死中、苦中、忙中、活路を見出すのは自分
2009年07月08日
死中、苦中、忙中、活路を見出すのは自分
久々に安岡正篤氏の著書「人生と陽明学」を読んでいます。この本は、初めて読むのですが、以前に読んだ「人間学のすすめ」では、゛斡旋の才゛なる言葉に出会った。今回は、安岡先生の人生と陽明学がテーマになっている。衿を正して読みたい気分を、本を毎回開く度に緊張する。
中江藤樹からつならなる系譜の先人が、説き続けてきた理念は、佐藤一斎であり、山田方谷、春日潜庵、横井小楠らに受け継がれ、その思想は幕末の志士たちの心血を揺り動かし、国家存亡の戦いに向わせた。吉田松陰、西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬らが、獅子奮迅を活躍をしたことは、歴史の事実です。
かれらの快刀乱麻のごとき、動き早さ支えた体力は、どこで培われたのでしょうか。確かに、剣術の達人たちではありますが、歩くことしかいなかった時代、信じられないようなことを、当時の人たちは成しえたと思います。この体力について、昭和の陽明学者、安岡正篤氏の人生観から出た言葉を紹介します。
体力・生命力について書かれた、「人生と陽明学」の一節を紹介します。
(本文より)
われわれの真の健康・体力・生命力というものは、単なる体格だとか、身長だとかいうものとはまるで違う。十分に考慮せられた栄養を摂取し、十分なる睡眠をとり、規則正しい生活をして、そうして予定に従って訓練を受ける、というような近代スポーツマン的な体格や、或いは科学的に育てられた。均斉のとれた肉体などというものは、これは決して当てになるものではない。
真の体力・健康というものはもっと矛盾に富んだ、もっと苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、その他いろいろの不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものでなくてはならない。
そういう意味から言うならば、文明の智恵と技術の下につくり上げられた体力・生命力というものは弱いものである。(中略)
(以上、「人生と陽明学」より抜粋)
すまじい人生観と思います。安岡氏は、よく「六中観」をつかい人の生業について教示していますが、「死中に活あり、苦中に楽あり、忙中に閑あり、・・・」、艱難辛苦を味わった生命力。瀕死にせまる危機を切り抜けた体力。苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものとあります。
王陽明の教示に、「事上磨練」がありますが、環境の整った中で作れた体力・健康を持つ人が、人生の戦いで苦境に落ち、自ら命を落とす人が後を絶たない。私の師の一人が、
「これからは頭の良いひとではなくて、頭の強い人が必要」と語っていました。」
この頭の強い人とは、何事にも諦めない力を備えた人物を指しています。
死中に活あり、死中にあっても活路を見出そうという意志を持つ。
苦中に楽あり、苦しい時だからこそ、寸暇を見つけ人生を楽しむ確信を持つゆとり。
忙中に閑あり、忙しいときでも、タバコタイムは確保する。まだ気風が必要と思う。
自分の心が何事も決めている。困ったとき、諦めない心こそ、死中に活路を開く体力であり、生命力と思います。
*参考資料:安岡正篤著「人生と陽明学」
久々に安岡正篤氏の著書「人生と陽明学」を読んでいます。この本は、初めて読むのですが、以前に読んだ「人間学のすすめ」では、゛斡旋の才゛なる言葉に出会った。今回は、安岡先生の人生と陽明学がテーマになっている。衿を正して読みたい気分を、本を毎回開く度に緊張する。
中江藤樹からつならなる系譜の先人が、説き続けてきた理念は、佐藤一斎であり、山田方谷、春日潜庵、横井小楠らに受け継がれ、その思想は幕末の志士たちの心血を揺り動かし、国家存亡の戦いに向わせた。吉田松陰、西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬らが、獅子奮迅を活躍をしたことは、歴史の事実です。
かれらの快刀乱麻のごとき、動き早さ支えた体力は、どこで培われたのでしょうか。確かに、剣術の達人たちではありますが、歩くことしかいなかった時代、信じられないようなことを、当時の人たちは成しえたと思います。この体力について、昭和の陽明学者、安岡正篤氏の人生観から出た言葉を紹介します。
体力・生命力について書かれた、「人生と陽明学」の一節を紹介します。
(本文より)
われわれの真の健康・体力・生命力というものは、単なる体格だとか、身長だとかいうものとはまるで違う。十分に考慮せられた栄養を摂取し、十分なる睡眠をとり、規則正しい生活をして、そうして予定に従って訓練を受ける、というような近代スポーツマン的な体格や、或いは科学的に育てられた。均斉のとれた肉体などというものは、これは決して当てになるものではない。
真の体力・健康というものはもっと矛盾に富んだ、もっと苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、その他いろいろの不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものでなくてはならない。
そういう意味から言うならば、文明の智恵と技術の下につくり上げられた体力・生命力というものは弱いものである。(中略)
(以上、「人生と陽明学」より抜粋)
すまじい人生観と思います。安岡氏は、よく「六中観」をつかい人の生業について教示していますが、「死中に活あり、苦中に楽あり、忙中に閑あり、・・・」、艱難辛苦を味わった生命力。瀕死にせまる危機を切り抜けた体力。苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、不自由やら迫害と闘って、自然に鍛え上げるものとあります。
王陽明の教示に、「事上磨練」がありますが、環境の整った中で作れた体力・健康を持つ人が、人生の戦いで苦境に落ち、自ら命を落とす人が後を絶たない。私の師の一人が、
「これからは頭の良いひとではなくて、頭の強い人が必要」と語っていました。」
この頭の強い人とは、何事にも諦めない力を備えた人物を指しています。
死中に活あり、死中にあっても活路を見出そうという意志を持つ。
苦中に楽あり、苦しい時だからこそ、寸暇を見つけ人生を楽しむ確信を持つゆとり。
忙中に閑あり、忙しいときでも、タバコタイムは確保する。まだ気風が必要と思う。
自分の心が何事も決めている。困ったとき、諦めない心こそ、死中に活路を開く体力であり、生命力と思います。
*参考資料:安岡正篤著「人生と陽明学」
★『世界で最も貧しい大統領=ウルグアイ元大統領 ホセ・ムヒカ』の言葉
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 07:58│Comments(0)
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