【伝えたい】原子爆弾で父を失い、家は消失した。戦争放棄の原則を守る。

2014年02月27日

【伝えたい】原子爆弾で父を失い、家は消失した。戦争放棄の原則を守る。

おはようございます。熊日のコラム【伝えたい 私の戦争】で、広島で被爆された森武徳さんの手記が今日まで掲載されている。(以下、抜粋)

学徒動員で働いていた軍事工場が原爆で閉鎖になり、爆心地から1kmのところに在る自宅へ帰る道には、累々と遺体があり、その中を縫うように自宅に着くと、家は跡形もなかった。原子爆弾で、吹っ飛んでいた、涙が止まらなかった。父は亡くなり、母とは翌日に再会した。原爆は、時間が経ってから原爆症で亡くなる人が増える。「自分も正月まで持たないかも・・・」と思った、数年間は死の恐怖がつきまとった。・・・・

とあった。末尾に、「改憲論が勢いづいているが、戦争放棄の原則はどこまで行っても変えちゃいけない。戦争にならなければ、原爆ような都市爆撃は避けられる」と訓示されています。

東アジアの緊張から、尖閣諸島へ上陸を予想した部隊ができるとか、防護空域の考え方の違いでスクランブル発信が重なるとか、小さな間違いが大問題になることある。森氏の「戦争放棄の原則」は、現憲法の9条を維持する強いメッセージと受け止めました。

政治は、人の心の問題とも言われます。地域の小さな小競り合いも、国家間の不協和音も、常に修復したいという思いを持っていれば、協調の可能性は充分にあると思います。敵対するだけでは、真の解決は見つからない。まして、暴力に訴えることは、人間として知性も品性の無くなります。

人の良識を信じる、と言えば弱腰と言われるかもしれませんが、常に意見の衝突はあって良いが、拳を上げる闘争は避けるべきだし、避けることの方がとても勇気と我慢が必要と思います。悲惨な歴史を活かせない行為は、けっしてやってはいけない。議論はあるが、平和を目指す意見の相違であって欲しい。森氏の3日日間の手記を読み、平和と戦争放棄の意味を深く考える機会になりました。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 08:29│Comments(0)平和
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