行政改革の達人「山田方谷」に学び、税の一体改革を

2012年04月20日

行政改革の達人「山田方谷」に学び、税の一体改革を

おはようございます。今日は、久々に建築事務所に居ます。
工事現場は、コンクリート打設工事で、事務所で控えています。

さて、昨日届いた民主党の広報誌に、参議院議員の姫井由美子氏が、幕末に活躍した備中松山藩の宰相、山田方谷のことを紹介していた。幕末の志士に大きな影響を与えた、斉藤一斎に師事し、江戸で儒家たちと意見交換して、備中松山藩に戻り、若い藩主の要請で、行財政改革に取り組みます。

備中松山藩に財政は、7万5千両であったが、実質は半分が借金で運営され、就任当初10万両の借金があった。現代のお金で600億円。山田方谷は、この赤字財政を8年間で解消し、10万両の蓄財もしてのけた。この手腕を買われ、維新政府から財政担当を要請されたが、高齢と言うことで断った。

山田方谷の財政改革は、①情報公開、②質素倹約、③殖産振興、④教育。徹底して行った。この改革を支持する庄屋グループのリーダーから、藩内の反対勢力から刺客が来たらいけないと、ピストルを持たせるほどの厳しさがあった。もちろん、率先垂範の大改革でした。

姫井氏は、山田方谷の精神を「至誠惻怛 (しせいそくだつ)」を紹介している。意味は、まごころ(至誠)と、いたみ悲しむ心(惻怛)があれば、 やさしく(仁)なれます。そして、目上にはまことを尽くし、目下にはいつくしみをもって 接するのです。

山田方谷は、「政(まつりごと)で大切なことは民を慈しみ、育てることでる。それは大きな力となる。厳しい節約や倹約だけでは、民は委縮してしまう」。方谷は、目先のことにとらわれすあるべき目指す姿を明らかにし改革を進めました。

今回の社会保障の一体改革が、将来を見据えて考えに考え抜かれたものであってほしいと思います。


明治維新後、山田方谷は岡山藩の庶民学校「閑谷学校」(岡山県備前市)の最後の校長を務めます。閑谷学校は、岡山藩主の池田光政公が庶民にために作った学校で、この学校創設を指導した熊沢蕃山でした。幕末、熊沢蕃山を敬慕した横井小楠も、閑谷学校を訪れています。
私も、4年前に閑谷学校を訪ね、総ケヤキ造りの講堂は、300年をゆうに越えた今も素晴らしいものでした。国宝にもなっています。

山田方谷は、死の直前まで、全国から集まった青年たちに教鞭をとりました。学校へ向かう、駅からの道道に碑があり、親たちに思いが綴られた句があります。一度、訪れてみてください。


同じカテゴリー(政治問題(国))の記事画像
★『世界で最も貧しい大統領=ウルグアイ元大統領 ホセ・ムヒカ』の言葉
<第二次世界大戦の検証>一度は行きたかった「大刀洗平和記念館」に行ってきました。
<5類にランク下げ決定>3年3ヶ月、コロナ禍もいよいよインフルエンザ並みに変わることになりそう。
<郡築争議100年>田中正造研究会(熊本市)の塾生仲間の内田敬介氏の素晴らしい提言に読み入りました。
数字の慣れとはこわいものです。〜新型コロナウィルス感染〜
水俣病不知火患者会訴訟。被告側が、医師を反対尋問したとの記事から、〜年代と地域の線引きに矛盾〜
同じカテゴリー(政治問題(国))の記事
 ★『世界で最も貧しい大統領=ウルグアイ元大統領 ホセ・ムヒカ』の言葉 (2025-05-16 20:00)
 <第二次世界大戦の検証>一度は行きたかった「大刀洗平和記念館」に行ってきました。 (2024-02-24 19:00)
 <社会の転機は4代目?>て開いた本『歴史と人生』(半藤一利著)に、軍事や憲法9条に係る文が (2023-05-09 08:04)
 <5類にランク下げ決定>3年3ヶ月、コロナ禍もいよいよインフルエンザ並みに変わることになりそう。 (2023-04-28 08:06)
 <郡築争議100年>田中正造研究会(熊本市)の塾生仲間の内田敬介氏の素晴らしい提言に読み入りました。 (2023-04-24 05:57)
 国家意識を現すユーモアとは?〜江沢民(中国・元国家主席)のハワイでのスピーチ〜 (2023-03-29 06:37)

Posted by ノグチ(noguchi) at 11:21│Comments(0)政治問題(国)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。