<被災地状況報告> 宮城県仙台市
2011年04月10日
<被災地状況報告> 宮城県仙台市
相馬市から国道6線を北上し、岩沼市を通り、仙台市へ入りました。岩沼市も海岸沿いは大きな津波被害で、被害地域は店舗はもちろん、事務所なども閉まっていました。
しかし、大都市の仙台市に入ると少し様子が違っていました。津波被害は、海岸地域で浅いところで海岸から3km、深いところで5kmくらいまで入っていました。それ以外は、震度6強の揺れの割に、建物への被害がないように見受けました。4月6日では、ガソリンスタンドに車の行列はなく、「満タンできます」の文字も各店で表示されてました。
4月7日の夕方も仙台を通過したのですが、日常の渋滞なのか、橋が少ないせいかは分かりませんが、ものすごい渋滞でした。車の通りも日常時のようで、海岸沿いのきびしい状況とは想像できない都会の風景になっていました。
仙台空港の近くまで、車を回してみると、信号は止まり、ひっきりなしに走るダンプカーを警視庁の交通機動隊が、手信号で交通整理をしていました。もっと空港ターミナルへ行こうとしたのですが、警備の人に関心の持たれたようなので、途中で引き換えました。空港ターミナルまでだいぶ遠かったですが、津波の高さは2m近くに跡がありました。航空大学校のセスナも津波流され、車と一緒に押し流されていました。
(写真掲載)http://noguchi-shuichi.at.webry.info/
相馬市から国道6線を北上し、岩沼市を通り、仙台市へ入りました。岩沼市も海岸沿いは大きな津波被害で、被害地域は店舗はもちろん、事務所なども閉まっていました。
しかし、大都市の仙台市に入ると少し様子が違っていました。津波被害は、海岸地域で浅いところで海岸から3km、深いところで5kmくらいまで入っていました。それ以外は、震度6強の揺れの割に、建物への被害がないように見受けました。4月6日では、ガソリンスタンドに車の行列はなく、「満タンできます」の文字も各店で表示されてました。
4月7日の夕方も仙台を通過したのですが、日常の渋滞なのか、橋が少ないせいかは分かりませんが、ものすごい渋滞でした。車の通りも日常時のようで、海岸沿いのきびしい状況とは想像できない都会の風景になっていました。
仙台空港の近くまで、車を回してみると、信号は止まり、ひっきりなしに走るダンプカーを警視庁の交通機動隊が、手信号で交通整理をしていました。もっと空港ターミナルへ行こうとしたのですが、警備の人に関心の持たれたようなので、途中で引き換えました。空港ターミナルまでだいぶ遠かったですが、津波の高さは2m近くに跡がありました。航空大学校のセスナも津波流され、車と一緒に押し流されていました。
(写真掲載)http://noguchi-shuichi.at.webry.info/
<能登半島地震被災地支援活動>熊本支援チームは、2011年の東日本大震災の発生から
東日本大震災から14年、その被害のすごさを改めて確認します。
<地震・雷・火事・火山>東北地方の大地震と大津波を予知・警告した明治の歴史学者、吉田東伍がいた。
<原発事故を学ぶ>「ほら見て、兄さんだよ。英雄なんだ!」。母さんは泣き出したよ。〜『チェルノブイリの祈り』より〜
チェルノブイリの実験室だといまはいわれている国に。〜スベトラーナ・アレクシエービッチ(ノーベル賞作家)〜
福島第一原発事故を内側から検証報告した『ふくしま原発 作業員日誌〜イチエフの真実、9年間の記録〜』が届きました。
東日本大震災から14年、その被害のすごさを改めて確認します。
<地震・雷・火事・火山>東北地方の大地震と大津波を予知・警告した明治の歴史学者、吉田東伍がいた。
<原発事故を学ぶ>「ほら見て、兄さんだよ。英雄なんだ!」。母さんは泣き出したよ。〜『チェルノブイリの祈り』より〜
チェルノブイリの実験室だといまはいわれている国に。〜スベトラーナ・アレクシエービッチ(ノーベル賞作家)〜
福島第一原発事故を内側から検証報告した『ふくしま原発 作業員日誌〜イチエフの真実、9年間の記録〜』が届きました。
Posted by ノグチ(noguchi) at 13:51│Comments(0)
│東日本大震災
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