素直な心がない場合には、つい無理してしまう。~松下幸之助訓示~
2014年02月28日
素直な心がない場合には、つい無理してしまう。~松下幸之助訓示~
一生懸命やればやるほど、小さな違和感(嫌う、敵対心)を思う人が出てくる。これは、先輩からの言葉でした。なぜ真面目にやれば、違和感を持つ人が出てくるのか?
私の社会活動の師は、心底から真面目な大学教授で、天才ではなく自分は鈍才と常々言われていました。現在80歳を越えられましたが、常に前向きな発想と実践にいつも励まされます。先生は、無心で世の流れを感覚で理解されます。鈍才は「天才の頭でなく、諦めない強い頭が必要」と語られます。
強い頭とは、有能な天才の閃く頭ではなく、理解できるまで考え続ける諦めない頭のことです。何を言っているのか?
それは、最後まで素直な心を持ち続けられるか?
そこが、強い頭を養うベースと思います。昭和の大経営者の松下幸之助氏の訓示に「無理が生じやすい」には、次の補足がある。
「素直な心がない場合には、とかく物事にとらわれがちとなり、ついつい無理をしてしまうことになりやすくなる」
私は、社会活動に20年参加してきました。いろいろな方と出会い、意見を聞き自分なりにやって来ました。真実を突き詰めれば、突き詰めるほど、敵(違和感を持つ人)が生まれる。それは何故か? 多分、こんな馬鹿真面目は、異分子見えるのだろうと思います。いわゆる「変わり者」に見えるのだろうと思います。
先生は、一生を通じて信念(真面目)を通した人。また周りの圧力や誘いに一切動じず、自分の生き方を貫かれました。先生の変わらぬ姿勢が、素直な心で周りの意見に耳を傾ける生き方です。加えて、自ら動き、縁を大事に実践・行動を、私はその後ろ姿を見てきました。
最後にまた、松下幸之助先哲の訓示から、
「・・・、お互いの人生なり、社会活動はもちろん、国家活動の上においても素直な心が働いていくようにするために、お互いにさらに一層の工夫と努力を重ねていくことが肝要ではないかと思うのです」
これを読み、素直な心があれば、無理せずに前向きな意志が自然に始まるのだと思うようになりました。無心(無欲)=素直な心、が松下幸之助先哲のメッセージのような気がしています。
*参考資料:松下幸之助著『素直な心になるために』より
一生懸命やればやるほど、小さな違和感(嫌う、敵対心)を思う人が出てくる。これは、先輩からの言葉でした。なぜ真面目にやれば、違和感を持つ人が出てくるのか?
私の社会活動の師は、心底から真面目な大学教授で、天才ではなく自分は鈍才と常々言われていました。現在80歳を越えられましたが、常に前向きな発想と実践にいつも励まされます。先生は、無心で世の流れを感覚で理解されます。鈍才は「天才の頭でなく、諦めない強い頭が必要」と語られます。
強い頭とは、有能な天才の閃く頭ではなく、理解できるまで考え続ける諦めない頭のことです。何を言っているのか?
それは、最後まで素直な心を持ち続けられるか?
そこが、強い頭を養うベースと思います。昭和の大経営者の松下幸之助氏の訓示に「無理が生じやすい」には、次の補足がある。
「素直な心がない場合には、とかく物事にとらわれがちとなり、ついつい無理をしてしまうことになりやすくなる」
私は、社会活動に20年参加してきました。いろいろな方と出会い、意見を聞き自分なりにやって来ました。真実を突き詰めれば、突き詰めるほど、敵(違和感を持つ人)が生まれる。それは何故か? 多分、こんな馬鹿真面目は、異分子見えるのだろうと思います。いわゆる「変わり者」に見えるのだろうと思います。
先生は、一生を通じて信念(真面目)を通した人。また周りの圧力や誘いに一切動じず、自分の生き方を貫かれました。先生の変わらぬ姿勢が、素直な心で周りの意見に耳を傾ける生き方です。加えて、自ら動き、縁を大事に実践・行動を、私はその後ろ姿を見てきました。
最後にまた、松下幸之助先哲の訓示から、
「・・・、お互いの人生なり、社会活動はもちろん、国家活動の上においても素直な心が働いていくようにするために、お互いにさらに一層の工夫と努力を重ねていくことが肝要ではないかと思うのです」
これを読み、素直な心があれば、無理せずに前向きな意志が自然に始まるのだと思うようになりました。無心(無欲)=素直な心、が松下幸之助先哲のメッセージのような気がしています。
*参考資料:松下幸之助著『素直な心になるために』より
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・
江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜
八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・
江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜
八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
Posted by ノグチ(noguchi) at 22:56│Comments(0)
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