原発から22km 段ボールで寝る作業員のために民宿再開決意

2011年04月26日

(最前線の宿)原発から22km 段ボールで寝る作業員のために民宿再開決意


■原発から22km 段ボールで寝る作業員のために民宿再開決意
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1581988&media_id=125

>福島第一原発から約22km。ゴーストタウンと化した街並みの続く福島県双葉郡にあって、原発作業員の“心の拠り所”となっているのが「民宿ひろの」である。

>駐車場には10数台の車が集まっていた。青森、広島など日本各地のナンバーが記され、作業着の男たちが降りては宿に消えていく。

>ここを経営するのは60代のオーナー夫妻のほか、家族と数人の従業員である。自主避難地域にもかかわらず、3月末から原発作業員の宿泊施設として宿を開いている。

>オーナーの女将はいう。

>「そりゃ私も最初は避難しましたよ。でも地元の方に『復旧作業に当たる作業員が、段ボールの上に寝ている状態だ』と聞かされてね。今、頑張っている人を応援しないといけない、と決心しました。それに、うちはもともと東電のおかげで賑わってきましたから」

>再開するとはいえ従業員も足りず、食料の調達にも限りがある。十分なサービスが提供できない。水道も止まっていた。救いは先代が掘った井戸があるので、風呂を沸かせることだった。

>宿に泊まる作業員たちは、「おおッ、ここは水が出る。お風呂は天国だなァ」と口々に喜んだ。その顔を見て女将は戻ってきてよかったと思ったという。

>※週刊ポスト2011年5月6日・13日号


最前線で、がんばっている作業員、捜索員の方々、非常な環境の中で賢明に作業をしている姿に頭がさがります。いろいろな方々は、原発の収束にがんばっていることこを知り、今日はこの記事を紹介します。

素晴らしい決意と行動と思います。
全国の方々が、作業員のがんばりを応援しているはずです。
女将さんの決断に感謝を申し上げたくなりました。
ありがとうございます。




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Posted by ノグチ(noguchi) at 01:42│Comments(0)東日本大震災
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