幕末の熊本県央に縁のある偉人「頼山陽、久坂玄瑞」

2013年01月29日

幕末の熊本県央に縁のある偉人「頼山陽、宮部鼎蔵、吉田松陰、久坂玄瑞」

「宮部鼎蔵と吉田松陰の交友ウォーク」

午後は、今年のもう一つのウォークに関する調査に、宇城市教育委員会の分化課に、松橋の昔の港に縁のある(出港、上陸)二人の偉人を調べに行きます。

・頼山陽
一人は、幕末の志士たちを指導した儒家たちに大きく影響を与えた「日本外史」の著者の頼山陽が、日本各地の調査の中に、熊本から薩摩街道を通り、松橋の港から出港した時、有名な漢詩を作っている。これを、宇城市教育委員会は、知っているか?

・久坂玄瑞
次が、松下村塾の英才、久坂玄瑞が、安政3年(1856年)、兄事する中村道太郎のすすめで九州に遊学。熊本に宮部鼎蔵を訪ねた際、吉田松陰に従学することを強く勧められた。

この遊学ルートが、松橋の旧港から上陸して、陸路で御船町七滝の宮部鼎蔵宅を訪ねた。との説を一度、宇城市の郷土史家に聞いたので、それを知っているか?

久坂玄瑞は、吉田松陰の「松下村塾」の二傑の一人で、幕末動乱の初期、京都御所での「禁門の変」で、自決した。

・宮部鼎蔵と吉田松陰
宮部鼎蔵と吉田松陰の深い交友は、とても有名で、青森まで二人で旅をしている。NHK の大河ドラマ「八重の桜」でも出てきました。

頼山陽
http://raisanyou.com/top.htm
宮部鼎蔵
http://raisanyou.com/top.htm
吉田松陰
http://www.yoshida-shoin.com/
久坂玄瑞
http://www.yoshida-shoin.com/monka/kusaka.html

「宮部鼎蔵と吉田松陰の交友ウォーク」

往復56キロの歴史顕彰ウォークで、昨日の八代ウォーキング協会の重鎮が計画すると、2日に分けて宿泊させたが、参加しやすいと、言われると思います。

そんなことも頭において、2月かけて調査をしたいと思います。山口の萩にも出向き、萩市の久坂玄瑞に関する資料調べ、吉田松陰顕彰会にも、挨拶に行かないといけません。

金曜日の御船町長との打ち合わせから、このウォークの準備が、始まります。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 12:18│Comments(0)偉人
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