困った時にだけ人を訪ねるな(勝海舟)

2010年04月21日

困った時にだけ人を訪ねるな(勝海舟)

「多くの人間が、こんにちはは言うけど、さよならは言わない」

 この意味は、「色々、頼みに来る者がいる。色々手を考えて支援をしてやる。しかし、何とかされた側が、その後、いったいそのことがどうなったかのか、まったく報告もない」と、礼儀知らずというか、後が大事と思うのですが、実際はそれが多い。

 さて、頼む時は一所賢明ですが、いざ事が終ると、その中を取り持ってくれた方のことは忘れてしまう。人間そういうものと思えばいいのですが、別にお礼は良いのですが、当事者は結末を知りたいものです。

 明治の元勲の一人、勝海舟は色々な人の世話をした方です。その後について、勝は厳しく人の行動を検証し、自分の行動に活かしました。童門冬二著「勝海舟の人生訓」に、次の一節があります。

(本文)
「ことが起こると、すぐ人に頼みに来る。だから、本当のことが分からない。これなんぞは、普段から長く人間とつきあったおく。それも芸者や太鼓持ちのたぐいまで、みんな同じようにしている。もちろん、そうするためには銭がたくさんかかるよ。しかし、それが何かあった時にものを言うのだ。そういう長い間の人とのつきあいを欠いて、その日のうちに、自分の思うことを実現してもらおうとするから、結局、ことの本質をとらえることができない」
 (以上、「勝海舟の人生訓」)

 日頃のお付き合いが大事と思います。
 また勝海舟は、「人間関係とは魚の養殖と同じこと」と例え、地域内だけでなく、全国の方々と、情報交換や交流が必要と説いています。
 勝は、徳川幕府の海防担当をしたが、その時は、以前からつきあった東海道、関西の海に関わる人材が大きく役に立ったと回想しています。
 専門分野だけでなく、多様な分野の年代、地域内外の男女との情報交換が、後の異変に対応する方策を見つけることを可能にするのだと思います。

*参考資料:童門冬二著「勝海舟の人生訓」


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Posted by ノグチ(noguchi) at 17:00│Comments(0)偉人
 
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