(心養塾)「四知」、「暮夜無知」の教え。心を育てるとは、
2009年08月09日
(心養塾)「四知」、「暮夜無知」の教え。心を育てるとは、
昨日は、偶数月の第二土曜日で、まだ準備中ですが、学び語り合う場「心養塾」の開催予定です。昨日は、「酒井法子事件」と、「四知」の教えを題材の、幾つかの資料を読み、その中で、昭和の儒家であります、陽明学者の安岡正篤先生の著書「呻吟語を読む」から、一文を紹介します。
*呻吟語:明末の儒家・呂新吾の著した人間鍛錬の書
「四知」の教え
後漢末、地方長官から宰相になった楊震(ようしん)は、博学にして清廉、本当に誠実・真実に徹した人であった。その楊震が地方長官をしていた時、自分の支配地を巡察していた時、かつて目をかけてやったことのある王密という者が夜分密かに訪ねて来て金十斤を遣(おく)ろうとした。今流行の賄賂をおくろうとしました。楊震はそれをみて「私は昔から君を知っておるつもりだが、君にはその私がどうしてわからないのか」言ってきっぱりとこれを拒否した。
ところが王密というのはよほど感の悪い男とみえて「いや、夜のことで誰も見ておりませんからご心配いりません」という。そこで楊震はこういって誡めた、「天知る、地知る、我知る、子知る何をか知るものなしといわん」と。これにはさずがの王密も愧(は)じて室を出ていったという。これを楊震の「四知」といい、「暮夜無知」の語と共に中国歴史上に名高い故事となって居る訳です。
「暮夜無知」
楊震の教示の一つです。漢詩を現代語に安岡正篤先生が訳されているのを転載します。
(本文)
暮夜無知の四字は、百悪の総根なり。人の罪は欺(あざ)くより大なるはなし。欺く者は其の、無知を利するなり。大姦大盗(たいかんだいとう)は皆無知の心によりて之を充たす。天下の大悪只二種あり。無知を欺くと、有知を畏(おそ)れざるとなり。無知を欺くは還(すべ)て是れ忌憚(きたん)の心あり。此れ誠偽(せいぎ)の関。有知を畏(おそ)れざるは是で箇の忌憚の心も無きなり。此れ死生の関。猶(なお)畏るる有るを知るは良心尚未だ死せざればなり。
なかなか、わかりづらい文章ですが、現代語訳すると、
(現代語訳)
その「暮夜無知」の語は僅か四文字に過ぎないけれども、これは人を欺くことであるから百悪の総合的な根である。人の罪は欺くより大なるものはない。欺くということはうそ・いつわりでその知る無きを利するのである、これに乗じるのである。大姦大盗はみなその知る無きを利する心によっていろいろ悪事を拡充していく。天下の大悪も分ければ二種類あるだけである。知る無きを欺くと知る有るを畏れざることである。(中略)
「無知を欺く‥‥‥」、知る無きを欺くというのはまだどこかに忌(い)み憚(はばか)る心、何ものかを畏れつつしむという良心的な反応の心である。この内心のびくびくするという忌憚の心が誠と偽との分かれる関門である。ところが知る有るを畏れないというのは、これはもう忌憚の心もない。
人間にとって最も大事なものは敬恥の心でありまして、その敬恥の心が悪い方に働くと忌憚の心になる。従って忌憚の心を失ってしまったら、これはもう「此れ死生の関」でありまして、正に死の道である。まだ人に知られては困るという間は良心が死に切っておらぬからである。
最近、日本でもLSDやマリファナ等の麻薬中毒者が激増しておりますが、それらの中でも一番怖いのはLSDです。マリファナはまだ植物から採るのですがから自然のものですが、LSDの方は製薬工場でできる全くの人工品でありまして、この毒害は量り知れないものがある。
従ってこういうものを常用しておると、それこそ忌憚の心という人間の最低の良心まで麻痺させてしまうことは必定です。ところがそれを飲んでサイケデリックといった幻覚の世界に陶酔して絵を描き小説を書いてそれによって金儲けをするという。こういう罪悪は人類の歴史上未だかつてない現代特有の最低の罪悪というべきでしょうね。(中略)
(以上、安岡正篤著「呻吟語を読む」より)
この本は、安岡先生がお元気なころ「呻吟語」を解説された講義録ですが、ここ数日のタレントの酒井法子容疑者の生き様が、テレビ・新聞等で流れる中で思い出し、「心養塾」の考えるテーマにしました。
自分の良心、或いは良識、という自分の「正しい心」の声を打ち消し、ただ享楽を楽しむことを誡めた教えが、2000年近い以前に説かれていたことを知り、いかに人間という「我欲」の横暴さが、歴史文化を積み重ねても変わらず在ること。
それは、人間は連続性の生命体ですが、一人の人間としては、生れてから培われていく心身の成長しか「人間力・人間性」を作ることはできません。一人ひとりの、心がけしか方法が無いと言えるかもしれません。
孔子の教えは、2,500年前のものです。ただやみくもに、自分の欲する目標を実現するには、手段は色々あると思います。しかし、自分の持つ「良心」からのメッセージに耳を傾けず、我欲、快楽を求めることは、何時か自分を破滅に至らせると思います。
昨日は、今回の芸能界の麻薬騒動について考え、自分の心と向き合うとは何かを、楊震の教え、「暮夜無知」と「四知」について、安岡正篤先生の著書を参考にまとめてみました。もし、興味ある方は、次回10月の「心養塾」にご参加いただけば幸いです。
「心養塾」*詳しくは、下記の紹介ページをお読み下さい。
・「心養塾」~語り学び合う場~
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4274681
*参考資料:安岡正篤著「呻吟語を読む」
<関連コミュ>
・呻吟語(しんぎんご)を読む
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4274681 (ミクシィ)
http://www.otemo-yan.net/admin/blog_menu.php(おてもやん)
・論語の言葉
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660
昨日は、偶数月の第二土曜日で、まだ準備中ですが、学び語り合う場「心養塾」の開催予定です。昨日は、「酒井法子事件」と、「四知」の教えを題材の、幾つかの資料を読み、その中で、昭和の儒家であります、陽明学者の安岡正篤先生の著書「呻吟語を読む」から、一文を紹介します。
*呻吟語:明末の儒家・呂新吾の著した人間鍛錬の書
「四知」の教え
後漢末、地方長官から宰相になった楊震(ようしん)は、博学にして清廉、本当に誠実・真実に徹した人であった。その楊震が地方長官をしていた時、自分の支配地を巡察していた時、かつて目をかけてやったことのある王密という者が夜分密かに訪ねて来て金十斤を遣(おく)ろうとした。今流行の賄賂をおくろうとしました。楊震はそれをみて「私は昔から君を知っておるつもりだが、君にはその私がどうしてわからないのか」言ってきっぱりとこれを拒否した。
ところが王密というのはよほど感の悪い男とみえて「いや、夜のことで誰も見ておりませんからご心配いりません」という。そこで楊震はこういって誡めた、「天知る、地知る、我知る、子知る何をか知るものなしといわん」と。これにはさずがの王密も愧(は)じて室を出ていったという。これを楊震の「四知」といい、「暮夜無知」の語と共に中国歴史上に名高い故事となって居る訳です。
「暮夜無知」
楊震の教示の一つです。漢詩を現代語に安岡正篤先生が訳されているのを転載します。
(本文)
暮夜無知の四字は、百悪の総根なり。人の罪は欺(あざ)くより大なるはなし。欺く者は其の、無知を利するなり。大姦大盗(たいかんだいとう)は皆無知の心によりて之を充たす。天下の大悪只二種あり。無知を欺くと、有知を畏(おそ)れざるとなり。無知を欺くは還(すべ)て是れ忌憚(きたん)の心あり。此れ誠偽(せいぎ)の関。有知を畏(おそ)れざるは是で箇の忌憚の心も無きなり。此れ死生の関。猶(なお)畏るる有るを知るは良心尚未だ死せざればなり。
なかなか、わかりづらい文章ですが、現代語訳すると、
(現代語訳)
その「暮夜無知」の語は僅か四文字に過ぎないけれども、これは人を欺くことであるから百悪の総合的な根である。人の罪は欺くより大なるものはない。欺くということはうそ・いつわりでその知る無きを利するのである、これに乗じるのである。大姦大盗はみなその知る無きを利する心によっていろいろ悪事を拡充していく。天下の大悪も分ければ二種類あるだけである。知る無きを欺くと知る有るを畏れざることである。(中略)
「無知を欺く‥‥‥」、知る無きを欺くというのはまだどこかに忌(い)み憚(はばか)る心、何ものかを畏れつつしむという良心的な反応の心である。この内心のびくびくするという忌憚の心が誠と偽との分かれる関門である。ところが知る有るを畏れないというのは、これはもう忌憚の心もない。
人間にとって最も大事なものは敬恥の心でありまして、その敬恥の心が悪い方に働くと忌憚の心になる。従って忌憚の心を失ってしまったら、これはもう「此れ死生の関」でありまして、正に死の道である。まだ人に知られては困るという間は良心が死に切っておらぬからである。
最近、日本でもLSDやマリファナ等の麻薬中毒者が激増しておりますが、それらの中でも一番怖いのはLSDです。マリファナはまだ植物から採るのですがから自然のものですが、LSDの方は製薬工場でできる全くの人工品でありまして、この毒害は量り知れないものがある。
従ってこういうものを常用しておると、それこそ忌憚の心という人間の最低の良心まで麻痺させてしまうことは必定です。ところがそれを飲んでサイケデリックといった幻覚の世界に陶酔して絵を描き小説を書いてそれによって金儲けをするという。こういう罪悪は人類の歴史上未だかつてない現代特有の最低の罪悪というべきでしょうね。(中略)
(以上、安岡正篤著「呻吟語を読む」より)
この本は、安岡先生がお元気なころ「呻吟語」を解説された講義録ですが、ここ数日のタレントの酒井法子容疑者の生き様が、テレビ・新聞等で流れる中で思い出し、「心養塾」の考えるテーマにしました。
自分の良心、或いは良識、という自分の「正しい心」の声を打ち消し、ただ享楽を楽しむことを誡めた教えが、2000年近い以前に説かれていたことを知り、いかに人間という「我欲」の横暴さが、歴史文化を積み重ねても変わらず在ること。
それは、人間は連続性の生命体ですが、一人の人間としては、生れてから培われていく心身の成長しか「人間力・人間性」を作ることはできません。一人ひとりの、心がけしか方法が無いと言えるかもしれません。
孔子の教えは、2,500年前のものです。ただやみくもに、自分の欲する目標を実現するには、手段は色々あると思います。しかし、自分の持つ「良心」からのメッセージに耳を傾けず、我欲、快楽を求めることは、何時か自分を破滅に至らせると思います。
昨日は、今回の芸能界の麻薬騒動について考え、自分の心と向き合うとは何かを、楊震の教え、「暮夜無知」と「四知」について、安岡正篤先生の著書を参考にまとめてみました。もし、興味ある方は、次回10月の「心養塾」にご参加いただけば幸いです。
「心養塾」*詳しくは、下記の紹介ページをお読み下さい。
・「心養塾」~語り学び合う場~
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4274681
*参考資料:安岡正篤著「呻吟語を読む」
<関連コミュ>
・呻吟語(しんぎんご)を読む
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4274681 (ミクシィ)
http://www.otemo-yan.net/admin/blog_menu.php(おてもやん)
・論語の言葉
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660