<東国原知事>人の評価は上がったり下がったりする
2009年08月02日
<東国原知事>人の評価は上がったり下がったりする
<東国原知事>古賀氏に陳謝 衆院選出馬巡る一連の騒動で(毎日新聞 - 08月01日 12:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=916396&media_id=2
> 東国原英夫・宮崎県知事が31日、福岡県大牟田市にある古賀誠・自民党選対本部長代理の事務所を訪れ、自身の衆院選出馬を巡る一連の騒動について陳謝した。
> 同事務所によると、東国原知事は午後4時ごろ、秘書と2人で訪問。事前連絡はなく、古賀氏本人は不在だった。事務所には十数人のスタッフらがおり、東国原知事は事務所長らに、自民党からの出馬打診後の騒動について「ご迷惑をおかけしました」と話した。
> さらに「地方に対する気持ちは古賀先生と同じです。(選挙は)頑張ってください」と話し、数分で事務所を後にしたという。
日本は、視線社会(思惑社会)と作家の童門冬二氏は言う。
飛ぶ鳥を落とす勢いのあった、東国原氏だが、自民党の元選挙対策本部長の古賀氏の事務所を、連絡なく挨拶に出かけたようだが、これをわざわざニュースに流すようでは、今の自分の世間の評価を厳しいものと受けているとは、まだまだ思えない気がします。
一時、毎日新聞紙面のトップを賑わすほどの騒動(総理候補、等々)となった。本人は、その注目度をどんな気持ちか分からないが、宮崎県民の気持ちを少しでも考えていたら、あるいは九州からの期待を思い出せば、少しは態度も変わったいたのかもしれません。
この一連の騒動で、古賀氏は、選対本部長を辞任し、東国原氏も宮崎県知事の職務に専念するとしているが、宮崎県民の期待は、薄くなって来たように思います。
「知事の気持ちは、ここにあらず」
県民はもとより、直属の部下たちからも声が出るようになっています。
政変が激しいときは、人の評価も日々変わると、明治の御意見番の勝海舟が晩年語っている。それを紹介した童門冬二氏の著書「勝海舟の人生訓」から、一節を紹介します。
「人の評価は上がったり下がったりする」(勝海舟)
~人間の相場は上がっても下がるし、下がった相場もいつかは上がる~
(本文)
これは、幕末維新の頃、江戸を無血開場して、彼は、多くの人々から「大奸物」「大逆人」と言われた。しかし、海舟が尋ねて来る人に、自分の人生訓を語るようになった頃の彼は伯爵だった。新政府も彼の功績を称え、爵位を与えたのだ。
だから彼は、人間の評価は(相場)には、常に上がり下がりがあるので、そんなことをいちいち気にしていたら生きていられないと考えていた。特に彼は、
「その上がり下がりも、長くて十年はかからないよ」
と言っていた。そのために、自分の相場が落ちたと見たら、じっと屈(かが)んでいるにかぎる、というたいどを保ち続けた。落ちた相場も、しばらくすれば必ず上がってくるという信念があったのだのである。伯爵勝安房だ、と威張りながらも、
「しかし、今はこの通り威張っていても、また、しばらくすると老いぼれてしまって、唾の一つも吐きかけてくれる人もないようになるだろうよ。世間の相場とは、まあそんなものさ」
と自嘲している。ただ、
「相場の上がり下がりする十年間を、じっと辛抱できる人は、大成する」
と言っている。自分が、その上がり下がりの中を生き抜いてきたのは、
「これは人は悪いから、ちゃんと先見の相場を踏んで来ただけだ。急いても仕方がないから、寝転んでいただけだ、これはずるい奴さ」
と言っている。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
古賀氏は、自民党選対本部長代理で、自民党の選挙の陣頭指揮をしていて、地元の事務所に居ることはほとんど無いことは知っていて、東京の事務所でなく、福岡の選挙事務所を訪れた。
これもまたパフォーマンスに受け取られるように思います。これをするよりは、騒動から時間を空けずに、東京の古賀氏に直接、謝罪の挨拶をするか、または、現在宮崎選挙区が、中山氏の再登板で、すったもんだしているので、麻生総裁か、細田幹事長に、宮崎遊説のおりに謝罪をするか、実際は、古賀氏に直接謝罪をするのが一番ですが、その方が良かったのではと思います。
古賀氏の福岡の選挙事務所に、31日金曜日に行っても、アポを取って行くのではあれば別ですが、古賀氏がいないのは常識ではないかと思います。古賀氏本人は、今回の行動をどう受けとめるだろうかと考えます。
衆議院候補の騒動とは言え、一つの県の政治を司る知事が、秘書2人を伴い、自民党の役員の選挙事務所に、謝罪の挨拶とは・・・・、もっと県民を代表する威厳を持っていて欲しいなとも感じます。
まだ、東国原氏は、国会への未練があるのでしょうか。
勝海舟は、「急いても仕方がないから、寝転んでいただけだ、これはずるい奴さ」と言っています。
まだ、騒ぎがあってから間もない、特に総選挙月間中の行動は、勝海舟の言う、゛急いても仕方がないから゛の達人の境地を指導する「奸物」の師でも身近に居ればちがったのかなと考えます。
東国原氏の「相場」は、今後どう推移するか、検証も含め注目して行きたいと思います。
昨日は、私の地元(宇土市)の大太鼓フェスティバルの催しに、地域挙げて参加して、2日間ブログの日記を考えるゆとりがありませんでした。
今日の日記の感想でも書きこんで頂ければ幸いです。
*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」
<東国原知事>古賀氏に陳謝 衆院選出馬巡る一連の騒動で(毎日新聞 - 08月01日 12:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=916396&media_id=2
> 東国原英夫・宮崎県知事が31日、福岡県大牟田市にある古賀誠・自民党選対本部長代理の事務所を訪れ、自身の衆院選出馬を巡る一連の騒動について陳謝した。
> 同事務所によると、東国原知事は午後4時ごろ、秘書と2人で訪問。事前連絡はなく、古賀氏本人は不在だった。事務所には十数人のスタッフらがおり、東国原知事は事務所長らに、自民党からの出馬打診後の騒動について「ご迷惑をおかけしました」と話した。
> さらに「地方に対する気持ちは古賀先生と同じです。(選挙は)頑張ってください」と話し、数分で事務所を後にしたという。
日本は、視線社会(思惑社会)と作家の童門冬二氏は言う。
飛ぶ鳥を落とす勢いのあった、東国原氏だが、自民党の元選挙対策本部長の古賀氏の事務所を、連絡なく挨拶に出かけたようだが、これをわざわざニュースに流すようでは、今の自分の世間の評価を厳しいものと受けているとは、まだまだ思えない気がします。
一時、毎日新聞紙面のトップを賑わすほどの騒動(総理候補、等々)となった。本人は、その注目度をどんな気持ちか分からないが、宮崎県民の気持ちを少しでも考えていたら、あるいは九州からの期待を思い出せば、少しは態度も変わったいたのかもしれません。
この一連の騒動で、古賀氏は、選対本部長を辞任し、東国原氏も宮崎県知事の職務に専念するとしているが、宮崎県民の期待は、薄くなって来たように思います。
「知事の気持ちは、ここにあらず」
県民はもとより、直属の部下たちからも声が出るようになっています。
政変が激しいときは、人の評価も日々変わると、明治の御意見番の勝海舟が晩年語っている。それを紹介した童門冬二氏の著書「勝海舟の人生訓」から、一節を紹介します。
「人の評価は上がったり下がったりする」(勝海舟)
~人間の相場は上がっても下がるし、下がった相場もいつかは上がる~
(本文)
これは、幕末維新の頃、江戸を無血開場して、彼は、多くの人々から「大奸物」「大逆人」と言われた。しかし、海舟が尋ねて来る人に、自分の人生訓を語るようになった頃の彼は伯爵だった。新政府も彼の功績を称え、爵位を与えたのだ。
だから彼は、人間の評価は(相場)には、常に上がり下がりがあるので、そんなことをいちいち気にしていたら生きていられないと考えていた。特に彼は、
「その上がり下がりも、長くて十年はかからないよ」
と言っていた。そのために、自分の相場が落ちたと見たら、じっと屈(かが)んでいるにかぎる、というたいどを保ち続けた。落ちた相場も、しばらくすれば必ず上がってくるという信念があったのだのである。伯爵勝安房だ、と威張りながらも、
「しかし、今はこの通り威張っていても、また、しばらくすると老いぼれてしまって、唾の一つも吐きかけてくれる人もないようになるだろうよ。世間の相場とは、まあそんなものさ」
と自嘲している。ただ、
「相場の上がり下がりする十年間を、じっと辛抱できる人は、大成する」
と言っている。自分が、その上がり下がりの中を生き抜いてきたのは、
「これは人は悪いから、ちゃんと先見の相場を踏んで来ただけだ。急いても仕方がないから、寝転んでいただけだ、これはずるい奴さ」
と言っている。(中略)
(以上、童門冬二著「勝海舟の人生訓」より)
古賀氏は、自民党選対本部長代理で、自民党の選挙の陣頭指揮をしていて、地元の事務所に居ることはほとんど無いことは知っていて、東京の事務所でなく、福岡の選挙事務所を訪れた。
これもまたパフォーマンスに受け取られるように思います。これをするよりは、騒動から時間を空けずに、東京の古賀氏に直接、謝罪の挨拶をするか、または、現在宮崎選挙区が、中山氏の再登板で、すったもんだしているので、麻生総裁か、細田幹事長に、宮崎遊説のおりに謝罪をするか、実際は、古賀氏に直接謝罪をするのが一番ですが、その方が良かったのではと思います。
古賀氏の福岡の選挙事務所に、31日金曜日に行っても、アポを取って行くのではあれば別ですが、古賀氏がいないのは常識ではないかと思います。古賀氏本人は、今回の行動をどう受けとめるだろうかと考えます。
衆議院候補の騒動とは言え、一つの県の政治を司る知事が、秘書2人を伴い、自民党の役員の選挙事務所に、謝罪の挨拶とは・・・・、もっと県民を代表する威厳を持っていて欲しいなとも感じます。
まだ、東国原氏は、国会への未練があるのでしょうか。
勝海舟は、「急いても仕方がないから、寝転んでいただけだ、これはずるい奴さ」と言っています。
まだ、騒ぎがあってから間もない、特に総選挙月間中の行動は、勝海舟の言う、゛急いても仕方がないから゛の達人の境地を指導する「奸物」の師でも身近に居ればちがったのかなと考えます。
東国原氏の「相場」は、今後どう推移するか、検証も含め注目して行きたいと思います。
昨日は、私の地元(宇土市)の大太鼓フェスティバルの催しに、地域挙げて参加して、2日間ブログの日記を考えるゆとりがありませんでした。
今日の日記の感想でも書きこんで頂ければ幸いです。
*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」