〈憲政の神様尾崎行雄〉検証01:『市民と選挙』について考える

2013年05月13日

〈憲政の神様尾崎行雄語録〉検証01:『市民と選挙』について考える

今朝のウォーキング中のラジオ放送で、これからの慢性病治療について話があった。話の始まりは、政治の話だった。「政治のていたらくを、政治家のせいにしている間はダメ。その政治家を選んだ国民が変わらなければならない」と。慢性病の治療も「医者や薬に頼っている間はダメ。これからは患者が積極的に、治療に参加しなければいけない」と話があった。なるほどと思いました。

昨日から、紹介する憲政の神様と称された故尾崎行雄のことを、海外のジャーナリストの文献から、私は入ったのですが、現代の日本人がどれだけ知っているだろうか。7年前のmixiの日記を掲載します。

(以下、mixi2006/09/08転載)

「日本という国をあなたのものにするために」なる題で、日本に長く住むヨーロッパ生まれのジャーナリストのカレン・ヴァン・ウォルフレンが書いたものですが、明治政府以来考えない市民をベースに構築された日本国について指摘をしたものです。

 その一文に、戦前市民主権の理念を一生変えずに戦い続けた尾崎行雄氏のことが書かれていました。促がされるままに、ネット上で 尾崎行雄氏の業績を顕彰する中で、素晴らしい教えがあると感じたので今日から、何回かに分けてご紹介します。

~憲政の神様~尾崎行雄語録の検証 01

『市民と選挙』について考える

「尾崎行雄 」 語録集より(尾崎行雄の昭和21年頃の著書から)

1.選挙について

『有権者中心の政治』
 民政維新は正しい選挙から始まる。正しい選挙こそ民政維新の土台である。もしこの土台が崩れれば、立憲政治の機能は何から何まで将棋倒しに倒れてしまう。

 ・・立法府中心の政治ということは、選挙中心の政治ということである。選挙中心の政治ということは、とりもなおさず有権者中心の政治ということである。それなのにわが国の有権者の多数はまだ自分の一票に憲政を活殺する程の力があることを知らない。その尊い理由を目で読み、耳で聞いても、それほどの値打ちがあるものとはどうしても信じられない。
 そこで、「頼まれたから」「金をくれたから」「ごちそうになったから」「義理があるから」いれてやろう。甚だしいのは「棄権をするとうるさいから」「迷惑だがいれに行こうか」と、選挙権を厄介者扱いにするものさえある。我が憲政のふるわない病原は、全くここにあると思われる。

 ・・国民生活の幸不幸は、全く法律の出来具合いかんで決まる。
 ・・いかなる場合にも、絶対に国民を裏切ることのない法律制定者(立法府)をつくるか否かを決する力は、一票の選挙権である。この一票こそ人間の生命財産その他の権利自由を確保する最後唯一の自衛権であることを知らなければならない。

『誰のための選挙か』
 大切な選挙権をどう使えばいいか、投票は誰のためにするのであるか、自分の不利益になるような法律をつくらせない代表者を選ぶために使わねばならぬ。自分自身のためにする投票でなければならぬことは、もう言わずして明らかなはずだが、我が国の有権者のうちには、今でも、選挙は候補者のためにするものと心得ている人がかなりたくさんあるようだ。

 候補者のための選挙だと思えばこそ、「頼まれたから」「金をくれたから」「義理があるから」いれてやるという気にもなる。もし選挙は自分の生命財産その他の権利自由を守るための番人を選ぶことだと悟れば、どんな馬鹿でも「頼まれたから」いれるのではない、こちらから頼んで出てもらうのだ。候補者から金をもらうどころか、選挙の費用は、頼む側の有権者の方で持ち寄るぐらいにせねば、信用のおける番人は出てくれないくらいのことは気がつきそうなものである。
(HP:尾崎幸雄記念財団参照)


 最近でも、尾崎氏の指摘があるような選挙運動が展開され、醜態を見せる候補者や運動員をニュースで見ることが多々あります。大政治家の指摘の通り、成長しない市民があるように思います。
 私の地元でも、近く市議選があるのですが、新しい動きをする候補者がいるのでしょうか?期待半分で、注目をしています。

 「日本という国をあなたのものにするために」の本の中で、維新前の幕藩体制は、藩が独自な法制度と行政組織によってできた、合衆国体制的だったように思います。明治維新は、地方の有力藩が革命を起こし、集権体制をつくるために、考えない国民と強力な官僚機構を作りました。二度の対戦でも解体されず100年の時を越えて、今に至っていると指摘しています。

 真珠湾攻撃の案に乗り、行政体制を組んだのも官僚ですし、戦後の護送船団方式を、今も守ろうと真面目にやっているのも官僚です。この体制は、明治後期から大正にかけて確立し、今でも確たる力を保持しています。

 この体制の問題は、責任の不在という体質を持っていると指摘しています。政策評価を検証し説明する責任の不明(無い)なことが、市民感覚から乖離した事業が、前年踏襲とか理解できない事業が進められる危険を持っています。川辺川ダムしかり、諫早干拓しかりです。

 選挙は、行政官僚が作る政策検証を、議員が常に指摘し、反省させ、説明の責任を要求し続ける代議員を選ぶことと思います。選挙時に候補者には、行政の説明責任を追及する約束をさせて選挙に望ませ、市民が選んだ議員の議会活動を検証して行くことが求められると思います。
 これこそ、一人でできるまちづくりのやり方ではないでしょうか。ここに選挙の意義が在るように思います。
(以上、mixi日記より)

慢性病の治療には、患者の参加が必要とあったが、政治の改革には国民(市民)の参画が必要。その第一歩が、選挙への市民の積極的な関わりではないかと思います。

本日も長文を最後までお読みいただき感謝致します。暑い一日になりそうです。体調に注意しましょう。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 07:15│Comments(0)偉人
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