今日は、太平洋戦争が始まった日
2011年12月08日
今日は、太平洋戦争が始まった日
おはようございます。今朝は、雨音で目覚めました。午後から、冷え込むようで、体調の管理が大切と思います。
今日は、太平洋戦争が始まった日、日本海軍の機動部隊が真珠湾を攻撃した日です。
今日の朝刊に、日米開戦70年の記事とは別に、戦時下の日本企業の捕虜の扱いに対する謝罪と、カリフォルニア州に導入が検討されている高速鉄道に対して、元米国人捕虜の団体が、JR (旧国鉄)に対して、謝罪を要求している。
元米兵レスター・テニー氏(91才)は、1942年に捕虜としてフィリピンでの「バターン死の行進」を経験、大牟田市の三井三池炭鉱で働かされた経験持つ。テニー氏は、「日本企業の高速鉄道の契約に反対しているのではない。当時、日本企業は捕虜を奴隷のように扱ったことを認めた後の話だ」と要求している。
私は、学生時代に日本とフィリピンのYMCAの国際交流の事業のワークキャンプに参加し、ミンダナオ島の南部のダバオ市の小学校に約1月、フィリピンの学生たちと寝起きを共にして、ボランティア活動をしました。その地域に、バターンがあり、「バターン死の行進」を、地域の歴史資料館で、ついて草々に説明を受けた。歓迎式の当夜、古老から「日本人、何しにきた。かえれ!」と強い口調で、罵声も受けた。ただ、帰るころには理解してもらい、会話できるようになった経験があります。
戦時下とはいえ、捕虜を人として扱うことは、国際ルールは明白で、当時の日本企業の在り方が、問われるし、現代の企業も問われると思います。
先人の教示に、「遅くても、気づいた時に、直ぐ謝ることが大事」とあります。私自身が、バターン死の行進を、現地の歴史館で説明を受け、暑さた食糧難の中で、捕虜の人たちが、多く倒れたことは戦時下とはいえ、謝罪の気持ちを表現することは大事と思います。
ワークキャンプに行ったのは、30年前になりました。でも、家庭が厳しかったのですが、無理お願いして、行かせてくれた家族には感謝しています。
おはようございます。今朝は、雨音で目覚めました。午後から、冷え込むようで、体調の管理が大切と思います。
今日は、太平洋戦争が始まった日、日本海軍の機動部隊が真珠湾を攻撃した日です。
今日の朝刊に、日米開戦70年の記事とは別に、戦時下の日本企業の捕虜の扱いに対する謝罪と、カリフォルニア州に導入が検討されている高速鉄道に対して、元米国人捕虜の団体が、JR (旧国鉄)に対して、謝罪を要求している。
元米兵レスター・テニー氏(91才)は、1942年に捕虜としてフィリピンでの「バターン死の行進」を経験、大牟田市の三井三池炭鉱で働かされた経験持つ。テニー氏は、「日本企業の高速鉄道の契約に反対しているのではない。当時、日本企業は捕虜を奴隷のように扱ったことを認めた後の話だ」と要求している。
私は、学生時代に日本とフィリピンのYMCAの国際交流の事業のワークキャンプに参加し、ミンダナオ島の南部のダバオ市の小学校に約1月、フィリピンの学生たちと寝起きを共にして、ボランティア活動をしました。その地域に、バターンがあり、「バターン死の行進」を、地域の歴史資料館で、ついて草々に説明を受けた。歓迎式の当夜、古老から「日本人、何しにきた。かえれ!」と強い口調で、罵声も受けた。ただ、帰るころには理解してもらい、会話できるようになった経験があります。
戦時下とはいえ、捕虜を人として扱うことは、国際ルールは明白で、当時の日本企業の在り方が、問われるし、現代の企業も問われると思います。
先人の教示に、「遅くても、気づいた時に、直ぐ謝ることが大事」とあります。私自身が、バターン死の行進を、現地の歴史館で説明を受け、暑さた食糧難の中で、捕虜の人たちが、多く倒れたことは戦時下とはいえ、謝罪の気持ちを表現することは大事と思います。
ワークキャンプに行ったのは、30年前になりました。でも、家庭が厳しかったのですが、無理お願いして、行かせてくれた家族には感謝しています。