病とは、心の病なり。心の病とは、心のそこそこにとどまるを云うなり。(柳生宗矩)

2013年07月16日

病とは、心の病なり。心の病とは、心のそこそこにとどまるを云うなり。(柳生宗矩)

おはようございます。3連休も終わり、暑い中の仕事が夏休暇まで続く週の始まりです。寝苦しい熱帯夜の夜が長く感じるのですが、朝のひんやりする空気は、英気を取り戻す気がします。これから、朝ウォーキングから帰りました。

柳生宗矩『活人剣』に、意味は不明だが、気になる言葉がある。

「病とは、心の病なり。心の病とは、心のそこそこにとどまるを云うなり。心くを一太刀打った所にとどめぬ様にすべし。心をすてて、すてぬなり」

んー、何を言いたいのやらと思いますが、解説に合気道の話があった。

「心をどこにもとどめない」は、心がどこにもないように思いますが、そうではなくて、心は全身一杯に満ち溢れていなければならない。合気道では、心を「気」と表現しますが、気が全身にゆき渡っているから、心をどこにも置かないことになります。

どんな武道でも、修行というものは心を一ヶ所にとどめないよう工夫する。

「唯だ一所に止めぬ工夫、これ皆修行なり」

心をどこにもとどめないことが肝要であると言っています。心を外へ出す場合、一方に心を置け(集中すれ)ば、他の九方は欠けることになります。心を一方に置かなければ、十方にゆき渡ることができるのです。

これは武道の教示だが、学問や事業にもつながる理論とおもいます。

スティーブ・ジョブズ氏が、商品開発する中で世界のトップにい続けれたのは、チャレンジ精神を常に反省していたことにあると、解説本『神の仕事術』にあった。

「成功した時こそ反省せよ。安全思考は危険な落とし穴」

これを読み替えれば、売れ筋商品(心を一方に置く)を捨てて新たな挑戦を始める。多くの会社や人が失敗をバネに成功する中、成功をバネにさらに高みを目指すことができれば、圧倒的な存在になれる。

またジョブズ氏は、成功に有頂天になっている時、更に上を目指す話をしても、聞き身持たず(一方に心が取られている)。

「他力がダメなら、自力でやる」

ジョブズ氏は、Appleを一時離れる時期に、他の分野でも実績残している。同じところにとどまらない。

「本気でやれば仲間が現れる」

現在のAppleの成長は、ジョブズ氏の復帰と、チャレンジ・スピリッツの復活にある。「心をどこにもとどめない」、常に高みの自分を求める生き方は、楽ではないですが、変化・進化し続ける生き方のように思います。

参考資料:鎌田茂雄『己に克つ生き方』、桑原晃弥編『スティーブ・ジョブズ 神の仕事術』


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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:51│Comments(0)偉人
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