(朝飯前の一仕事)霧が晴れ日頃見慣れていないものが見える感動

2013年07月09日

(朝飯前の一仕事)霧が晴れ日頃見慣れていないものが見える感動

朝の作業を終えて、事務作業に入りました。早朝の散歩、ウォーキングをする方が増えています。今日は、猛スピードのウォーキングをしている方に会いました。私のスピードでもついていけない早さでした。競歩の練習でしょうか?

朝の山林は、鳥の声がたくさん聞けます。草刈り機を振り回しながら、小さな椵木(もみのき)には、大きな雑草に加え蔓(つる)やカズラ類が巻きつき、「助けに来たぞー」の気持ちで、下草刈りをします。時々休憩もしながら約1時間半、ぼちぼち燃料が切れそうかというとことで終了。後は、帰って汗を流し、朝食をとって仕事へ出かけます。

昨年まで、朝ウォーキングをしていなかったので、今よりも早く山へ出かけていたので、朝靄のかかっている時もありました。日がさしてくると神秘的な風景になります。朝靄が晴れる風景は、昔も今も感動ものです。百人一首に京都宇治川の朝靄(川霧)が晴れる風景を歌ったものがあります。

権中納言定頼 作

「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに 現れ渡る 瀬々の網代木」

(意味)明け方に 次第次第に 霧が晴れ だんだん網代木 見えるおもしろさ。

(歌の意図)
川にかかっていた霧が晴れ、日頃見慣れていないものが見えてきた新鮮な感動が、夜明けの清々しさとともに伝わってくる。心の中の霧も晴れてきているのかもしれない。絵画的な美しさが詠まれた歌である。(略)
(以上、『超現代語 百人一首』より)

山は当たり前に見えているが、霧などがかかれば、周囲が見えない世界になる。すると、足下のものがよく見える。日頃気づかない、小さな花、虫や蝉の脱け殻、苔なども見えてくる。

これは、人間生活も同じで、先ばかり見ていると、自分の身近な周囲が見えなくなる。昨日、宇土市選出の県議会議員を招き、地区住民との懇談会を開催した。中身の濃い、詰まった話がとめどもなく語り合われた。

私も市議ですが、議会で議員仲間と語ってばかり居ると、そこに居ることが当たり前になる。実は、市議であれ、県議であれ、国会議員であれ、地元住民の支持がなければ、その議会に居ることはできない。議員の仕事は多種多様だが、小エリアの地区住民の要望はそんなに多くはない。私の地区住民、私も含めた要望は一つしかない。それをずっと要望してきた。

ところが、選挙時は「やります」「やらせます」と豪語されるが、実現した試しがない。何かの機会に会った時、「どうなってますか?」聞くと、「頑張ってますが、予算がなくて」のオウム返しの返事。何度も聞くと、状況を聞くのも嫌になる。昨日も、「要望住民に報告のないのは、やっていないに等しい」と切り返した。

また、どういう運動をすれば実現できるのか? 実はそれすら知らないのかもしれない、と感じました。終わった後の県議の感想は「ぜひ、最低年に1度は、報告と意見交換の会を開催したい」とあった。私が「他ではやっていますか?」と尋ねると、「やったことない」と返ってきた。地位住民から、議員活動が見える・聞こえるわけがないと思いました。

首相も務め、長く国会で仕事をされた故三木武夫氏は、国会のない時は、常に地元徳島県に帰り、各地で国政報告会を開催し、地元住民と身近に接し続けられた。これは、霧をわざわざかけて、足元を見るのではなく、困りごとは足元から吸上げ解決することを、三木氏が教えていると思います。

私も農林水産業地域の住民と語るには、少なからずも実践が必要と思っています。初めはそんな思いで始め、大した山仕事ではないですが、草を払い、朝の清々しい空気を吸うと、最近は、人の生き方を振り返る良き時間になっていると感じます。

夏、毎日ではないですが、朝ウォーキングと朝草刈りは、私にとって、健康と反省の時間になっています。この習慣で、どうにか暑い夏を乗り切りたいと思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:00Comments(0)私の意見