幕末の志士「宮部鼎蔵」没後150年、地域上げて顕彰活動盛んに。
2014年03月18日

幕末の志士「宮部鼎蔵」没後150年、地域上げて顕彰活動盛んに。
おはようございます。朝ウォーキングは、雨がパラついてきたので、途中で引き返してきました。今日から、天気は雨模様のようです。
時間ができたので、新聞を読み始めると、御船町の小学生の奉仕活動と「はいこちら編集局の電話での意見が目に止まった。
今年は、幕末の志士「宮部鼎蔵」の没後150年、1864年池田屋に集まる勤皇の志士らが新撰組の襲撃され、鼎蔵痛手を受け自刃した。「池田屋事件(騒動)」から7月8日で150年を迎える。
宮部鼎蔵は、勤皇の志士一人「吉田松陰」より一回り年長で、兄貴格の存在で、国内の海防を一緒に視察した中でもあります。吉田松陰は、安政の大獄の中、悲運の死を遂げたが、その意志は宮部鼎蔵を中心とする勤皇の志士に受け継がれ、明治維新への歩みは止まらなかった。
5年前に地域の先輩方と取り組んだ、次期市政への要望書「宇土市民マニフェスト2010」の活動で、御船町長の山本孝二氏の町政運営で推進する「ローカルマニフェスト」について、まちづくりの講話をお願いした。そのご縁で25年度、御船町の「5人の先哲」顕彰委員会に参加させていただきました。宮部鼎蔵ついて、色々学びました。
その「5人の先哲」顕彰事業で、中心になる啓発事業が小中学校での総合学習です。子供たちに、地域の偉人を知ってもらう、加えて大人たちにも広めることに熱心にやられました。今朝に地域ニュースで、御船町上野の七滝中央小の3年生18人が、宮部鼎蔵の顕彰公園の清掃活動をした記事でした。
この活動に参加した東美結さんは「地域と国のために頑張った人、心を込めてきれいにした。鼎蔵先生も喜んでくれると思う」とあった。また、江戸時代に用水路を整備した庄屋の光永平蔵を祭る「守護神社」もゴミ拾いをした。御船町の偉人顕彰事業は、子どもたちに「志」を持つことを気づかせている思います。
この記事を読み、次に目に止まったのが、市民から電話で受ける意見「はい、こちら編集局」の記事(写真)です。見出しは、「国会質疑でへらへら、選んだ有権者に失礼」でした。記事は読んでいただけると良いのですが、国会議員は国民を代表する人格が必要ですが、これは地方議会にも必要な議員資質と思います。
自分自身、議会での議論は真剣に耳を傾け、自分の得分野だけでなく、新規の情報にも関心を持つことも重要ですし、社会変化で起こる様々な出来事にも関心を持つことが必要と思います。幕末の志士は、政治家でもあります。吉田松陰や宮部鼎蔵が、もし今の時代に生きていたら「国会質疑でへらへら」の様子に、どんな苦言を呈するのだろうと思いました。

人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・
江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜
八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
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Posted by ノグチ(noguchi) at 07:01│Comments(0)
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