<人生は晩年が大事>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。〜菜根譚〜

2022年01月31日

<人生は晩年が大事>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。〜菜根譚〜

昨日、毎日新聞web版で、タレントの酒井法子さんのインタビュー記事を読んだ。光輝いた時代から、覚醒剤取締法で逮捕され、その後の辛い日のこと、さらに復帰後の活動、そして独立に至る話しだった。読み終わって思い出したのが、『菜根譚』の訓示の解説だった。

"ことわざに「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。"

人間誰しも、よい時ばかりとは限らない。むしろ辛い時期の方が長いものだが、後半生というか、晩年にどんな生き方をしたか、が問われるとの意味である。

上記の訓示の訳文は、

(以下、『菜根譚』前集No.93)

人の真価がわかる時

【訳文】
 若いころは浮き名を流した歌い女(め)も、晩年に縁を得てよい夫にめぐり会い、いっしょに生活をしたならば、浮き名を流したそれまでの花やいだ生活も、いっこうにさまたげにならない。それに対し、貞操な婦人も、白髪学校目立ちはじめるような年になって操を守ることができないような生活をすると、それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。
 ことわざに「人の一生の評価をするには、ただ後の半生を見るだけでよい」といっている。ほんとうに名言である。
(以上、『菜根譚』No.93の訳文より)

この訓示は、女性の歌い手を例えにしてますが、どんな分野の話ではなくて、男であれ女であれ、若い時に華やいだ仕事で世の注目を浴びていても、晩年になってどんな生き方をしているかが大事という教えです。

明治の元勲の一人、木戸孝允こと桂小五郎の恋人だった芸者の幾松だが、後の木戸孝允と結婚し、明治の政界・社交界で大きな役割を果たすことになった。

木戸松子:木戸孝允(桂小五郎)の妻

若いころは、京都三本木(現、京都市上京区三本木通)の芸妓幾松(いくまつ)として知られる、幕末の維新三傑・桂小五郎(後の木戸孝允)の恋人。明治維新後、正妻となり「木戸松子」となる。(Wikipediaより)

歴史上の偉人だけの話ではない。田舎の小さな村にも、神童と言われながら、大人になり鳴かず飛ばずの人をよく見る。

あるいは、若いころ「時代の寵児」と言われた人が、10年も過ぎると居なくなる。よくある話です。

要は、後半生、とくに晩年にどんな生き方をしているか?

人生は、事件、事故も含めて、後々まで検証されるということだと思います。

>それまで清い生活をしてきた苦労もなんの意味も無くなってしまう。

人生は晩年が大事!

昨日の酒井法子さんのインタビュー記事から、改めて菜根譚の言葉を学びました。

今週からが、オミクロン株の感染拡大のピークではないかと見ているので、感染予防には特に注意を払い生活しなければと思っています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:33Comments(0)名言・スピーチ・訓示・他偉人私の意見