かつては"いざ鎌倉"な気持ちで田舎暮らしでしたが、しかし今は、リモートで"コロナ疎開"の田舎移住。
2020年08月09日
<白洲二郎・正子の「武相荘」>かつては"いざ鎌倉"な気持ちで田舎暮らしでしたが、しかし今は、リモートで"コロナ疎開"の田舎移住。
(長文、お時間ある時にお読みください)
作家でエッセイストの白洲正子の夫の白洲二郎は、戦争間近と察知して田舎暮らしを始める。その住宅が「武相荘」です。
戦時下には、東京の親戚や友人宅に、武相荘で育てた野菜を届けたりしていた。
戦争が終わり。戦後処理を任された吉田茂首相のアドバイザーであり、進駐軍との交渉役であり、外交官的な活動もしました。
英国仕立てのスーツを着て、戦後処理の米国軍相手に、ケンブリッジ大仕込みの流暢な英語で交渉をする日本政府要人となった。
しかし、戦後処理に目処が立つと、さっと役職を離れて下野してしまう。その後は、東北電力の発展に関わり、戦後の経済発展に努めた。住まいは、ずっと武相荘で過ごし、都会の用事に出て行った。
空海の教えに以下があります。
「林泉、我を酔わしめて、一(ひと)たび入って帰ることを忘る。未だに就いて披くに由(よし)なし」
【現代語訳】
「山の自然は私を陶酔させ、ひとたび山に入れば、都会の生活を忘れてしまいます。申し訳ございまさんが、当分独りにさせてください」
日本人なら誰もが一度は聞いたことのある「いざ鎌倉」の言葉は、"日頃は田舎暮らしだが、国に何か有れば、武具をまとい馬で駆けつける"、の意味ですが、正に白洲二郎氏は、そのような暮らしをしていたのではないのか?
武相荘は、今ではカフェレストランとして利用できます。日本国憲法の草案に深く関わったとされる白洲二郎氏ですが、興味ある方は訪ねてみてください。
現在の『武相荘』は、
住所:東京都町田市能ヶ谷7丁目3-2
アクセス:小田急線 鶴川駅 北口下車 徒歩15分
当時は不便な田舎暮らしでしたが、今は交通の便も良くなり、そう田舎には見えないと思いますが、そんな生き方をした、戦前に英国留学し、貿易に関わり、日本の敗戦処理で日本側交渉人として活躍、さらに戦後の経済発展に努めた日本人男性・白洲二郎氏は、作家でエッセイストの白洲正子さんの夫。
白洲二郎氏の父は、大正バブル期に活躍した実業家でしたが、バブルがはじけて、その後はひっそりと阿蘇の地で暮らし亡くなっています。
かつては"いざ鎌倉"的な田舎暮らし、現代はコロナ渦中での"リモート"な田舎移住、時代は違えど、東京の存在があればこそできる「コロナ疎開」かもしれないですね。
昨夜から、思いつくままに書た文ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。
今日は、お盆休み前行く最後の災害ボランティア活動です。暑いですが、頑張ってきます。
<武相荘>
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%9B%B8%E8%8D%98#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Buaiso_museum.jpg
(長文、お時間ある時にお読みください)
作家でエッセイストの白洲正子の夫の白洲二郎は、戦争間近と察知して田舎暮らしを始める。その住宅が「武相荘」です。
戦時下には、東京の親戚や友人宅に、武相荘で育てた野菜を届けたりしていた。
戦争が終わり。戦後処理を任された吉田茂首相のアドバイザーであり、進駐軍との交渉役であり、外交官的な活動もしました。
英国仕立てのスーツを着て、戦後処理の米国軍相手に、ケンブリッジ大仕込みの流暢な英語で交渉をする日本政府要人となった。
しかし、戦後処理に目処が立つと、さっと役職を離れて下野してしまう。その後は、東北電力の発展に関わり、戦後の経済発展に努めた。住まいは、ずっと武相荘で過ごし、都会の用事に出て行った。
空海の教えに以下があります。
「林泉、我を酔わしめて、一(ひと)たび入って帰ることを忘る。未だに就いて披くに由(よし)なし」
【現代語訳】
「山の自然は私を陶酔させ、ひとたび山に入れば、都会の生活を忘れてしまいます。申し訳ございまさんが、当分独りにさせてください」
日本人なら誰もが一度は聞いたことのある「いざ鎌倉」の言葉は、"日頃は田舎暮らしだが、国に何か有れば、武具をまとい馬で駆けつける"、の意味ですが、正に白洲二郎氏は、そのような暮らしをしていたのではないのか?
武相荘は、今ではカフェレストランとして利用できます。日本国憲法の草案に深く関わったとされる白洲二郎氏ですが、興味ある方は訪ねてみてください。
現在の『武相荘』は、
住所:東京都町田市能ヶ谷7丁目3-2
アクセス:小田急線 鶴川駅 北口下車 徒歩15分
当時は不便な田舎暮らしでしたが、今は交通の便も良くなり、そう田舎には見えないと思いますが、そんな生き方をした、戦前に英国留学し、貿易に関わり、日本の敗戦処理で日本側交渉人として活躍、さらに戦後の経済発展に努めた日本人男性・白洲二郎氏は、作家でエッセイストの白洲正子さんの夫。
白洲二郎氏の父は、大正バブル期に活躍した実業家でしたが、バブルがはじけて、その後はひっそりと阿蘇の地で暮らし亡くなっています。
かつては"いざ鎌倉"的な田舎暮らし、現代はコロナ渦中での"リモート"な田舎移住、時代は違えど、東京の存在があればこそできる「コロナ疎開」かもしれないですね。
昨夜から、思いつくままに書た文ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。
今日は、お盆休み前行く最後の災害ボランティア活動です。暑いですが、頑張ってきます。
<武相荘>
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%9B%B8%E8%8D%98#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Buaiso_museum.jpg
人と付き合うとは、違いを許容することから始まる。〜曽野綾子著『人びとの中の私』〜
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
<今朝の名言>さまざまな社会の出来事を非難する人がいます。政府にも、行政にも、さらに職場でも・・・
江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜
八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
文明社会には、青年には青年の、老人には老人の、貢献するべき余地がある。〜渋澤栄一〜
久しぶりに横井小楠記念館「四時軒」に寄りました。
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江戸時代、土佐弁は、江戸者が語ることばと区別かつかなかった。〜司馬遼太郎〜
八代亜紀さんがお亡くなりになりました。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
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