<どこにいてもチャレンジ>可愛い子には旅をさせよ。〜佐藤一斎〜

2022年05月20日

<どこにいてもチャレンジ>可愛い子には旅をさせよ。〜佐藤一斎〜

数年に一度読む『佐藤一斎一日一言』の日々の言葉に、本日の一節がありました。

(以下、本より)

子弟の業に於けるも亦然り。必ず之れをして師に他邦に就きて其の橐籥(たくやく)に資せしめ、然る後に成る有り。
膝下に碌碌(ろくろく)し、郷曲に区区たらば、豈に暢茂条達の望有らんや。

【直訳】
 子弟の学業においてもこれは当てはまる。必ず子弟を他国へ出して師について学ばせ、よく鍛錬して始めて学業がなるのである。
 いつまでも父母のもとでごろごろしていたり、郷里でこせこせしていて、どうして草木がよく生長するように学業か成就する見込みがあるだろうか。とてもではないが、その望みはない。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)

一時期、"パラサイト・シングル"成る言葉がありました。親から脱皮できない若者たちの総称でしたが・・・

昨日は、不登校、引きこもり、の対策を学びに来て考えるに、社会情勢や不況もあり、一概に引きこもりを個人の資質だけで言えない状況に気付きます。

冒頭の言葉が"死後化している"のでは?

>可愛い子には旅をさせる。

ライオンは子を谷に突き落とし鍛える、と聞いたことがあります。

日本の学生たちは、海外留学が減っていると聞きます。他国で学ぶ意味を親たちも理解していないのでは?

>郷里でこせこせしていて、どうして草木がよく生長するように学業か成就する見込みがあるだろうか。

実は私は、ずっと地元の熊本で、それこそウロウロと市民活動や建築の設計の仕事をしてきた。果たして成長がなかったのだろうか?

また地元にいると苦労が無い?

それもまた違うと思います。

どこにいても生きる苦労が無い訳がない。

要は、どこにいてもチャレンジするか、しないかで、その人生に付加価値をつけることができる。

旅に出ずとも自らに付加価値をつける努力をやっているか、と佐藤一斎一日一言の言葉を読みました。