同様の志を持つ友人は、一生の宝物。~夢との文化考える仲間~
2014年02月01日
同様の志を持つ友人は、一生の宝物。~夢との文化考える仲間~
宇土市の文化芸術の振興に関わってきた有志と新たな仲間との交流の晩餐が開催され、参加してきました。ここ14年近く縁のある方々と、夕げをともにしたのですが、心豊かになる演出がありました。その演出とは、私利私欲のない社会への奉仕の想いと実践の歴史(協働作業)です。
数年前まで、私の関わる社会活動のさまざまな活動で、参加者の年齢は私がいつも一番下のことが多かったのですが、今日の集まりに40代後半、30代も居て、やっと少し時代が動いていると感じました。
今夜の晩餐は、年齢は関係なく志を持つ友は、日頃は合わなくても、一瞬の会話で昔に戻れる。これが友ではないか、それはさまざまな事業を一緒に実践した仲間が、友達になれるし、続くのではないかと思いました。
今朝の訓示の安岡正篤先哲の教示に「友」という一文があります。今日の仲間との晩餐を表しているようで、皆さんに紹介したくなりました。
(以下、『安岡正篤 こころに書き写す言葉』より)
友 ~~ 一生の宝を得る。
世の中にもし友というものないならば、生きぬける人は非常に少ないであろう。世に容れられず、多くの人から無視されても、唯一でも自分を認めてくれる友があったならば、それほど嬉しいことはないであろう。むしろ人々から離れて、却って友は得られるにかもしれない。
(以上、本より転載)
地位とか、名誉とか、一時代に光る存在の瞬間には、周りに人が集まりますが、その時代を終えれば、周りの人はいなくなります。その時に周りに居てくれるのが、友達ではないでしょうか。
さて、友とはないか?
>むしろ人々から離れて、却って友は得られるにかもしれない。
仕事や役職で繋がっている関係は、みなあなたの机(地位)と付き合っている、と知らされる場面を見てきました。私の社会活動の先生は、職能の縁も大事されますが、社会活動(ボランティア活動)の仲間をとても大事されていました。要は心通じる人(友)を大事する、ということです。
今夜の集まりの年齢差は、40歳をこえています。それでも思いを語り、先輩の経験を学び、若者の夢に刺激される。友とは、自分を成長させる一生の宝なのだと思います。その宝は、一人ひとりの志と思います。同様の志を持つ友人は、一生の宝物。それが、友達と思います。
宇土市の文化芸術の振興に関わってきた有志と新たな仲間との交流の晩餐が開催され、参加してきました。ここ14年近く縁のある方々と、夕げをともにしたのですが、心豊かになる演出がありました。その演出とは、私利私欲のない社会への奉仕の想いと実践の歴史(協働作業)です。
数年前まで、私の関わる社会活動のさまざまな活動で、参加者の年齢は私がいつも一番下のことが多かったのですが、今日の集まりに40代後半、30代も居て、やっと少し時代が動いていると感じました。
今夜の晩餐は、年齢は関係なく志を持つ友は、日頃は合わなくても、一瞬の会話で昔に戻れる。これが友ではないか、それはさまざまな事業を一緒に実践した仲間が、友達になれるし、続くのではないかと思いました。
今朝の訓示の安岡正篤先哲の教示に「友」という一文があります。今日の仲間との晩餐を表しているようで、皆さんに紹介したくなりました。
(以下、『安岡正篤 こころに書き写す言葉』より)
友 ~~ 一生の宝を得る。
世の中にもし友というものないならば、生きぬける人は非常に少ないであろう。世に容れられず、多くの人から無視されても、唯一でも自分を認めてくれる友があったならば、それほど嬉しいことはないであろう。むしろ人々から離れて、却って友は得られるにかもしれない。
(以上、本より転載)
地位とか、名誉とか、一時代に光る存在の瞬間には、周りに人が集まりますが、その時代を終えれば、周りの人はいなくなります。その時に周りに居てくれるのが、友達ではないでしょうか。
さて、友とはないか?
>むしろ人々から離れて、却って友は得られるにかもしれない。
仕事や役職で繋がっている関係は、みなあなたの机(地位)と付き合っている、と知らされる場面を見てきました。私の社会活動の先生は、職能の縁も大事されますが、社会活動(ボランティア活動)の仲間をとても大事されていました。要は心通じる人(友)を大事する、ということです。
今夜の集まりの年齢差は、40歳をこえています。それでも思いを語り、先輩の経験を学び、若者の夢に刺激される。友とは、自分を成長させる一生の宝なのだと思います。その宝は、一人ひとりの志と思います。同様の志を持つ友人は、一生の宝物。それが、友達と思います。
【縁と機】まず隣人から始める。「勘所」を活かす。
2014年02月01日
【縁と機】まず隣人から始める。「勘所」を活かす。
おはようございます。昨夜は、親友の交わりで、昼前の会話から夜の晩餐の話が急にまとまり、たのしい数時間でした。幼なじみとは良いものです。しかし、日頃はそれぞれに忙しく、3人が一緒に顔を合わせたのは数年ぶりでした。この年になり、色々な役割を務めていることを知り、互いに年を取ったなと思いました。
同じ地域で生まれたご縁で、交友が続いているのですが、同じ地域の者が必ず繋がって行くとは限りません。やはり気の合うこと、お相手を思う気持ちが、縁をつないで行くのだと思います。遠くても、とても心配をしてくださる方もいます。ありがたいことです。
いつも身近にある本『安岡正篤 こころに書き写す言葉』に、
「縁」ーー 先ず「隣人」から始める
人間活動は重要な問題に「縁」というものがある。すべては縁に随って行うべきものだ。人を愛することも、世界や人類といった空虚な概念を弄する前に、先ず家庭や隣人から始めてゆかねばならない。
(以上、本より転載)
親子も縁、夫婦も縁、隣人も縁、友人も縁、さまざまな活動で出会う人たちも縁が繋がっている。「縁尋機妙(えんじんきみょう)」良き縁は良き縁につながる教えですが、人の縁は思いだけでなく、何か偶然性(後には必然的)に導かれているように思います。出会い、タイミング、機会、色々な言葉がありますが、「機」についても、安岡正篤先哲の言葉があります。
「機」ーー「勘所」を活かす
機とは漢方でいえば「つぼ」とか「勘所(かんどころ)」というもので、そこをはずすと物事が活きてこないという一点をいう。生活にこの機を活かしてとらえることが、生の飛躍つながる。
(以上、『安岡正篤 こころに書き写す言葉』より)
人との縁も、タイミング(機)が人の心をつなぐ演出になるような気がします。昨夜の友人たちとの晩餐は、心豊かにする演出がいくつもありました。隣の宴会にも友人・先輩が居て、これもまた良い「機」でした。機会の妙と思います。
今日は早朝から、来月の「サッカー講演会」の会場予約をしに行くと、地元小学校のハンドボールの試合あってました。午後は、男女共同参画、人権をテーマにフォーラムに参加します。
今日もどんな出会いがあるか、「縁」と「機」を楽しみたいと思います。
おはようございます。昨夜は、親友の交わりで、昼前の会話から夜の晩餐の話が急にまとまり、たのしい数時間でした。幼なじみとは良いものです。しかし、日頃はそれぞれに忙しく、3人が一緒に顔を合わせたのは数年ぶりでした。この年になり、色々な役割を務めていることを知り、互いに年を取ったなと思いました。
同じ地域で生まれたご縁で、交友が続いているのですが、同じ地域の者が必ず繋がって行くとは限りません。やはり気の合うこと、お相手を思う気持ちが、縁をつないで行くのだと思います。遠くても、とても心配をしてくださる方もいます。ありがたいことです。
いつも身近にある本『安岡正篤 こころに書き写す言葉』に、
「縁」ーー 先ず「隣人」から始める
人間活動は重要な問題に「縁」というものがある。すべては縁に随って行うべきものだ。人を愛することも、世界や人類といった空虚な概念を弄する前に、先ず家庭や隣人から始めてゆかねばならない。
(以上、本より転載)
親子も縁、夫婦も縁、隣人も縁、友人も縁、さまざまな活動で出会う人たちも縁が繋がっている。「縁尋機妙(えんじんきみょう)」良き縁は良き縁につながる教えですが、人の縁は思いだけでなく、何か偶然性(後には必然的)に導かれているように思います。出会い、タイミング、機会、色々な言葉がありますが、「機」についても、安岡正篤先哲の言葉があります。
「機」ーー「勘所」を活かす
機とは漢方でいえば「つぼ」とか「勘所(かんどころ)」というもので、そこをはずすと物事が活きてこないという一点をいう。生活にこの機を活かしてとらえることが、生の飛躍つながる。
(以上、『安岡正篤 こころに書き写す言葉』より)
人との縁も、タイミング(機)が人の心をつなぐ演出になるような気がします。昨夜の友人たちとの晩餐は、心豊かにする演出がいくつもありました。隣の宴会にも友人・先輩が居て、これもまた良い「機」でした。機会の妙と思います。
今日は早朝から、来月の「サッカー講演会」の会場予約をしに行くと、地元小学校のハンドボールの試合あってました。午後は、男女共同参画、人権をテーマにフォーラムに参加します。
今日もどんな出会いがあるか、「縁」と「機」を楽しみたいと思います。