(東国原発言)「愛のムチ条例」より、率先する教育が先では
2008年06月18日
(東国原発言)「愛のムチ条例」より、率先する教育が先では
■東国原知事「愛のムチ条例できないか」…県議会で発言
(読売新聞 - 06月18日 20:37)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=522124&media_id=20
>閉会後、報道陣が最も印象に残る質問を尋ねたところ、知事はこのやり取りを挙げ、「私もそう(げんこつをもらった)でした」と述べた。さらに、「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』ってのができないのかな。非常に難しいですね」と話した。
教育は、率先垂範と良く聞きます。「げんこつ」ありきの発言の前に、まず大人が示してから、叱責がないと、馬耳東風と思います。
条例とは、県の法律です。
条例に対する認識不足を感じます。
法は、民の思いでありますが、民の意向を踏まえない条例設置の発言は、どうかと思います。
孟子の言葉に、君子(王、リーダー)は、太陽の光にようなものと表現されています。知らず、知らずのうちの、君子の意向(威光)に染まり、仕事に励み、地域貢献を率先して行い、知らず知らずの内に、地域(国)の民が、幸福と思える社会を構築する意味の教示あります。
明治の偉人の言葉がありました。
<以下、紹介します>
第一の大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」の言葉)~
私心や作意というものが全くない。あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。といって、すごく頭が切れるとか、勇気がある人だとはという評判や大変華々しく手柄をたてたというようなことなく、知らず知らずの内に人民がそのお蔭をうける。いるかいないか、わからぬような存在でいながら、人民に無事大平をたのしませる。
この言葉の真意の理解、実践までの至っていませんが、リーダーとは周りを感化し、地域住民を感化して行く光(威光:意向)のようなものと思います。一昨日書いた、鹿児島市の少年犯罪の現象の成果は、市長の思いに、市民が賛同し、住民が感化されて実現されたものと思います。
前鹿児島市長の名前すら知りません。でも、先進国中で犯罪増加率が高い日本で、少年犯罪(軽犯罪)が減少している唯一の県庁所在の活動は、リーダーとは何かを考える実績にあると思います。
校区公民制度は、昭和60年代前半に始まり、その成果が20年の時を越えた今、国内の地域づくりで少年育成環境に、大きな貢献をしています。
>「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』
よりも、リーダーの無言の率先垂範の行動・政策にあると思います。
今日読んだ、第一の大臣の教示から考えたことを書きました。
意見、異見を頂ければ幸いです。
「(鹿児島市)校区公民館制度」大きな事件は、小さな事件の積み重ね
今、防犯パトロールの環が広がっています。とても良いことと思います。
ただ中心は、小学校低学年の通学監視ですが、心の育成からすると中学生、高校生に関心を持つことも必要と思います。
鹿児島市は、少年犯罪がとても少ない地域ですが、これは、大人たちが夜、夕食を終えて5~10人くらいのグループになって、夜徘徊する少年たちへ「声かけ」をする活動が影響していると言われています。
その声かけグループの数が、鹿児島市内だけで100以上あるそうです。元気の良い年たち、或いは不良グループへの対応も、訓練して夜の声かけ活動が続けられています。
事の始まりは、昭和60年代少年犯罪が急増しているのを危惧して、当時の鹿児島市長が始められた「校区公民館制度」だといわれています。これは、小学校の敷地に公民館を作り、公民館活動に小・中学校の生徒を絡めて行い、地域で子供を育てる仕組みを作り上げました。この公民館活動の回数が半端でなくて、年間100回以上に登り、多いところは120回を越えるところもありす。
この活動のお蔭で、人生のやり直しができた青年のことが、テレビで紹介されていました。ケンカ、シンナー、暴走族、とうとう鹿児島を飛び出し、関西で色々ことをしましたが、30代になり、故郷に帰って来れたのは、中高生時代に地域のおばちゃん、おじちゃんたちから、いつも気にかけ、声をかけてもらっていたからと語っていました。現在、その青年は公民館活動や声かけの中心メンバーのなっています。
社会不安を感じるのは、社会の変化に関心を持たない多くの大人の存在が、最大の原因と思います。
やっと始まった防犯パトロールの動きが、中・高生の夜の徘徊への声かけまで広がると良いなと思います。
小学校の親父の会は、PTA活動の一部の活動ですが、小学校で終わらず、中学校、高校の心の隙間を埋める、声かけまで広がって行くと、鹿児島市の公民館活動のように、大きな成果が出て来るのだと思います。
■東国原知事「愛のムチ条例できないか」…県議会で発言
(読売新聞 - 06月18日 20:37)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=522124&media_id=20
>閉会後、報道陣が最も印象に残る質問を尋ねたところ、知事はこのやり取りを挙げ、「私もそう(げんこつをもらった)でした」と述べた。さらに、「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』ってのができないのかな。非常に難しいですね」と話した。
教育は、率先垂範と良く聞きます。「げんこつ」ありきの発言の前に、まず大人が示してから、叱責がないと、馬耳東風と思います。
条例とは、県の法律です。
条例に対する認識不足を感じます。
法は、民の思いでありますが、民の意向を踏まえない条例設置の発言は、どうかと思います。
孟子の言葉に、君子(王、リーダー)は、太陽の光にようなものと表現されています。知らず、知らずのうちの、君子の意向(威光)に染まり、仕事に励み、地域貢献を率先して行い、知らず知らずの内に、地域(国)の民が、幸福と思える社会を構築する意味の教示あります。
明治の偉人の言葉がありました。
<以下、紹介します>
第一の大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」の言葉)~
私心や作意というものが全くない。あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。といって、すごく頭が切れるとか、勇気がある人だとはという評判や大変華々しく手柄をたてたというようなことなく、知らず知らずの内に人民がそのお蔭をうける。いるかいないか、わからぬような存在でいながら、人民に無事大平をたのしませる。
この言葉の真意の理解、実践までの至っていませんが、リーダーとは周りを感化し、地域住民を感化して行く光(威光:意向)のようなものと思います。一昨日書いた、鹿児島市の少年犯罪の現象の成果は、市長の思いに、市民が賛同し、住民が感化されて実現されたものと思います。
前鹿児島市長の名前すら知りません。でも、先進国中で犯罪増加率が高い日本で、少年犯罪(軽犯罪)が減少している唯一の県庁所在の活動は、リーダーとは何かを考える実績にあると思います。
校区公民制度は、昭和60年代前半に始まり、その成果が20年の時を越えた今、国内の地域づくりで少年育成環境に、大きな貢献をしています。
>「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』
よりも、リーダーの無言の率先垂範の行動・政策にあると思います。
今日読んだ、第一の大臣の教示から考えたことを書きました。
意見、異見を頂ければ幸いです。
「(鹿児島市)校区公民館制度」大きな事件は、小さな事件の積み重ね
今、防犯パトロールの環が広がっています。とても良いことと思います。
ただ中心は、小学校低学年の通学監視ですが、心の育成からすると中学生、高校生に関心を持つことも必要と思います。
鹿児島市は、少年犯罪がとても少ない地域ですが、これは、大人たちが夜、夕食を終えて5~10人くらいのグループになって、夜徘徊する少年たちへ「声かけ」をする活動が影響していると言われています。
その声かけグループの数が、鹿児島市内だけで100以上あるそうです。元気の良い年たち、或いは不良グループへの対応も、訓練して夜の声かけ活動が続けられています。
事の始まりは、昭和60年代少年犯罪が急増しているのを危惧して、当時の鹿児島市長が始められた「校区公民館制度」だといわれています。これは、小学校の敷地に公民館を作り、公民館活動に小・中学校の生徒を絡めて行い、地域で子供を育てる仕組みを作り上げました。この公民館活動の回数が半端でなくて、年間100回以上に登り、多いところは120回を越えるところもありす。
この活動のお蔭で、人生のやり直しができた青年のことが、テレビで紹介されていました。ケンカ、シンナー、暴走族、とうとう鹿児島を飛び出し、関西で色々ことをしましたが、30代になり、故郷に帰って来れたのは、中高生時代に地域のおばちゃん、おじちゃんたちから、いつも気にかけ、声をかけてもらっていたからと語っていました。現在、その青年は公民館活動や声かけの中心メンバーのなっています。
社会不安を感じるのは、社会の変化に関心を持たない多くの大人の存在が、最大の原因と思います。
やっと始まった防犯パトロールの動きが、中・高生の夜の徘徊への声かけまで広がると良いなと思います。
小学校の親父の会は、PTA活動の一部の活動ですが、小学校で終わらず、中学校、高校の心の隙間を埋める、声かけまで広がって行くと、鹿児島市の公民館活動のように、大きな成果が出て来るのだと思います。
<地方議会の活性化>多様な人々との交わり(意見交換)には、広い場所が必要となる。
宇土市で女性のリーダー育成が令和7年度から始まります。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。
熊日宇土市局長の古東竜之介さんの選挙についての記事に、23歳の記者として、若者としての意見。
藩主が自ら思い切った贅肉落しを行う。鍋釜(官僚)を頑強に鋳る(育成する)ことが最も肝要である。〜上杉鷹山〜
宇土市で女性のリーダー育成が令和7年度から始まります。
<豊かさの条件>いつの時代にも人間社会は共同体的な部分を残さなければ、社会基盤の安定を欠く。
政治家の市長と、政治家の市議との活動の比較を指摘した、素晴らしい質問と思います。
熊日宇土市局長の古東竜之介さんの選挙についての記事に、23歳の記者として、若者としての意見。
藩主が自ら思い切った贅肉落しを行う。鍋釜(官僚)を頑強に鋳る(育成する)ことが最も肝要である。〜上杉鷹山〜
Posted by ノグチ(noguchi) at 23:03│Comments(1)
│政治問題(地方)
この記事へのコメント
Posted by ほんわか at 2008年06月19日 00:03
先ずは自分の子どもを孤立させたりしないように、しっかり行動を見せていきたいと思います。