「人生の本舞台は将来に有り」(尾崎咢堂)

2009年10月28日

「人生の本舞台は将来に有り」(尾崎咢堂)

「憲政の神様」尾崎行雄(咢堂)記念館訪問~永田町~

 いつか訪れたいと思ってういた尾崎行雄記念館、23日午前中に国立国会図書館の訪問と、霞ヶ関・永田町界隈の散歩を兼ねて、見学してきました。

 尾崎咢堂こと、尾崎行雄氏は、25回当選を果たし、東京市長も勤めた政治家で、その理念の高さ、弁舌の上手さはぴか一だったと聞きました。戦前は、反戦活動も行い、全国遊説を行いました。
 尾崎咢堂の名言「人生の本舞台は将来にあり」(75歳の時の言葉)は、私の人生の指針とする座右の銘です。

(以下、略歴紹介)
 尾崎行雄は、1882年(明治15年)立憲改進党の創立に参加、1890年第1回総選挙で三重県選挙区より出馬し当選、以後63年間に及ぶ連続25回当選という記録をつくる。
1903年から1912年まで東京市長、1914年の憲政擁護運動では立憲政友会を代表して質問を行い、桂太郎首相を糾弾する演説を行って大正政変のきっかけとなった。

 当初はポピュリズム化を危惧して普通選挙の早期施行には消極的であったが、大正デモクラシーの進展とともに普通選挙運動に参加。同時に、次第に活発化していた婦人参政権運動を支持し、新婦人協会による治安警察法改正運動などを支援した。
 また軍縮推進運動、治安維持法反対運動など一貫して軍国化に抵抗する姿勢を示したが、政界では次第に孤立していった。

東京市長のときアメリカに三千本の桜を送る。

相模原市津久井町と伊勢市に、それぞれ尾崎咢堂記念館がある。伊勢神宮に隣接する合格神社に神として祀られている。
  (上記、「尾崎行雄記念館」ホームページより)

■尾崎行雄(咢堂)記念財団ホームページ
 http://www.ozakiyukio.or.jp/gakudo/index.html

私が詳しく書くより、「尾崎行雄」で検索し、勉強していただければ幸いです。

 名言をもう一つ、

「憲政の為としあらハ 此堂を枕となして 討ち死にもよし」

 政治家の本分と言える志と思います。尾崎行雄の理念が、ホームページに紹介されていますが、現代の政治家に爪の垢で煎じて飲ませたくなります。
 平和を願い、主権在民の憲法を擁護し、政策は民を豊かにし、国家を繁栄させることを願い、東奔西走した一生と思います。55年前に亡くなった偉人ですが、いまでもその輝きは衰えていないと思います。

「人生の本舞台は将来に有り」

日々、心で唱えながら、自省し、不足を補う努力をしたいと思います。
みなさんに、尾崎行雄という政治家が居たことを知って頂ければ幸いです。

<コミュ>「尾崎 行雄」
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2255292
名言、訓示当を、トピックで紹介しています。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 18:34│Comments(0)政治問題(国)
 
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