<いい学校は、規則がないこと>服装はその子の大事な個性の表現のひとつですから。〜ドイツの教育の考え方〜

2022年08月04日

服装はその子の大事な個性の表現のひとつですから。〜ドイツの教育の考え方〜

<いい学校は、規則がないこと>

久しぶりに、暉峻淑子著『豊かさの条件』を開くと、教育について書かれていた。

・ドイツのいい学校

 ドイツのいい学校をのぞいてみよう。小学校から大学まで月謝はタダ。一クラスの子どもの数は二〇人前後。ギムナジウムではもう少し多いところもあるが、中学からは生徒も親も職員会議に参加して、学校の規則やカリキュラムづくりに生徒達の意見がとりいれられている。子どもこそが教育の主人公なのだから、考えてみれば当たり前のことだ。
 私はあるとき、ドイツの先生に尋ねてみた。
「いい学校、とは、どんな学校をいうのでしょうか?」
先生は、こともなげにこたえた。
「規則のない学校でしょう」
 驚いてその意味を質すと、
「規則がなくても、子ども達が自分で納得して、自発的にゆるやかな秩序をつくりだし、学校生活が支障なく行なわれるのが一番いいと思いませんか。いろいろな規則がはじめからあると、考えない子どもができるでしょう。(中略)
・・、何を共通に守ればいいか。そういうことを学習し納得していくのが教育の場ですね。はじめから規則で管理され、罰則で従わされるのでは、自主的な判断は育たないし、罰のないところへ行けば思慮のない行動を無自覚にとるのではありませんか?」
「ピアスや服装に何も干渉しないのでしょうか?」
「え? それはどういう意味ですか?
学校は一人ひとりの個性におうじて、教育するところでしょう。子ども個性がはっきり分かるほうが、教育もしやすいと思いますよ。服装はその子の大事な個性の表現のひとつですから」
(以上、本より転載)

このページの書き出しに、

「楽しくない子ども時代は、国際社会で日本を代表する社会現象とみなされいるようだ」
〜ジュネーヴの子どもの権利委員会の指摘〜

暉峻淑子氏のドイツでの経験から書かれています。日本の教育現場とドイツとは大きく違うな、と思います。

>自発的にゆるやかな秩序をつくりだし、学校生活が支障なく行なわれるのが一番いいと思いませんか。

日本の教師に、この考え方は無いと思います。

日本の教育は、まだ戦前の思想教育の流れになっているのでは? 

戦後できた日本の教育基本法を参考に作られたフィンランドの教育基本法は、その精神を純粋に守り、個性を伸ばす教育実践がなされている。しかし、当の日本では、がんじがらめの規則で、子どもたちの自由はなく、自発的な言動による秩序づくりなど、有り得ない状況となっています。

今日のコメントが、みなさんの何かの参考になれば幸いです。

*参考資料:暉峻淑子著『豊かさの条件』(岩波新書、2003年)



Posted by ノグチ(noguchi) at 07:57│Comments(0)
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