<良き出会いを!>改革は勇者無しには実現できない。〜有興の士・西郷隆盛〜
2021年05月05日
<良き出会いを!>改革は勇者無しには実現できない。〜有興の士・西郷隆盛〜
(長文です。お時間ある時お読みください。)
夜中の雨音で目が覚めて、開いた本『将の器 参謀の器〜あなたはどちらの"才能"を持っているか〜』(童門冬二著)に、西郷吉之助が感動した郡奉行所の先輩武士の歌がありました。
虫よ虫よ 五ふし草の 根を絶つな 絶たば共に 己も枯れなん
正義感の強い老先輩が、悪徳役人を揶揄して読んだ歌だった。
虫は、賄賂を求める役人
五ふし草は、稲穂のこと
要は、稲穂=農民を苦しめ続けて、農民がいなくなったら、役人も生きてゆけない、の歌だった。
幕末の前期に活躍する薩摩藩主の島津斉彬公に指導を受けた西郷吉之助(後の隆盛)だが、はじめの西郷は、正義感ばかり強いトゲのある若者だった。斉彬公が藩主になって間もない時、意見書を提出する。内容は、郡奉行所の改革だった。ところが、斉彬公は、早々に返事をしない。それに怒った西郷は、郡奉行の壁に冒頭の歌を貼る。
江戸期の諸藩の末端の小役人は、目先の生活にしか目がなかった。
斉彬公は、西郷に、「目先の改革では薩摩藩は変わらない。日本の南端の藩の意識"井の中の蛙"を変えなければならない。そのためには世界の情勢を知ること、日本のために働く若者たち、武士にしなければ、改革はない」と、西郷を諭したという。
島津斉彬公は、道半ばで命が尽きたが、その意志を受け継ぎ、明治維新を成し遂げた西郷隆盛は、島津斉彬公との出会いが人生を変えたとも言えます。
『将の器 参謀の器』の末尾の文が以下です。
(以下、転載)
西郷吉之助が西郷隆盛となり、偉大な政治家に成長していく過程には、なんといっても島津斉彬という巨大な存在があった。斉彬は西郷にとって、単なる主人であったわけでない。
「偉大なる師」
であり、
「偉大なる指導者」
であったのである。その後何度か苦しい目に遭ったとしても、斉彬に出会ったことは西郷にとって、もっとも幸福な事件であったに間違いない。そうなると、やはり人間にとって大事なのは、
「出会い」
であり、その出会った人間に対してどういう印象を持ち、その人物から何を学ぶかによって左右される。西郷隆盛は、島津斉彬がやろうとしていたことを、下級役人の身から興して、それを明治維新に結実させたのである。
(以上、本より)
引用文が長くなりましたが、島津斉彬公と西郷隆盛との出会いが、見方を変えれば"日本を変えた"とも言えます。
何事も出会いですが、その本人の意識(志)にどんな目的、目標があるかで、受け取る(出会う)相手の心の琴線に触れるか!にあるのだと思います。
冒頭の歌は、賄賂ばかり考える地方の小役人を揶揄した歌ですが、その歌を、臆することなく役所の壁に貼れる勇気を持っていた西郷吉之助(後の隆盛)はすごい!と思います。
今、世はコロナ禍、先の見えない社会情勢ですが、この苦しい中でも生き延びてゆくことが大事です。特に若者は、苦しい時こそチャンスがある、世の中ニーズを掘り起こし、ピンチをチャンスに変える前向きな生き方をしたほしいと願っています。
現代の西郷吉之助が、各地から出てくることを期待しています。
Boys be ambitious(ボーイズ・ビー・アンビシャス). 日本語で「少年よ、大志を抱け」〜クラーク博士〜
そして、人生は出会い。
出会いは、動かないと始まらない。
コロナ禍ですが、悶々と悩むより、夢(志)を持ち動いてみると、出会いがあるものです。良き出会いを!
(長文です。お時間ある時お読みください。)
夜中の雨音で目が覚めて、開いた本『将の器 参謀の器〜あなたはどちらの"才能"を持っているか〜』(童門冬二著)に、西郷吉之助が感動した郡奉行所の先輩武士の歌がありました。
虫よ虫よ 五ふし草の 根を絶つな 絶たば共に 己も枯れなん
正義感の強い老先輩が、悪徳役人を揶揄して読んだ歌だった。
虫は、賄賂を求める役人
五ふし草は、稲穂のこと
要は、稲穂=農民を苦しめ続けて、農民がいなくなったら、役人も生きてゆけない、の歌だった。
幕末の前期に活躍する薩摩藩主の島津斉彬公に指導を受けた西郷吉之助(後の隆盛)だが、はじめの西郷は、正義感ばかり強いトゲのある若者だった。斉彬公が藩主になって間もない時、意見書を提出する。内容は、郡奉行所の改革だった。ところが、斉彬公は、早々に返事をしない。それに怒った西郷は、郡奉行の壁に冒頭の歌を貼る。
江戸期の諸藩の末端の小役人は、目先の生活にしか目がなかった。
斉彬公は、西郷に、「目先の改革では薩摩藩は変わらない。日本の南端の藩の意識"井の中の蛙"を変えなければならない。そのためには世界の情勢を知ること、日本のために働く若者たち、武士にしなければ、改革はない」と、西郷を諭したという。
島津斉彬公は、道半ばで命が尽きたが、その意志を受け継ぎ、明治維新を成し遂げた西郷隆盛は、島津斉彬公との出会いが人生を変えたとも言えます。
『将の器 参謀の器』の末尾の文が以下です。
(以下、転載)
西郷吉之助が西郷隆盛となり、偉大な政治家に成長していく過程には、なんといっても島津斉彬という巨大な存在があった。斉彬は西郷にとって、単なる主人であったわけでない。
「偉大なる師」
であり、
「偉大なる指導者」
であったのである。その後何度か苦しい目に遭ったとしても、斉彬に出会ったことは西郷にとって、もっとも幸福な事件であったに間違いない。そうなると、やはり人間にとって大事なのは、
「出会い」
であり、その出会った人間に対してどういう印象を持ち、その人物から何を学ぶかによって左右される。西郷隆盛は、島津斉彬がやろうとしていたことを、下級役人の身から興して、それを明治維新に結実させたのである。
(以上、本より)
引用文が長くなりましたが、島津斉彬公と西郷隆盛との出会いが、見方を変えれば"日本を変えた"とも言えます。
何事も出会いですが、その本人の意識(志)にどんな目的、目標があるかで、受け取る(出会う)相手の心の琴線に触れるか!にあるのだと思います。
冒頭の歌は、賄賂ばかり考える地方の小役人を揶揄した歌ですが、その歌を、臆することなく役所の壁に貼れる勇気を持っていた西郷吉之助(後の隆盛)はすごい!と思います。
今、世はコロナ禍、先の見えない社会情勢ですが、この苦しい中でも生き延びてゆくことが大事です。特に若者は、苦しい時こそチャンスがある、世の中ニーズを掘り起こし、ピンチをチャンスに変える前向きな生き方をしたほしいと願っています。
現代の西郷吉之助が、各地から出てくることを期待しています。
Boys be ambitious(ボーイズ・ビー・アンビシャス). 日本語で「少年よ、大志を抱け」〜クラーク博士〜
そして、人生は出会い。
出会いは、動かないと始まらない。
コロナ禍ですが、悶々と悩むより、夢(志)を持ち動いてみると、出会いがあるものです。良き出会いを!
★『世界で最も貧しい大統領=ウルグアイ元大統領 ホセ・ムヒカ』の言葉
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
<遊び上手>飽かないから遊びなのであって、飽くのは単なるヒマ(暇)つぶしである。〜田辺聖子著『ダンスと空想』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
<消費税3%→5%直前の激務>乗り越えれない試練を天は与えない。
<前途多難、日々新たに>算数(計算)通りにならない人生。〜曽野綾子著『中年以後』〜
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