<不登校とは?>子どもに教育への暴力的強制は効果がない。〜暉峻淑子〜

2022年06月04日

<不登校とは?>教育は学ぼうとする自発性があってはじめて成り立つのだから、子どもに教育への暴力的強制は効果がない。〜暉峻淑子(てるおか いつこ)〜

(少々長文です。お時間ある時お読みください。)

暉峻淑子著『豊かさの条件』なる本に、「増えつづける不登校」のテーマで、書かれた文があります。

この本の初版は2003年5月で、もう20年前の著書です。

(以下、本より)
文科者の発表によると、2001年度の不登校の子どもは13万8722人、10年前に比べて2.1倍。いまもその数は増えつづている。義務と考えられていた学校教育が、病気や貧困によってではなく、子ども自身によって拒否されているのだ。
(以上、『豊かさの条件』より)

文科者の調査で、2021年の不登校の児童生徒数は、19万6127人との発表があっている。20年で、6万人増えている。

果たして、これは不登校といえる数だろうか?

先日、フリースクールを視察研修に出向いた。子どもたちは、活き活きと学び合っていた様子から、今の学校の在り方に問題あるのでは、と考えてしまう。

この本に、大学検定で大学に入った学生が語ったことは、

「教育委員会や学校は、「生徒指導」という名目でさえあれば、一方的にどんなことをしてもいいと思っている。・・・学校は就職のためには必要かもしれないけど、生きる意味を見えなくするところだ」

もう一人の学生は、

「授業がつまらない。国語のテストで、文の一部に傍線ひいて、傍線の部分で作者は何を言っているか、なんて問題がある。いろいろに解釈できるのに、正解はひとつ。違う解釈をすると点がもらえない。点数競争の中では、けっきょく出題者の気にいるように答えるという技術と処理能力をつけるだけ。深く考えるだけ損になる」

私も学生のころ、考え方はいろいろ有るし、感じることもそれぞれに違うのに、しかし答えがひとつ有る。すると、答えを感覚的に合わせる工夫をするようになる。

学びではなく、記憶することになっているのでは?

この文の末尾に、以下のことが書かれている。

(以下、本より)

「ほかのお子さんはちゃんと通学してます」と言われると親は力ずくで学校につれていく。しかし子どもにとって学校は生きるか死ぬかの大問題なので、全身で抵抗する。教育は学ぼうとする自発性があってはじめて成り立つのだから、子どもに教育への暴力的強制は効果がない。
(以上、『豊かさの条件』より)

実は、私は小学校から高校まで無欠席で通学しました。(一日だけ、風疹を患い早退した)当時は、毎日学校に行くことが義務だったように、親にしつけられたのだろう。父母は、戦時下で青春を過ごした世代、学校自体有って無いようなものでした。

昭和が終わり、平成、令和と変わる中、学校の役割が変わってきていると感じます。多くの子どもは、変わらずに学校へ通っています。だから、学校に来ない子どもは、不登校と言われる。

>教育は学ぼうとする自発性があってはじめて成り立つのだから、子どもに教育への暴力的強制は効果がない。

子どもの興味を尊重して、学びたい自発性を子ども自身が追求できる環境を整えることこそが、本来の教育なのではと思います。

私は、多様な学びの場が増え、子どもの居場所を子ども自ら選択できるようになれば、不登校という言葉も無くなるのでは、と思っています。

朝から、長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:09│Comments(0)教育問題未来社会私の意見
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