http://noguchi.otemo-yan.net/e411534.html
・議会報告文の修正
帰り早々、12月議会報告文の修正が残っていたので、急ぎ書きなおし、議会へメールで送った。
・講義、講話の1週間
明後日は、熊本大学での年に1度(2週)の講義日。年末から何を話そうか、思案をし続けて来ましたが、アメリカの進んだ議会内容(直接民主主義)とハーバード大学の人気講座「政治哲学」の講義ビデオを合間に使い、市民参加のまちづくりをテーマに講義をします。
明日は、地元商工会の新年交流会があるので、今夜中に講義の原稿をまとめなければなりません。講義を聞きたい方は、聴講できますので、参加頂ければ幸いです。今週は、大学講義、早朝講話、公民館講話と続き、緊張の1週間になりそうです。
<今日の一言>
・偶然少酌(ぐうぜんしょうしゃく)
~思いがけない来訪の楽しみ~
約束して飲むというのはあまり面白くない。思いがけない時にふいと親友がやって来た。何はともあれというので、ほんの有り合わせでちょっと飲むというのはなかなか良いものだ。
(以上、『安岡正篤「こころ」に書き写す言葉』より)
*野口修一の公式ブログ
http://noguchi-shuichi.at.webry.info/
ツイッタ―と連動しています。
ビジネスに「MNN」の発想と行動力。~今日は、講義に準備~
2011年01月11日
ビジネスに「MNN」の発想と行動力。~今日は、講義に準備~
3連休の最終日の午前は、今週に行わなければならない2つの講話と1つの講義を考えをまとめる時間になった。昨日の地域の新年会を終えたことと、遅くまで飲み会があり、早朝に片づけをして、大学の講義で使うビデオを何度も繰り返し見たり、明日の早朝の講話のことを考えたり、週末の「龍馬と政治」の海難事故の資料を整理したりと、年末から考え続けて来た講義(講話)構想のまとめの時間になった。
昼食前に来客があり、講義整理の完成ができなかった。残りは、今夜、最終まとめをすることにした。
ちょっと臭い話だが、最近話題のトイレ?の歌ではないですが、我が家にはトイレに本棚がある。
子供たちが進学して、最近は私の読み残しや、読み返す本が載る。今日は、城山三郎の語録を集めた「人生の流儀」を読み開く中に、少々長文だが、思い話題を見つけた。
ビジネスと3つのノウハウ「MNN?」についてと、あった。
これは、何だ?
読み進むと、「これって、私が12年やって来たことじゃないか」と、変に納得した。
内容を紹介します。
(以下、転載文)
「じゃ、もっと具体的に言って上げましょうか。わたしはいま世の出るためには、男も女も同じだけど、MNNの三つのノウハウをそろえればいいと思うの」
「Mとはメンターの略。メンターとは、精神的な保護者、引き立ててくれる後援者、つまり親分のような存在のことで、あなたのためには、とりあえず、私がメンター役をつとめ上げる」
「……」
「Nはネットワーク。人脈というか、人間のつながり。コネなどとちがって、もっと広く知的なつながりや集いのこと、サクセスめざす男たちの間では、朝の朝食会からはじまって夜の勉強会まで、人間のネットワークの花ざかりよ。こういうネットワークをあなたにも次々と紹介して上げる」
「……」
「次のNはニュース・ヴァリューの略。話題性ということね。いまはただこつこつやっていればいい時代ではないの。イベントでもパフォーマンスでも、何でもいいからパッと華やかな話題にならなくては。何をしたらいいのかは、これもいろいろ実例を見せて教えて上げる」
言われてみると、簡単なことに思えてくる。それでいて、やはり魔法でもかけられているような気分は消えない。…「本当に生きた日」
(以下、城山三郎語録「人生の流儀」)
MNNとは、
M:メンター、引き立ててくれる後援者。
N:ネットワーク、知的なつながりや集い。
N:ニュース・ヴァリュー、話題性。
MNNをどうつくるかは、人それぞれにやり方は違うと思います。
人の職能、人間的な資質、行動力、手法、ツール、等々。
「自分のできることをやる」が、大事と思います。無理は継続が難しいので、自分のできることからゆっくり・じっくり広げて行くこと(N:ネットワークづくり)が大事と思います。
・四季の会
私の異業種交流会「四季の会」は、2人から始まり、4人、8人、15人、30人、44人、55人、と広がって行きました。その期間は、約2年。しかし、8回目は、44人、時間の使い方が悪かった。急な拡大の性で無理が来ました。
それを助けてくれたのは、Mでした。そのMは、新エネルギー分野の教授でした。Mのアドバイスと参画で、新たな流れが生まれました。
N:常に最先端の話を聞く(聞ける)
を中心に、人探しを開始しました。
というのが、私が12年続ける。「四季の会」の経緯です。
私は、今日までMNNを知りませんでしたが、自然に人の輪(師友)の中で、出来上がって来たのだと感じます。みなさんも、ビジネスにしろ、社会活動にしろ、仲間づくりにしろ「MNN」の発想と行動を実施すれば、成功へ向かわせることが可能になると思います。新年になり、「MNN」をぜひ実践されてみてはいかがでしょうか。感想も含め書き込みを頂けるとありがたいです。
*参考資料:城山三郎語録「人生の流儀」
3連休の最終日の午前は、今週に行わなければならない2つの講話と1つの講義を考えをまとめる時間になった。昨日の地域の新年会を終えたことと、遅くまで飲み会があり、早朝に片づけをして、大学の講義で使うビデオを何度も繰り返し見たり、明日の早朝の講話のことを考えたり、週末の「龍馬と政治」の海難事故の資料を整理したりと、年末から考え続けて来た講義(講話)構想のまとめの時間になった。
昼食前に来客があり、講義整理の完成ができなかった。残りは、今夜、最終まとめをすることにした。
ちょっと臭い話だが、最近話題のトイレ?の歌ではないですが、我が家にはトイレに本棚がある。
子供たちが進学して、最近は私の読み残しや、読み返す本が載る。今日は、城山三郎の語録を集めた「人生の流儀」を読み開く中に、少々長文だが、思い話題を見つけた。
ビジネスと3つのノウハウ「MNN?」についてと、あった。
これは、何だ?
読み進むと、「これって、私が12年やって来たことじゃないか」と、変に納得した。
内容を紹介します。
(以下、転載文)
「じゃ、もっと具体的に言って上げましょうか。わたしはいま世の出るためには、男も女も同じだけど、MNNの三つのノウハウをそろえればいいと思うの」
「Mとはメンターの略。メンターとは、精神的な保護者、引き立ててくれる後援者、つまり親分のような存在のことで、あなたのためには、とりあえず、私がメンター役をつとめ上げる」
「……」
「Nはネットワーク。人脈というか、人間のつながり。コネなどとちがって、もっと広く知的なつながりや集いのこと、サクセスめざす男たちの間では、朝の朝食会からはじまって夜の勉強会まで、人間のネットワークの花ざかりよ。こういうネットワークをあなたにも次々と紹介して上げる」
「……」
「次のNはニュース・ヴァリューの略。話題性ということね。いまはただこつこつやっていればいい時代ではないの。イベントでもパフォーマンスでも、何でもいいからパッと華やかな話題にならなくては。何をしたらいいのかは、これもいろいろ実例を見せて教えて上げる」
言われてみると、簡単なことに思えてくる。それでいて、やはり魔法でもかけられているような気分は消えない。…「本当に生きた日」
(以下、城山三郎語録「人生の流儀」)
MNNとは、
M:メンター、引き立ててくれる後援者。
N:ネットワーク、知的なつながりや集い。
N:ニュース・ヴァリュー、話題性。
MNNをどうつくるかは、人それぞれにやり方は違うと思います。
人の職能、人間的な資質、行動力、手法、ツール、等々。
「自分のできることをやる」が、大事と思います。無理は継続が難しいので、自分のできることからゆっくり・じっくり広げて行くこと(N:ネットワークづくり)が大事と思います。
・四季の会
私の異業種交流会「四季の会」は、2人から始まり、4人、8人、15人、30人、44人、55人、と広がって行きました。その期間は、約2年。しかし、8回目は、44人、時間の使い方が悪かった。急な拡大の性で無理が来ました。
それを助けてくれたのは、Mでした。そのMは、新エネルギー分野の教授でした。Mのアドバイスと参画で、新たな流れが生まれました。
N:常に最先端の話を聞く(聞ける)
を中心に、人探しを開始しました。
というのが、私が12年続ける。「四季の会」の経緯です。
私は、今日までMNNを知りませんでしたが、自然に人の輪(師友)の中で、出来上がって来たのだと感じます。みなさんも、ビジネスにしろ、社会活動にしろ、仲間づくりにしろ「MNN」の発想と行動を実施すれば、成功へ向かわせることが可能になると思います。新年になり、「MNN」をぜひ実践されてみてはいかがでしょうか。感想も含め書き込みを頂けるとありがたいです。
*参考資料:城山三郎語録「人生の流儀」
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JICA緒方貞子理事長の2011年 年頭メッセージ
2011年01月11日

JICA緒方貞子理事長の2011年 年頭メッセージ
-現場と本部が一体となり、“Inclusive and Dynamic Development”を-
http://www.jica.go.jp/about/president/message/20110105.html
緒方貞子JICA理事長は2011年1月4日、全世界のJICA職員・関係者に向けて年頭の所信を述べ、「明るいとは言い切れない今後の見通しの中で多様なニーズに対応するには、現場の事業が本部と一体となって展開されることが肝要」「新JICA発足時の初心に帰り、“Inclusive and Dynamic Development”を追求していきたい」と語った。以下はその要旨。
・困難な状況の中で
2010年は世界にとって多難な年であった。2011年がもう少し平和で安定した年であってほしいと願うが、そうなる見通しがあるとは言い切れない。世界経済の見通しも必ずしも明るいものではない。また、アフガニスタン、イラク、コートジボワールなどで、困難な状況が続いており、各地域での平和構築の努力も「一歩前進、一歩後退」が続いている。
一方、新年にあたり多数の方からいただいた年賀には「日本はこのままでよいのだろうか」という問いかけが多かった。このような年は初めてという気がする。
・現場と本部が一体となった援助を
JICAは、ODAを通して貧困からの脱却と格差の解消を目指してきた。今後とも、MDGs達成のための事業、各国の経済力の強化を目指すインフラ事業、TICAD関連の事業、アフガニスタンやアフリカ・中東地域での平和構築など、幅広い活動に取り組んでいかなければならない。
これらの多様なニーズに対応するには、援助計画の立案の段階から実施にかけて、方針を明確にし、現場の事業がJICAの本部と一体となって展開されることが肝要と考える。援助の実施にあたっては、専門家の知識の活用、実務家の経験の重視、研究者による評価と立案、外務省や関連省庁との密接な政策討議、PPPによる民間との連携、国際開発金融機関など他ドナーとの協調がいっそう重要となる。それらを通して事業の広がりを図る必要がある。
・効果的な発信の必要性
開発事業を合理的、かつ効果的に進め、これらが社会に認知されることによって、初めて国際協力事業に対する広い支援が得られるのではないかと思う。事業仕分けのレッスンも生かしていかなければならない。
国際的・国内的対外発信も大切。私たちがやっていること、やらなければならないと思っていることを効果的に発信していけるよう、努力する必要がある。
・統合の初心に帰って
2008年のJBICとJICAとの統合、新JICA発足の際に、職員が主体となって選んだビジョン「Inclusive and Dynamic Development(すべての人々が恩恵を受けるダイナミックな開発)」を追求していかなければならない。特に“Inclusive”については、もう一度よく考える必要がある。グローバル化の時代において、“Inclusive Development”とは、「平等」、あるいは「(開発の)効果を分け合う」ということだけでなく、「上昇する経済の中に、弱い部分、残された部分を吸い込んでいく、取り込んでいく」ということだと考える。このビジョンをいっそう推進していくよう、役職員や関係者の方々と共に努力していきたい。
<日本の問題>「正論」対談:櫻井よしこ氏×渡辺利夫氏、
2011年01月11日
<日本の問題>「正論」対談:櫻井よしこ氏×渡辺利夫氏、
年初の「正論」の対談を読んだ。今年は、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏と、拓殖大学学長・渡辺利夫氏の対談が掲載されていました。詳しくは、下記を検索下さい。抜粋を掲載しました。参考にして頂ければ幸いです。
(上)目覚めよ日本、「中禍」を見抜け
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110103/plc1101030700003-n1.htm
(下)誇れる国の礎 憲法、教育、皇室
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110103/plc1101030700004-n1.htm
<以下、正論より抜粋>
> 渡辺 何が根本的問題でしょうか
> 櫻井 普通の国家が備えている要件、外交力と軍事力を、戦後の日本が失ってしまったことに尽きると思います。
> もう一つの問題は教育です。日本の歴史をまともに教えられていませんから、尖閣諸島も北方領土の歴史も知らない人が多い。
> 渡辺 中国に対して戦略的にどのように対応すればよいと考えますか
> 櫻井 少なくとも100年間、中国は一番の脅威だと認識することが、対応の第一歩です。中国問題はアジア、アメリカにとっても同様です。特に日本は地政学的にも、文化的にも、他の国々よりも影響を受けやすい位置にあります。
>中曽根康弘元首相のように素養のあるあの世代の方々であればあるほど、「論語」、孔子のような文化、文明が中国の実像だと思っています。
> 渡辺 超大国に向かって突っ走っているように見えます。だが、内からみると、これほど巨大な社会的矛盾を抱えた国も珍しい。本質は農村の貧困です。格差、資源エネルギー不足、環境破壊、少子高齢化、頭を抱えてしまうようなテーマが無数にあります。中国国内で公務執行妨害を伴う暴力事件が全国全土でどのくらい起こったかといえば、政府公表の統計でも年間10万件以上です。
> 櫻井 1日300件以上ということになります。すさまじいことです。
> 櫻井 渡辺さんのおっしゃるポストモダニズムがどこから来るかといえば憲法からでしょう。憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。世界は全部善なる国々で構成されていて、私たち日本が善い行いさえすれば問題はないのだと。
> 渡辺 アメリカにすり込まれました。
> 櫻井 確かに多くの失敗も犯して、敗れました。だが、その中にも日本人の立派な魂はありました。そうしたことを、歴史教育で一つ一つ具体的に教えていくときだと思います
> 渡辺 今の政治で保守が掲げていくべきものは何でしょうか
> 櫻井 憲法、教育、皇室の3つの価値観を標榜(ひょうぼう)する政党はどこにも存在しません。
> 誇れる国をつくりたいと切望し、次の世代の日本人、またその次の世代に恥ずかしくない国家をつくってバトンタッチしていきたいと考える人たちには支える政党がないのが現実です。
> 櫻井 日本社会には暴発するほどの元気もなくて、冒頭で申し上げたように液状化しつつあると心配しています。そんな日本人に、昔風に聞こえるかもしれませんが、「立派な日本人になることの大切さ」「戦後日本人が日本人でなくなったことの問題」を説きたいと思います。まず日本国が普通の民主主義国家の要件である外交力と軍事力を備えたまともな国になり、日本人がまともな日本人になることから再建が始まります。
> そこにたどり着くための歴史教育とともに、国際社会を広く見て、その一員であるという意識を常に忘れないでほしい。健全なナショナリズムは健全な国際主義なしにはあり得ないことも強調したいですね。
(以上、Web産経新聞から転載)
長い転載文を読んで頂きありがとうございます。世には色々な考えがあります。ただ国民一人ひとりは、この国を愛し、この国を守ることが必要と思っています。
国家の目的は、色々あります。冷戦の秩序が崩壊し、中国の経済成長+軍事的パワーの増強、朝鮮半島の不安定化、アメリカの勢力図が少しづつ変化しているように感じます。
日本は、どこへ向かうのか?
渡辺氏、櫻井氏の考えが全部正しいと鵜呑みにする人はいないと思います。しかし、似たような感覚を覚えている方も多いと思います。日米同盟、以前では日英同盟、信頼関係で日本国家がこれまで歴史を作って来ました。北朝鮮半島の6ヶ国協議の難しさは、中国の拡大路線も含め、複雑化しています。
東洋の端に位置する日本ですが、それは舟の時代の話であって、現代はインターネット時代、航空機の時代です。日本を中心にして、周りの関係、あるいは2国間の信頼をたくさん作って行くことも重要と思います。今日の日記は、私の考えを語るのではなくて、みなさんに読んで頂ければと思い書きました。
月に1度、安岡正篤先生の著書を読む輪読会「熊本師友会」に、毎回は参加できませんが、末席に加えてもらっています。安岡先生の「日本精神の研究」なる難しい本の解説を聞き、日本人の素晴らしい歴史、実績、先見性、等々、私たちが教えられて来なかったたくさんの歴史を知らされます。
櫻井氏ではないですが、日本人はもっと日本の歴史、日本人が成してきた歴史をもっと学ぶべきと思います。21世紀は、グローバルな国際関係もしっかりやって行くことが重要です。国家もですが、個人としても尊敬しあう交流が重要と思っています。今月末に、カナダの友人が熊本へ来ます。「朋遠方より来るあり」の楽しい気分を感じるものです。
社会に関心を持ち、未来世代に良い社会を渡せるように、一人ひとりが行動をして行きたいものです。
年初の「正論」の対談を読んだ。今年は、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏と、拓殖大学学長・渡辺利夫氏の対談が掲載されていました。詳しくは、下記を検索下さい。抜粋を掲載しました。参考にして頂ければ幸いです。
(上)目覚めよ日本、「中禍」を見抜け
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110103/plc1101030700003-n1.htm
(下)誇れる国の礎 憲法、教育、皇室
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110103/plc1101030700004-n1.htm
<以下、正論より抜粋>
> 渡辺 何が根本的問題でしょうか
> 櫻井 普通の国家が備えている要件、外交力と軍事力を、戦後の日本が失ってしまったことに尽きると思います。
> もう一つの問題は教育です。日本の歴史をまともに教えられていませんから、尖閣諸島も北方領土の歴史も知らない人が多い。
> 渡辺 中国に対して戦略的にどのように対応すればよいと考えますか
> 櫻井 少なくとも100年間、中国は一番の脅威だと認識することが、対応の第一歩です。中国問題はアジア、アメリカにとっても同様です。特に日本は地政学的にも、文化的にも、他の国々よりも影響を受けやすい位置にあります。
>中曽根康弘元首相のように素養のあるあの世代の方々であればあるほど、「論語」、孔子のような文化、文明が中国の実像だと思っています。
> 渡辺 超大国に向かって突っ走っているように見えます。だが、内からみると、これほど巨大な社会的矛盾を抱えた国も珍しい。本質は農村の貧困です。格差、資源エネルギー不足、環境破壊、少子高齢化、頭を抱えてしまうようなテーマが無数にあります。中国国内で公務執行妨害を伴う暴力事件が全国全土でどのくらい起こったかといえば、政府公表の統計でも年間10万件以上です。
> 櫻井 1日300件以上ということになります。すさまじいことです。
> 櫻井 渡辺さんのおっしゃるポストモダニズムがどこから来るかといえば憲法からでしょう。憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。世界は全部善なる国々で構成されていて、私たち日本が善い行いさえすれば問題はないのだと。
> 渡辺 アメリカにすり込まれました。
> 櫻井 確かに多くの失敗も犯して、敗れました。だが、その中にも日本人の立派な魂はありました。そうしたことを、歴史教育で一つ一つ具体的に教えていくときだと思います
> 渡辺 今の政治で保守が掲げていくべきものは何でしょうか
> 櫻井 憲法、教育、皇室の3つの価値観を標榜(ひょうぼう)する政党はどこにも存在しません。
> 誇れる国をつくりたいと切望し、次の世代の日本人、またその次の世代に恥ずかしくない国家をつくってバトンタッチしていきたいと考える人たちには支える政党がないのが現実です。
> 櫻井 日本社会には暴発するほどの元気もなくて、冒頭で申し上げたように液状化しつつあると心配しています。そんな日本人に、昔風に聞こえるかもしれませんが、「立派な日本人になることの大切さ」「戦後日本人が日本人でなくなったことの問題」を説きたいと思います。まず日本国が普通の民主主義国家の要件である外交力と軍事力を備えたまともな国になり、日本人がまともな日本人になることから再建が始まります。
> そこにたどり着くための歴史教育とともに、国際社会を広く見て、その一員であるという意識を常に忘れないでほしい。健全なナショナリズムは健全な国際主義なしにはあり得ないことも強調したいですね。
(以上、Web産経新聞から転載)
長い転載文を読んで頂きありがとうございます。世には色々な考えがあります。ただ国民一人ひとりは、この国を愛し、この国を守ることが必要と思っています。
国家の目的は、色々あります。冷戦の秩序が崩壊し、中国の経済成長+軍事的パワーの増強、朝鮮半島の不安定化、アメリカの勢力図が少しづつ変化しているように感じます。
日本は、どこへ向かうのか?
渡辺氏、櫻井氏の考えが全部正しいと鵜呑みにする人はいないと思います。しかし、似たような感覚を覚えている方も多いと思います。日米同盟、以前では日英同盟、信頼関係で日本国家がこれまで歴史を作って来ました。北朝鮮半島の6ヶ国協議の難しさは、中国の拡大路線も含め、複雑化しています。
東洋の端に位置する日本ですが、それは舟の時代の話であって、現代はインターネット時代、航空機の時代です。日本を中心にして、周りの関係、あるいは2国間の信頼をたくさん作って行くことも重要と思います。今日の日記は、私の考えを語るのではなくて、みなさんに読んで頂ければと思い書きました。
月に1度、安岡正篤先生の著書を読む輪読会「熊本師友会」に、毎回は参加できませんが、末席に加えてもらっています。安岡先生の「日本精神の研究」なる難しい本の解説を聞き、日本人の素晴らしい歴史、実績、先見性、等々、私たちが教えられて来なかったたくさんの歴史を知らされます。
櫻井氏ではないですが、日本人はもっと日本の歴史、日本人が成してきた歴史をもっと学ぶべきと思います。21世紀は、グローバルな国際関係もしっかりやって行くことが重要です。国家もですが、個人としても尊敬しあう交流が重要と思っています。今月末に、カナダの友人が熊本へ来ます。「朋遠方より来るあり」の楽しい気分を感じるものです。
社会に関心を持ち、未来世代に良い社会を渡せるように、一人ひとりが行動をして行きたいものです。
年初の読む本、5つの「年頭自警」、一善事と一佳書
2011年01月11日
年初の読む本、5つの「年頭自警」、一善事と一佳書
私は、毎年、年初の読む本があります。昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の教示を集めた「安岡正篤 一日一言」です。
・年頭自警
一、年頭まず自ら意気を新たにすべし
二、年頭古き禍根を棄つべし
三、年頭決然滞事(けつぜんたいじ)を一掃すべし
四、年頭新たに一善事を発願すべし
五、年頭新たに一佳書を読み始むべし
上記が、年頭の教示なっています。今日は、尊敬する東京の先達から、年頭の電話があり、今年の活動の抱負を聞かれた。3つのテーマで、計画を準備していることを語り、色々アドバイスと課題を頂いた。ありがたいことだと感謝するばかりです。
さっそく、5番目の佳書を読む始めるべし、を実践するためと先輩の新年の挨拶を兼ねて、県立図書館へ出かけた。年末に借りた本を反し、隣接する近代文学館へ挨拶に行き、色々話をする中で、「君の地元は歴史検証は活発だが、それを後押しする文学に親しむものがない」と指摘があった。そこで、館長へ私の地元の文学的な視点での検証をアドバイス頂いた。講演の約束も取って、さっそく来週から動くことになった。正月早々から、本探しが「一善事を発願すべし」と両方が始まった。
ところで、図書館から借りた本、バルタザール・グラシアン著「賢人の知恵」をさっそく読み始めた。これは、書架を探していて、目にふと止まった本で、240の教示を集めたもので、元は17世紀のスペインの作家のものです。少し初めを読み、心に留まった一節を紹介します。
(以下、転載)
・優れた人とつきあう
人は、誰と一緒にいるかで判断される。
名高く尊敬されるような人と方を並べるのは畏れ多い世才ではあるが、たいへん役に立つ才略でもある。敬愛される立派な人と行動をともにしていれば、その威光のおかげで、こちらまで輝いて見えるものだ。
・萎縮しない
人に対する概念を少しずつ緩めてみよう。恐れなければならないほどの高尚な人などいない。誰に対しても、高貴な人だなと思いこまないように。そうでないと自分の心が畏縮してしまうからだ。いったん話をしてみれば、その偉大さは錯覚だったことがわかるだろう。
誰でも生身の人間で、それぞれ欠点もあれば言い訳もする。人情味に欠ける人のいれば、勇気が足りない人もいる。高い地位の人は、優れているように見えても実質が伴っている人はめったにいないもの。冷静に判断してその思い違いが解ければ、このような人に対しても節度を保って大胆に対応できる。
・友情を育む
友は自分の一部であり、分身である。友人同士、積極的に知恵を分かちあおう。
人は、他人が望むとおりになるものだ。良い人だと思ってもらえるように、周りの人を味方につけよう。人生は持ちつ持たれつ。敵に囲まれているより、友に囲まれて生きるほうがいい。日々友情を探し求めよう。友情の種をまき、新しい友を増やそう。
(以上、「「賢人の知恵」より)
まだ2割も読んでいないのですが、なんか新年から元気と勇気をもらえるように思います。これが、安岡先生が訓示する、新年からの「一善事を発願すべし」に値するかは、読み終えて、この本が何度も読み返したくなるかどうかにあるように思います。
中国古典の数冊は、事あるごとに読み返すのですが、経書に値する本との出会いは、素晴らしい師友に会えると同じくらい楽しいものです。今日は、以前に2度読んだ、「荀子」の解説本を借りて来たのですが、心を鍛える本は、日々の仕事に追われる中で、少しでも自分を取り戻す大切な教示と思っています。
毎年読み始める最初の本は、安岡先生の「一日一言」で、その冒頭の一節が、5つの「年頭自警」です。今日の日記を読んで、感想でも頂けるとありがたいです。
*参考資料:安岡正泰監修「安岡正篤 一日一言」
バルタザール・グラシアン著「賢人の知恵」(齊藤慎子訳)
私は、毎年、年初の読む本があります。昭和の東洋哲学者の安岡正篤先生の教示を集めた「安岡正篤 一日一言」です。
・年頭自警
一、年頭まず自ら意気を新たにすべし
二、年頭古き禍根を棄つべし
三、年頭決然滞事(けつぜんたいじ)を一掃すべし
四、年頭新たに一善事を発願すべし
五、年頭新たに一佳書を読み始むべし
上記が、年頭の教示なっています。今日は、尊敬する東京の先達から、年頭の電話があり、今年の活動の抱負を聞かれた。3つのテーマで、計画を準備していることを語り、色々アドバイスと課題を頂いた。ありがたいことだと感謝するばかりです。
さっそく、5番目の佳書を読む始めるべし、を実践するためと先輩の新年の挨拶を兼ねて、県立図書館へ出かけた。年末に借りた本を反し、隣接する近代文学館へ挨拶に行き、色々話をする中で、「君の地元は歴史検証は活発だが、それを後押しする文学に親しむものがない」と指摘があった。そこで、館長へ私の地元の文学的な視点での検証をアドバイス頂いた。講演の約束も取って、さっそく来週から動くことになった。正月早々から、本探しが「一善事を発願すべし」と両方が始まった。
ところで、図書館から借りた本、バルタザール・グラシアン著「賢人の知恵」をさっそく読み始めた。これは、書架を探していて、目にふと止まった本で、240の教示を集めたもので、元は17世紀のスペインの作家のものです。少し初めを読み、心に留まった一節を紹介します。
(以下、転載)
・優れた人とつきあう
人は、誰と一緒にいるかで判断される。
名高く尊敬されるような人と方を並べるのは畏れ多い世才ではあるが、たいへん役に立つ才略でもある。敬愛される立派な人と行動をともにしていれば、その威光のおかげで、こちらまで輝いて見えるものだ。
・萎縮しない
人に対する概念を少しずつ緩めてみよう。恐れなければならないほどの高尚な人などいない。誰に対しても、高貴な人だなと思いこまないように。そうでないと自分の心が畏縮してしまうからだ。いったん話をしてみれば、その偉大さは錯覚だったことがわかるだろう。
誰でも生身の人間で、それぞれ欠点もあれば言い訳もする。人情味に欠ける人のいれば、勇気が足りない人もいる。高い地位の人は、優れているように見えても実質が伴っている人はめったにいないもの。冷静に判断してその思い違いが解ければ、このような人に対しても節度を保って大胆に対応できる。
・友情を育む
友は自分の一部であり、分身である。友人同士、積極的に知恵を分かちあおう。
人は、他人が望むとおりになるものだ。良い人だと思ってもらえるように、周りの人を味方につけよう。人生は持ちつ持たれつ。敵に囲まれているより、友に囲まれて生きるほうがいい。日々友情を探し求めよう。友情の種をまき、新しい友を増やそう。
(以上、「「賢人の知恵」より)
まだ2割も読んでいないのですが、なんか新年から元気と勇気をもらえるように思います。これが、安岡先生が訓示する、新年からの「一善事を発願すべし」に値するかは、読み終えて、この本が何度も読み返したくなるかどうかにあるように思います。
中国古典の数冊は、事あるごとに読み返すのですが、経書に値する本との出会いは、素晴らしい師友に会えると同じくらい楽しいものです。今日は、以前に2度読んだ、「荀子」の解説本を借りて来たのですが、心を鍛える本は、日々の仕事に追われる中で、少しでも自分を取り戻す大切な教示と思っています。
毎年読み始める最初の本は、安岡先生の「一日一言」で、その冒頭の一節が、5つの「年頭自警」です。今日の日記を読んで、感想でも頂けるとありがたいです。
*参考資料:安岡正泰監修「安岡正篤 一日一言」
バルタザール・グラシアン著「賢人の知恵」(齊藤慎子訳)
「多逢聖因」、1月3日の使い方
2011年01月11日
「多逢聖因」、1月3日の使い方
・年頭の言葉を「多逢聖因」
また、もう一つがブログネタのために、作家の言葉を集めた本を探します。今年は、城山三郎の言葉を集めたPHPの文庫本を見つけました。昨年までは、女性作家の言葉が多かったのですが、田中正造を広く世に出したと言われる「辛酸(しんさん)」の著者が城山三郎です。ビジネスものも多く、企業運営に関わる本もあります。
年賀状の年頭の言葉を「多逢聖因」を選びました。意味は、人は良き機会(場)、良き人、良き本と出会う努力をすることが大事、の意味なのですが、今年の良き本になるかは分かりませんが、奈良本辰也著「葉隠れ」、城山三郎語録「人生の流儀」の文庫本を購入しました。「葉隠」は、数ページを読んだだけで感想はありません。「人生の流儀」の言葉で心に残った言葉をいくつか紹介します。
(以下、転載)
時代に合わせて生きるのではなく、わが生き方をしかと選び、根気よく歩み続ける。そうして骨太な人生に、時代の方から頭を下げて、歩み寄ってくる、という気がしている。
――(『生き残りの人生』)
こうしたこともあって、漱石が好きだったというイギリスの作家スターンの警句、このころから、私は我が身に言い聞かせるようになった。
「形式にこだわるには、人生が短すぎる」
と。ここでの「形式」とは目に見えるものだけなく、習慣とか世間の目もふくめ、人間が外から規制する諸々のものを指す、と考えていい。
――(『無所属の時間で生きる』)
いま、あまり読まれなくなった作家ですが、源氏鶏太さんの小説など、みなさんもっと読まれるといい。住友に25年勤めて、その傍らサラリーマン小説を書き続けた人ですが、それだけにサラリーマンの気持ちがよくわかる。この源氏さんが「和気、勇気、根気」ということをよく行っているんです。みんなと仲良くして、勇気をもってことにあたり、しかも根気が必要。やはり最後は根気です。夏目漱石の言葉にもあります。
「人は才能の前に頭を下げないが、根気の前には頭を下げる」とね。
――(『嬉しゅうて、そして…』)
私は以前から、人生の待ち時間に大差はない、問題はいかに深く生きるか、であると言ってきた。深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなる。深く生きるためにはただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要。
――(『嬉しゅうて、そして…』)
(以上、城山三郎語録「人生の流儀」)
>人は才能の前に頭を下げないが、根気の前には頭を下げる
根気よく続けるだけでは、人生は深く考えることが少ない。やはりここぞという時は、一根発起、チャレンジ精神を出し、何かの挑戦することも必要です。
>深く生きるためにはただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要
2011年、もう3日目。
時間と人生と、今年何をするか、考える新年の一日と思います。明日から、日常が始まります。今日の一日を無為に過ごすのではなく、新たな自分探しをする時間にしたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠れ」、城山三郎語録「人生の流儀」
・年頭の言葉を「多逢聖因」
また、もう一つがブログネタのために、作家の言葉を集めた本を探します。今年は、城山三郎の言葉を集めたPHPの文庫本を見つけました。昨年までは、女性作家の言葉が多かったのですが、田中正造を広く世に出したと言われる「辛酸(しんさん)」の著者が城山三郎です。ビジネスものも多く、企業運営に関わる本もあります。
年賀状の年頭の言葉を「多逢聖因」を選びました。意味は、人は良き機会(場)、良き人、良き本と出会う努力をすることが大事、の意味なのですが、今年の良き本になるかは分かりませんが、奈良本辰也著「葉隠れ」、城山三郎語録「人生の流儀」の文庫本を購入しました。「葉隠」は、数ページを読んだだけで感想はありません。「人生の流儀」の言葉で心に残った言葉をいくつか紹介します。
(以下、転載)
時代に合わせて生きるのではなく、わが生き方をしかと選び、根気よく歩み続ける。そうして骨太な人生に、時代の方から頭を下げて、歩み寄ってくる、という気がしている。
――(『生き残りの人生』)
こうしたこともあって、漱石が好きだったというイギリスの作家スターンの警句、このころから、私は我が身に言い聞かせるようになった。
「形式にこだわるには、人生が短すぎる」
と。ここでの「形式」とは目に見えるものだけなく、習慣とか世間の目もふくめ、人間が外から規制する諸々のものを指す、と考えていい。
――(『無所属の時間で生きる』)
いま、あまり読まれなくなった作家ですが、源氏鶏太さんの小説など、みなさんもっと読まれるといい。住友に25年勤めて、その傍らサラリーマン小説を書き続けた人ですが、それだけにサラリーマンの気持ちがよくわかる。この源氏さんが「和気、勇気、根気」ということをよく行っているんです。みんなと仲良くして、勇気をもってことにあたり、しかも根気が必要。やはり最後は根気です。夏目漱石の言葉にもあります。
「人は才能の前に頭を下げないが、根気の前には頭を下げる」とね。
――(『嬉しゅうて、そして…』)
私は以前から、人生の待ち時間に大差はない、問題はいかに深く生きるか、であると言ってきた。深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなる。深く生きるためにはただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要。
――(『嬉しゅうて、そして…』)
(以上、城山三郎語録「人生の流儀」)
>人は才能の前に頭を下げないが、根気の前には頭を下げる
根気よく続けるだけでは、人生は深く考えることが少ない。やはりここぞという時は、一根発起、チャレンジ精神を出し、何かの挑戦することも必要です。
>深く生きるためにはただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要
2011年、もう3日目。
時間と人生と、今年何をするか、考える新年の一日と思います。明日から、日常が始まります。今日の一日を無為に過ごすのではなく、新たな自分探しをする時間にしたいと思います。
*参考資料:奈良本辰也著「葉隠れ」、城山三郎語録「人生の流儀」
1月2日 新春サッカー大会
2011年01月11日
1月2日 新春サッカー大会
宇土市で開催される、熊本県下で古い、新春サッカー大会です。大人(高校生以上)が約60チーム、中学4チーム、小学生22チーム、女子6チームで開催されました。スタッフは、サッカー協会に面々、小中学校の監督・コーチで、とても寒い朝でしたが、今年も開催をすることができました。
7時過ぎに家を出て、年末天気が悪くできなかったコート作りから始まりました。グランドは、放射冷却で完全に凍りついていて、準備は良かったですが、ゲームが進むと霜も解け、少々足場の悪い状況になりましたが、ケガもなく無事に終了しました。
私は、小学校の会場で事務作業スタッフをしました。ゲームの白熱もったかもしれませんが、日本晴れの天気で、10時を過ぎりころには、気温も少し上がり、着こんでいた防寒着やコートも、一枚、一枚脱いで行く、風もなくサッカー日和になりました。
私の地元小学校は、トーナメントには残れませんでしたが、元気いっぱい、悔いなく闘ったようです。2011年は、スポーツで明けました。
宇土市で開催される、熊本県下で古い、新春サッカー大会です。大人(高校生以上)が約60チーム、中学4チーム、小学生22チーム、女子6チームで開催されました。スタッフは、サッカー協会に面々、小中学校の監督・コーチで、とても寒い朝でしたが、今年も開催をすることができました。
7時過ぎに家を出て、年末天気が悪くできなかったコート作りから始まりました。グランドは、放射冷却で完全に凍りついていて、準備は良かったですが、ゲームが進むと霜も解け、少々足場の悪い状況になりましたが、ケガもなく無事に終了しました。
私は、小学校の会場で事務作業スタッフをしました。ゲームの白熱もったかもしれませんが、日本晴れの天気で、10時を過ぎりころには、気温も少し上がり、着こんでいた防寒着やコートも、一枚、一枚脱いで行く、風もなくサッカー日和になりました。
私の地元小学校は、トーナメントには残れませんでしたが、元気いっぱい、悔いなく闘ったようです。2011年は、スポーツで明けました。
1月1日 子ども会駅伝大会の観戦
2011年01月11日
1月1日 子ども会駅伝大会の観戦
午前中は、地元小学校区内の子ども会駅伝大会の観戦をしました。
開会式で挨拶をさせて頂き、「この地区から、箱根駅伝を走った人が2人います。みなさんも、しっかり走ってそんな選手を目指してください」と、駒澤大学3連覇に関わった人の話をしました。
早朝から雪の舞う天気でしたが、参加チームを少ないながらも、子供たちは懸命に走っていました。お父さん、お母さん、おばあちゃん、おじいちゃんも応援していて、和気あいあいの中でも、トップ争いはし烈な戦いになっていました。
地区体協と消防団が協力して、毎年、元旦の朝に開催されて来ました。準備は31日、たくさんのボランティアの協力でできていることが素晴らしいと思います。
最後まで観戦は、できませんでしたが、新年のすがすがしいスタートのなりました。
午前中は、地元小学校区内の子ども会駅伝大会の観戦をしました。
開会式で挨拶をさせて頂き、「この地区から、箱根駅伝を走った人が2人います。みなさんも、しっかり走ってそんな選手を目指してください」と、駒澤大学3連覇に関わった人の話をしました。
早朝から雪の舞う天気でしたが、参加チームを少ないながらも、子供たちは懸命に走っていました。お父さん、お母さん、おばあちゃん、おじいちゃんも応援していて、和気あいあいの中でも、トップ争いはし烈な戦いになっていました。
地区体協と消防団が協力して、毎年、元旦の朝に開催されて来ました。準備は31日、たくさんのボランティアの協力でできていることが素晴らしいと思います。
最後まで観戦は、できませんでしたが、新年のすがすがしいスタートのなりました。
謹 賀 新 年 2011.01.01
2011年01月01日
謹 賀 新 年 2011.01.01
昨年は、私の社会活動にご理解とご支援を頂き感謝致します。特に夏からの市議会議員選では、多くの方に応援頂き無事に当選をさせていただき、ありがとうございました。
12月の初議会では、教育と保育、障がい児の育児、地域活性化について質問をさせて頂きました。今年一年地域からご意見を聞き、現地を訪ね、地域発展のため尽力致します。市議としては初心者、初心を忘れずに堅忍不抜で、地域づくり活動を実践致します。
12年間続けて来ました異業種交流会で出会った1300名を越える方々と、意見を交わし、まちづくりのネットワークをさらに広げて行きます。広域活動しては、11月に西都市で、食から農業を考える南九州の5市長(予定)「南部九州田園都市サミット」を開催予定です。予定に入れて頂ければ幸いです。
インターネットを利用して丸10年が過ぎました。新たな人と交流を模索したいと思っています。ツイッターも本格的に利用したいと思います。
末筆ながら皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。今年もご指導よろしくお願い致します。皆様とお会いできることを楽しみにしています。
本年テーマ
「知識を蓄え、地域活動に活かす」
年頭の言葉
多逢聖因(たほうしょういん)
人間はできるだけ良い機会、良い人、良い書物に会うことを考えなければならない。 (安岡正篤)
野口修一
Eメール aande@lime.ocn.ne.jp
〒869-0465宇土市網引町1374
野口修一の公式ブログ http://noguchi-shuichi.at.webry.info/
昨年は、私の社会活動にご理解とご支援を頂き感謝致します。特に夏からの市議会議員選では、多くの方に応援頂き無事に当選をさせていただき、ありがとうございました。
12月の初議会では、教育と保育、障がい児の育児、地域活性化について質問をさせて頂きました。今年一年地域からご意見を聞き、現地を訪ね、地域発展のため尽力致します。市議としては初心者、初心を忘れずに堅忍不抜で、地域づくり活動を実践致します。
12年間続けて来ました異業種交流会で出会った1300名を越える方々と、意見を交わし、まちづくりのネットワークをさらに広げて行きます。広域活動しては、11月に西都市で、食から農業を考える南九州の5市長(予定)「南部九州田園都市サミット」を開催予定です。予定に入れて頂ければ幸いです。
インターネットを利用して丸10年が過ぎました。新たな人と交流を模索したいと思っています。ツイッターも本格的に利用したいと思います。
末筆ながら皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。今年もご指導よろしくお願い致します。皆様とお会いできることを楽しみにしています。
本年テーマ
「知識を蓄え、地域活動に活かす」
年頭の言葉
多逢聖因(たほうしょういん)
人間はできるだけ良い機会、良い人、良い書物に会うことを考えなければならない。 (安岡正篤)
野口修一
Eメール aande@lime.ocn.ne.jp
〒869-0465宇土市網引町1374
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