ある老人の生き方から学ぶ、教育が果す役割と、若い頃から尊敬する人を持つ大事さ。〜太田さんの生涯より〜

2021年11月22日

ある老人の生き方から学ぶ、教育が果す役割と、若い頃から尊敬する人を持つ大事さ。〜太田さんの生涯より〜

(長文です。お時間あるとき、お読みください。)

今朝は、外の雨音で目が覚めた。さらに雨音が強くなってきました。今年の秋は、雨が少なく、農家の方が「雨ほしいね」と良く耳にしていた。今日の雨は、恵みの雨になるように思ます。

最近、高校の先輩の元教職と奥さんが、退職後、小学生の登下校の見守り活動をされていることを知りました。

考えが近い人が、身近にもいるのか、と知ります。目立たなくても、地域活動や、支援活動をやっている人がいると、嬉しくなります。

そんなことを考えている時、また、暉峻淑子さんの著書『豊かさの条件』に登場する太田さんを思い出した。

(以下、『豊かさの条件』より抜粋)

著書の暉峻淑子さんがセルビア難民支援をしている時、老人ホームにいる90歳の老人からいきなり100万円が送られてきた。受け取っていいか迷って、本人を探して訪ねた。その老人は太田春司さんで、暉峻さんは生前2度訪ねている。

太田さんは、1907年栃木県の貧しい農家の6人兄弟の末っ子として生まれた。小学校を出たら丁稚奉公に出るのが当然と思っていた。ところが、小学校の校長が、佐野銀行(現足利銀行)に太田さんを給仕で雇うよう懇願する。その働きぶりを見た頭取の息子の勧めで、学資を出してもらい中学に進学、さらに何人かの支援があり、旧制浦和高校、京都大学に進学した。

太田さんは、京都大学卒業後、やがて兵役にとられ、中国に出兵、工兵隊の小隊長となった。夜中に鉄道を爆破されては修理するのが役割りだった。「夜になると中国人の村にいって、中国語を習い、友人になった」と語り嬉しそうにな笑った。

太田さんは、部下の給料が自分の八分の一しかないことと、働き手を兵隊に取られ、家が貧困に喘いでいると知り、自分の給与を貧困な部下の家庭に届けるように妻の美代子さんに頼む。美代子さんは、自分の教師としての給与を足して、幾人かの部下の家に毎月お金を届けた。

太田さん夫婦は恩給と年金で質素な暮らしをしていたが、住居を整理して、苦学生の学資に5400万円の基金を美代子さんの母校の津田塾に寄附した。栃木の自宅もセミナー合宿用に寄附した。

太田さんは美代子さんが亡くなった後、老人ホームでつつましい生活を続け、唯一の楽しみが本で、ラテン語、英語、中国語の本が並び、びっしりと書き込まれたノートが何冊もあった。

ほとんど外出しない太田さんが、ただ一度老人ホームの施設長の車で、実家に近い田中正造記念館に行った。田中正造は太田さんが生涯、尊敬していた人だった。

太田さんは、死の前に、すべての貯金も、本もノートも津田塾に寄附し、献体の手続きをすませ、手元に残したのは聖書一冊だけ、1999年3月に静かに息を引き取られた。
(以上、『豊かさの条件』より抜粋)

こんな生き方をした、戦前生まれの人がいたことを、本から知ります。人の一生、それぞれの選択によります。太田春司さんの生き方が、良いとか悪いとかではなくて、こんな夫婦がいる日本は素晴らしいと思います。

やはり、教育が果す役割と、若い頃から尊敬する人を持つことは大事と思いました。

最後までお読みいただきありがとうございます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:22Comments(0)哲学、人生健康生きがい市民活動