<社会の転機は4代目?>て開いた本『歴史と人生』(半藤一利著)に、軍事や憲法9条に係る文が

2023年05月09日

<社会の転機は4代目?>朝ウォーキングを終えて、またベッドに横になって開いた本『歴史と人生』(半藤一利著)に、軍事や憲法9条に係る文がありました。

(以下、本より)

 憲法9条というハードル

 まだまだ、じいさん、ばあさんが生きている限り飛び越せないのですよ。年寄りは戦争体験を経て、戦後に感じたものすごく明るいものをまだ持ち続けていますよ。生身で戦争体験をもつじいさん、ばあさんが生きている間は、なかなか9条はなくならないですよ。なるほど、いまやその御簱(みはた)はぼろぼろになりかけていますが、旗ざおだけは放さない人がいっぱいいます。でもねえ、これが全部死に絶えたら・・・、あっという間かもしれない。

(以上、『いま戦争と平和を語る』より転載)

たとえは違いますが、私の東日本大震災での体験談です。

12年前、東日本大震災後の4月5〜8日に、福島県宮城県岩手県の沿岸被災地へ災害ボランティアに出向いた時、地元の人から聞いた話です。

約200年ほど前にも大きな津波が来て、たくさんの人や家が流された。その時の経験から、「この線(津波到達点)から下に家を建ててはいけない」な、言い伝えがあった。しかし、2代目、3代目までは、どうにか言い伝えが伝わっていたが、4代目ころから線より海寄りに家を建てるようになり、5代目、6代目になると、海岸に家を建てるようになった。しかし、今回の大津波は、言い伝えの"この線から下に家を建てるな"のところまで津波が来て、みんな流された、と話してくれました。

体験者の話が聞けるのは、長くて孫、ひ孫まで、100年を過ぎるころには、言い伝え(体験談)は、聞かなく(効かなく)なることを知りました。

父母は、太平洋戦争の体験者、私は2代目、子どもが3代目。半藤一利氏の言われる戦争体験者がこの世からいなくなった後、4代目たちの変化が気がかりになりました。


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