〈東日本大震災〉記憶に留めたい「南三陸町の旧 防災庁舎」、他。

2013年09月20日

〈東日本大震災〉記憶に留めたい「南三陸町の旧 防災庁舎」、他。

〈東日本大震災〉記憶に留めたい「南三陸町の旧 防災庁舎」、他。

おはようございます。秋の気候になり、晴れの日が続きます。
今朝は、ウォーキングはお休みで、ゆっくりの朝です。

今日の朝刊に、南三陸町の旧防災庁舎が、取り壊されると報じていた。
2011年3月11日、東日本の太平洋岸を襲った巨大津波は、1000年に一度の猛威で、多くの人命と社会基盤を奪った。

私は、支援活動に中で、2011年4月5日~8日に東北を訪れた。4月6日に、福島県相馬市から出発し、名取市、仙台市、東松島市、石巻市に到着、石巻専修大学に拠点があったボランティアセンターの状況を視察し、翌6日は、女川町、南三陸町、気仙沼市は道路が寸断され行けず、陸前高田市へ辿り着いた。

4月初めは、被災地はまったく手つかずで、どうにか自衛隊が切り分けて作った仮設道路を使い通り抜けた。どこもかしこも、巨大津波の爪痕は、想像をはるかに越えるものだった。石巻市の大川小学校脇の北上川が決壊し、被害を拡大したことが分かった。

写真の南三陸町の防災庁舎では、40名を越える方々が犠牲となった。南三陸町の中心地は、防災庁舎以外は、全て津波で流されていた。この庁舎で、津波が来る直前まで住民の避難を呼びかけた町職員の故・遠藤未希さんのことを知る人は多いと思う。東日本大震災を記憶に留める施設として遺すことも要望されていたが、経費がかかることと、遺族の要請もあり、取り壊すことになったようだ。

屋上のアンテナ近くまで上がった津波、1000年に一度あるかないかの自然の猛威は凄いと、現地に立ち、足が竦む思いを持ったことを思い出す。あれから2年半が経ち、被災地の復旧は少しづつ進んでいることをテレビや新聞で見ながら、南三陸町の防災庁舎は、東日本大震災を経験した日本人は、ずっと記憶に残る施設と思います。

昨夏の九州北部豪雨、先週の台風18号の被害、自然災害はいつどこで起こるか分かりません。繰り返さる自然災害の経験を検証し、 防災・減災に活かしていくことが大切と思います。

本日は、定例議会最終日、委員会報告や特別委員会の設置等々、市長の終了挨拶とあります。与えられた仕事を、粛々と進めたいと思います。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 09:03│Comments(0)東日本大震災
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