修験道場〈英彦山〉視察から思う、歴史現場ウォッチングと学問

2014年06月07日

修験道場〈英彦山〉視察から思う、歴史現場ウォッチングと学問

おはようございます。今朝の朝ウォッチングは、いつもより長めの9kmを歩いてきました。朝明が早くなったなと思います。清々しい空気の中を、早足ウォークは気分爽快です。

2週間ほど前のテレビニュースで、九州の霊場「英彦山」の夏を知らせる花「ヒコサンヒメシャラ」が紹介されていました。先月17日に初めて英彦山を訪れ、江戸期には日本三代修験道場として栄え、宿坊が60軒並び三千人が暮らしていたとを歴史ボランティアから説明がありました。訪問のきっかけは、歴史の現場視察と交流を目的とした宇土高校同窓会女性部の研修に誘われたからです。

歴史ボランティアから、当時の修験道場は女人禁制。ただ修験道場の入り口に在る英彦山神宮から、20段ほど階段を登ったところに、英彦山の全ての神と繋がれる社が在り、そこまでは女性も参拝できたそうです。厳しい戒律の中にも、万民への寛容な受け入れが、繁栄につながったと思いました。

しかし明治になって神仏分離令になり、修験道場の存在が薄れ、段々と修験道師も減り、現在宿坊として残るのは一軒でした。でも訪問した時、地元の高校生が、麓から頂上まで歩く研修に来ていて、地元では根強い信仰は続いていることが分かりました。。

最近の登山ブームで英彦山の訪問者は増えていのですが、滞在し自分を高める修行をする人は少なようです。修験道師たちが生活した名残りとして、薬草「九輪草」の花畑が作られ、苦悩する庶民を救おうと志高く「知徳体」を鍛えた場を、大切に地域の方々が受け継ぎ、啓発に努めるていることは素晴らしい。改めて、歴史の現場を見聞することは大事な自分の学びを深める機会になると思いました。

*今週末は行事多し*
今日は、5つの予定が続く日で、中学校招待サッカー大会、親子論語教室、日本で最初に女性史を書き上げた「高群逸枝没後50年研修」に途中合流、その後熊本の地域づくり団体の集まり「火の国ネット」の交流会に参加し、夜は地域活動でお世話なっている先輩たちと飲み会です。

〈告知〉
〜紫陽花マンドリンコンサート〜
明日の13時〜15時、宇土市住吉町の住吉神社周辺のアジサイ公園で開催されます。曇り空ですので、野外コンサートには最適と思います。鑑賞料は無料、たくさんの来場をお待ちしています。

〈ワールドカップ〉
6月はスポーツイベントの続く時期、外での活動が多く、自分はプレーしないくても、真っ黒に日焼けします。いつになってもサッカーから離れられないおじさんです。来週から始まる、ブラジルワールドカップ、1月続く世界最大のスポーツイベントに、また睡眠不足なりそうです。でも、ぜひ日本が決勝トーナメントに進出できるように応援したいと思います。


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Posted by ノグチ(noguchi) at 06:43│Comments(0)日本の歴史、世界の歴史
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